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面 ― マスク ―

コロナウイルスを振り撒かない、吸い込まない。そのためのマスクについては語る気にもなれない。とにかく邪魔なのだ。
マスクと言うのはいろいろな意味を持っているが「面」という言葉とほぼ重なる。私が興味を持っているのはまず能面である。
能面は能の世界では能面とか、面(めん)という言葉はふつう使わない。「おもて」と言う。
能で、面(おもて)を着けるのはいろいろあるがまず、女性を演じるときである。理由は簡単だ。能は武士が舞う舞劇だから、女性を舞う人は髭面かもしれないし、厳しい顔つきの武芸者かもしれない。
歌舞伎のように白塗りにして、作り声で話したり謡ったりはしない。女性の衣装を着けて、声は男の声で柔らかく優しげに謡い話すのだが、あまり柔らかくも優しげでもないのに、しばらく聞いているうちに違和感がなくなり、女性の声と感じ、女性の所作として感情移入できるから、能という古典芸能は奥が深い。
昨日、十一月八日に東京の水道橋能楽堂で宝生流の「月並能」が催された。
私は留守番していたが妻が帰ってきて、
「先生の『芭蕉』を拝見したのだけれど舞の動きに従って、面の向きが変わる度に全く表情が違うのよ」と言う。
面というものは右から見る表情と左から見る表情とは違う。よく引き合いに出される能が『葵上(あおいのうえ)』である。
光源氏の正妻葵上に嫉妬した六條の御息所の怨霊(おんりょう)が、般若になって葵上を悩ます。役(えんの)行者(ぎょうじゃ)の後を継いだという横川(よかわ)の小聖(こひじり)が、読経によって鬼心を和らげ「成仏得脱の身となるぞあり難き」と喜んで帰って行く。
能舞台に出てくるときは左側の橋掛かりの奥、揚幕の下から舞台に向かうから、見所(観客席)から右半身、面も右側が見える。
般若の面は、右側からは怒り、恨み、嫉妬に狂う表情が見える。帰りは逆に、安堵と喜悦の表情が見えるという。
面をじかに見て説明されても、そうはっきりと左右の違いは分からない。よくよく眺めて「そうかな」という程度である。
舞台でそれを見せるのは能役者の技量である。
妻が、昨日拝見して来て「表情の変わるのがはっきり分かって素晴らしかった」と語るのは私たち夫婦が師事した、能楽師の技量の素晴らしさである。
師が学習院を卒業なさったころお父上が亡くなられた。師は卒業と同時に能楽師として舞台をお勤めになった。傍ら御父上の弟子を多数引き継がれた。
師ご自身は、幼いときに子方として舞台を踏んでおられたとはいえ、その重圧は察するに余りある。
若い能楽師は、老練な能楽師について、学びながら舞台を務め、素人の弟子に教えるのである。それが出来たのは母上の胎内から謡、囃子の声を聴きながら育った「生まれながらの能役者」だからだ。
 秋(しゅう)扇(せん)や 生まれながらの 能役者 
                                                                                           松本たかしの句)
私たちが入門したのはその二年後ころだった。それから四十二年は経っている。
師に就いて二十年くらい経ってから、稽古の時に私が「先生、職分(能楽師の資格を持つ人)の先生方と、我々素人とは絶望的な差がありますが、何故でしょう」と聞いた。
今から考えると大変恥ずかしい、思いあがった言い分だった。
師は笑いながら「お弟子さんをあまり上手にしないのも技量の内なんですよ」と仰った。
その後の稽古の凄かったこと、正座で三十分の稽古が終わったとき、掌の汗が太腿を濡らしていた。
「月並能」番組表の写真で拝見すると、師のお顔はすごい貫禄である。このお方が面を着けて舞台を踏むと、楚々とした『芭蕉』の精になって「諸行無常、悉皆成仏」を表現なさるのである。
師ご自身が「工夫精進が問われる難曲」と番組の中に書いておられる。
妻は、来年季節の良いときに、水道橋能楽堂へ観能に行きましょうと言う。日に日に体が重くなり、足運びが難しくなるこのごろ、半年先の約束が出来るものだろうか。

子どもたち一家三人が年末までに来ると言う。私は心配ないから来るな。まだコロナウイルスが危ないから、と止める。
こんなことがいつまで続くのだろうか。
                                                                                         十一月九日 記 
                                                                                              題「マスク」 


注 松本たかしは宝生流能楽師で名人と言われた松本長(ながし)の長男です。次男恵雄は能楽師で人間国宝でした。孝は病弱のため能役者の道を諦め、「俳人松本たかし」として名を成しました。句集のほかにも著書があります。


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