4月1日。午後一時半

 ボクは目覚めた。目覚めたというよりは、騒がしい街の「声」に起こされた感じだった。万年床の枕元のラジオを入れるとFM大阪の「ラジオ・パパ」が始まったところであった。ボクはこの番組を昨年の十月ごろから今年の二月の中ごろまで、ほぼ毎日のように聞いていた。よく聞きなれたDJの声は「今日は、エープリルフールですね」と始めた。ボクはそのときはじめて、今日が「四月一日」「エープリルフール」であることを知った。
 京都にきて5度目の四月一日は昼からの一日であった。
 外は晴れているようだった。しかし、ボクの部屋はほぼ真北を向いているため、雨であろと快晴であろうと一向に部屋は明るさは変わらない。ただ、五年も同じところに住むとなんとなく雨に「匂い」と快晴のそれとは区別ができるようになるものだ。でも頭の中は、ここ数日、重たく曇っていた。部屋の中も雑誌と新聞が散乱し、唯一の暖房器具である電気ストーブは、埃をかぶって白かった。布団は、湿気ていて冷たく重かった。
 白いだけのカーテンを開けると、やはり空は青かった。
 ボクはここ四年ほど、四月一日がエープリルフールであることを忘れていた。そんなことを考えるだけの頭の余裕がなかった。この四年間の四度の春は、ボクにとっては、決して春ではなかったような気がする。春をもし「希望に満ちた若々しい季節」というならなおさらである。

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