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拝啓

田原総一朗様 

貴兄はテレビで初めてタブーに挑戦した偉大なるジャーナリストです。31年前、『朝まで生テレビ』の登場は本当に衝撃でした。テレビ朝日のプロデューサーを欺いてまで、天皇や部落問題に斬り込んだ勇気とジャーナリスト魂は、日本のメディア史に永遠に刻まれる偉業でしょう。

オウム真理教と幸福の科学の幹部を呼んで討論をさせたときの貴兄は本当に輝いていました。ふてくされて「もう帰る!」と駄々をこねた麻原彰晃をなだめたときの懐の深い貴兄の人間力には惚れ惚れしました。

大島渚、野坂昭如、小田実、西部邁といった老練のインテリ猛者たちを仕切る手綱さばきも、貴兄以外にできる人はいなかったでしょう。

『朝まで生テレビ』は、まさにガチンコの知的格闘技でした。「ケンカ上等!」と言わんばかりに、いい大人たちが深夜に顔を赤らめ、声を荒げ、罵倒し合う様は、観ていて本当面白かったです。

しかし、番組開始から31年が経ったいま、貴兄はいつも何か物足りなさそうな寂しい顔をしています。

もはや番組中に酒を飲んだり、タバコを吸ったりする人はいません。貴兄の猛獣使いぶりを発揮しようにも、もはや手なづける猛獣もいません。牙を抜かれた論客たちに物足りなさを抱く貴兄は、もはや自分自身が猛獣になるしかないと決意したようです。自ら「暴走老人」と宣言し、暴走する貴兄は痛々しい限りです。

自ら放送禁止用語を連発したのも、牙を抜かれた番組に、もう一度喝を入れて、風穴を空けたい一心からでしょう。

最近は同じ昔話を何度も何度も繰り返すことが多く、論客たちも貴兄の武勇伝をただ静かに聞くしかありません。「歴代の首相たちと友達」だと毎回自慢し、首相たちにアドバイスしていると得意げに語る貴兄の自慢話に論客たちは耳タコです。

三浦瑠麗女史に「田原さん、いつもその話をされますが、利用されているだけですよ」と諌められるも、気づいているのかいないのか。反論したり逆ギレすることもなく、自身のお誕生日会では三浦女史を隣に座らせて記念写真を撮るくらいののろけぶり。暗に「政治家の御用聞きジャーナリスト」と揶揄されても怒らない懐の深さはさすがです。

貴兄の口ぐせは「バカ」「インチキ」「ウソ」。言葉を操るジャーナリストが、あえてこの3つの小学生用ボキャブラリーを駆使するのは、何か深い意図があるのでしょう。まるでこの世が「バカ」と「インチキ」と「ウソ」の3要素で作られているのを憂いているようです。

最近の『朝まで生テレビ』は、論客同士が熱いバトルを繰り広げることはほとんどありません。それは論客がおとなしくなったこともありますが、論客がみんな貴兄に向かって話しかけているためでしょう。まるで御前会議のように、論客たちは貴兄に怯え、気を遣い、何度も繰り返される同じ話を耐え忍んで聞いています。

もはや貴兄より年配の論客が出ることはないですし、貴兄に反論できるのは三浦瑠麗女史だけです。自分が賛同しない意見が出ると、大声で恫喝し、口封じし、意見の合わない論客が説明しようとしても、白か黒か、という二者択一の意見しか言わせません。まるで「うんこ味のカレーとカレー味のうんこのどっちが好きか選べ!」と究極の選択を迫るような凄みに、論客は沈黙するしかありません。

とにかく番組を盛り上げようとするあまりか、最近は貴兄が一人で過去の武勇伝を語る時間がやたら長くなっています。それも同じ話の繰り返しなので、視聴者は再放送を見せられている気分になります。

30年前、天皇というタブーに挑戦した貴兄ですが、いまや貴兄自身がタブーになってしまいました。

革命家の多くが革命を起こしたときから独裁者になるように、貴兄が独裁者として「田原の耳はロバの耳」になってしまったのは本当に残念です。

とはいえ、私はいまも貴兄を尊敬しています。番組も31年観続けてきたし、今後もあなたがいる限り観続けることでしょう。貴兄は「90歳までやる」と公言していましたが、ぜひ100歳までやっていただきたいです。「最期は『朝ナマ』の番組中に迎えたい」と自ら語るように、貴兄には人生の花道をぜひ『朝まで生テレビ』で飾っていただきたいと切に願っています。


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