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視聴率について

 『いだてん』関連で視聴率の記事が増えて、視聴率が取れない要因をあれこれ分析する記事とか読んでて思うのは、もう視聴率って100害あって一利なしだなぁってこと。面白さの指標としてはまったく機能してない。

リアルサウンドの平成ドラマ対談でも話したけど、視聴率が指標として機能したのはせいぜい90年代までで、それ以降はどんどん実際に面白いと思った作品と、視聴率をとる作品がズレてきてる。だから自分で書くときは視聴率をデータとして書くことはどんどん減ってる。SNSで話題に。みたいなことは書くけど、本当はそれも嫌なんだよね。純粋に自分が重要だと思ったことしか書きたくなくなっている。

もちろん、『家政婦のミタ』や『半沢直樹』みたいな高視聴率を叩き出した作品にはヒットした社会背景や背後に「大衆の欲望」みたいのが見えるので、それを読み解くのは面白いけど、それですら2013年までじゃないかなぁと思う。

 音楽なんかはAKBグループが席巻したことでオリコンチャートが壊れてるから、今の指標は配信やCD売り上げ等を複合したビルボードジャパンのチャートの方が指標として更新されたと思うけど、テレビドラマもそういう複合的な指標が必要なのかなぁと思う。

実際、ビデオリサーチの視聴率は、リアルタイム視聴率の他にも録画視聴率、SNS視聴率を調査しているんだけど、正直、指標として普及しているとは言い難い。そもそも視聴率って広告収入の参照項だからNHKは関係ないんだよね。だから『いだてん』なんか言われる筋合いはなくて、芸術性と言ったら微妙にニュアンスが違うけど、ドラマとして歴史に残るちゃんとした作品を作ってくれれば問題はないと思う。


今みたいに放送した翌日にウェブニュースで視聴率が発表される状況が続くのがよくないのは、それが無意識の世論を形成して、視聴率が低いなら見なくてもいい。って多くの人が思ってしまうこと。そこでは内容の良し悪しは語られてなくて、あるのは多くの人が見ている=面白い、見ていない=つまんない。っていう二元論だけ。

 特に今の人は、情報が溢れてるから、まず「見ないでいい理由」を探すんだよね。SNSなんか見ない理由を一生懸命語る人ばかりだし。逆に楽しんでる人はネタバレを避けるあまり、即物的な反応とか、どれだけ課金したかしか語らなくなっている。それこそが愛だと思ってる。
 だから、見てるけど批判的に語るみたいなことはできなくなってる。それが許されるのは朝ドラだけなんじゃないかと思う。だからドラマ批評ってのは成立しにくい。いや、ドラマだけじゃなくて00年代まではかろうじて成立していたカルチャー批評は10年代になって完全に滅んだと思う。まぁ、ファンは批判的な批評なんて見たくないから満足なんだろうけど、自分はそれはとても嫌なんだよね。かと言って短絡的な批判は問題外で、それこそ視聴率が低い=駄作見たいのはふざけるな。って思うんだけど、そういうのがちゃんと書いたものの何倍も閲覧数は稼いでるのが現状だからな。その意味でファンコミュニティでの絶賛される言葉と短絡的な批判の乖離はどんどん広がってくのかなぁと思う。

 じゃあ、どうすればいいのか。ってのはもう諦めてるというか、粛々と今放送されてて面白いと思う作品を感情的にではなく、ちゃんと批評的な言葉で評価して歴史的な位置付けをしていくしかないのかな。今読まれなくても、それを読んだ人が後にドラマをみるかもしれないので、そういう未来の読者に向けてのガイドブックとして書くしかない。比喩的にいうと地図を作っている感じ。

 僕はほとんど旅行はしないんだけど、一つ一つのドラマ評を書いてると、人が行かない場所に行った旅行記を書いてるような気分になるんだよね。だからみんなが行ったことない知らない国の話をするように書いてる。

 ナンシー関の時代はみんながテレビを見ているという前提があったけど、茶化したり毒づいたりできたけど、今は見てないことを前提に書かないと行けないから、正直、しんどいと思うこともあるけど、生まれた時代は選べないので仕方ないよね。とにかく『いだてん』は面白いです。


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