六円

「勉強なんてなんの意味もない。無駄の極みだ」今日もジギかーやは、ブツクサと呟きながら鉛筆を動かしている。「さっさと終わらせて、体でも動かしに行きたいな」

そこへ、マコがやって来る。「ねぇ、かーや、そんな意味のない事はやめて、どこかに出掛けようよ!」

「お、それ、丁度今俺も思ってた。行こうか、マコ」

「うん」

と、ニコニコ笑顔のマコに手を引かれ、ジギかーやは、歩き出す。

「あれ?」

「どうしたの? かーや?」

「いつもの踏切、何か止まってない?」

「わ、ほんとだ。凄い人と車が立ち往生してるね!」

「さてと、どうするかな?」

「なんだか、人の群れが、気持ち悪い……」

「気持ち悪くはないけど、何か細々と動いてるな」

「やだよ、かーや、行こ、ここ少しも立ち止まっていたくないからー」

マコは嫌々しながら、ジギかーやの手を掴み、大きく振る。

「なんだよ、マコ、そんなに、ここが嫌なのかよ?」

「みんなが、アリンコみたいに、見えてくる。やだよ。ここ、避けて通りたい」

「でも、大通りは、車がいっぱい走ってるぞ、そのうち、踏切も開くんじゃないか? それまで待つってのは……分かったよ、やめよう、行こうか」

「ホント? ありがとうかーや〜 だから私はかーやが好き」と、マコはジギかーやに抱きつく。

「どっきゅんゴナドトロピン!」

「え? 何〜今の何〜?」

「性ホルモンの一種さ、さっき、大学の試験の勉強してたろ? そのときに学んだんだ」

「へ〜なんか全然笑えないかも」

そう言ってマコは笑う。

ジギかーやもつられて笑う。

「勉強ってのは役に立つなぁ」

「勉強なんて、何の意味もないとかゆってなかったっけ?」

「マコそれ、聞いてたっけ?」

「合わせただけ!」

踏切が開き車が通り出す。警笛が鳴り響く。

「わ、びっくりした」

「警笛? もしかして、踏切警手か? こんな時だから、出て来たのかもな」

「踏切警手?」

「昔は踏切ってのは、踏切警手が、往来の管理をやってたんだよ」

「すごーい」

「物知りだろ、俺」

「うーん、正直言って、普通かも」

「非日常だよな、こういう景色はあんまり見たくても見られるもんじゃないぞ」

「だから、こういう車とか人の行き来は、蟻の行列みたいで、気持ち悪いんだって」

「お前、よくそんなんで、今まで生きてこれたよな」

「うえ、吐きそう」

「わー、まじか、俺の服の上にべっとりと、やったなぁ」

「車と人の動いてる姿、嫌いっ」

「そうかぁ、んー? まあこんなもんなんじゃないの?」

「こんな場所に長々といて、いつまでも動かない、女心を理解してないかーやはもっと嫌い」

マコは泣き始めた。

「そんな、何か俺が、泣かしたみたいで、泣くなよー。もう、てか、周りの人の目もあるしな。」

マコは泣きやまない。

「泣いても何も解決しないぞ。俺先行くから、ついて来いよ」

「やだー待ってよー」

後書き

ジギかーや鳴です。今回は、三十六円という、まあ、人物造形の便利帳みたいなのを使って、ジギかーや、とマコ、の二人を作りました。

性格に、落差を作ったのだけれども、どうだろうか?

もはやそのためだけの掌編小説となりました。

なので、解説がいると思った。

ジギかーやとマコは、口では勉強何て、とか、体でも動かそうとか、言ってますが、実際は、ジギかーやは、勉強は便利だとか、泣いても何も解決しないとか、車の往来を普通こんなもんだろとか、言ってて、マコはマコで、車と人の行き来が、蟻の行列みたいで気持ちが悪いとか、よく泣くし、物知りさに対して普通と、言っている。

要は簡単な図で示せば良くて、

      勉強

感情   

     動き

の3つが、あって、時計回りに、見たときに、

動きを公、感情を中、勉強を私と見る、運動万歳な価値観と、

勉強を公、動きを中、感情を私とする、勉強至上主義の価値観とを併せ持ったのが、ジギかーやで、

運動万歳な価値観と、
感情を公、勉強を中、動きを私とするお涙頂戴な価値観とを併せ持ったのが、マコ。

という、作りに、なってる。

公は、それが基準となる生きていく上で大切なもの、
中は、普通のもの
私は、どうでもいい物

って感じで、使ってます。

この三十六円を使うと、

小説の人物造形だけでなく、

書き手を演じるのに、使える。

つまり、ジギ丸は、頭でっかちな、勉強至上主義者で、かーやは運動万歳なやつ、鳴辺一弥は、マコみたく、お涙頂戴な価値観で生きている人。

ジギかーや鳴は、それらの、三つの名前を合体させたんですよ。

何か怖くないですか?

人間人間っていうけれど、この程度の事で、演じ切れるものだったとは、って感じではないですかね?

動きを、劇、勉強を文、感情を歌とし、

更に間を取ったのを心技体と名づけそれを組み合わせて、

   技   
      劇
文       
        体
 心  
     歌

この6つとこの並びを六円と言っています。

それを重ねることで、三十六円が見える筈で、表面上の人物と、実際の本当の性格、ってな感じで、布置してみて下さい。文を一として、それぞれ時計回りに番号を付けて、サイコロを振って決めてもいい。

かなり便利なので使ってみてください! ただし、程々に。使い過ぎて書いてる自分すら、その三十六人の一員にしか見えなくならない程度に。


補足です。

実は、人物を多人数描くときに、二百十六円というものを考えている。

三十六円が、重ねる、のに対して、二百十六円は、細分化していく。

また、三十六円で、重ねる理由が、出身地に鍵があると、

そこまで語って、六円を完全に、ここに残そうと思う。


頭が痛い。俺は玉手箱を開けてしまったんだろうか?

六円を誰かに伝えてしまう事。

それがどんな意味を持つのか、分かってない。

あれは、日本の魂としての側面もある。

それが、伝える事で、抜けるかもしれない。

入れ物が、積載量を超えていた分ブクブクと肥えていたのが、しゅっとするかなと、そんな期待も込めている。

三十六円と、六円は、今、語った通りです。

で、なぜ、重ねるかから語ります。

単に、役の人物造形の、落差の作り方としてというよりも、

出身地を示すために重ねるんです。

   神戸 九州 
大阪       沖縄
   名古屋 東京

この6つの都市というか地域に注目して下さい。

  体  歌
劇      心
  技  文

それぞれが、六円のこれらの印象と被ります。

つまり、大阪人は、劇を公とする価値観=運動万歳な価値観を、自分の本来の属性の、他に、重ねて持っているんです。

これは、各地域の、中心地で成り立ちます。

その周り=田舎は、時計回りに一つ回した所と、同じです。

大阪の、田舎出身なら、神戸と同じとなり、劇と歌の中間である「体」の属性を持たせる。するとかなり真実味というか、現実味を帯びます。

更に現実に近付けるために使う、二百十六円に関しては、細分化、

本来もつ、属性に着目し、その属性の中で、その人がどれだけその自分の属性通りに生きているか。をやはり六円で、表す。

まあ、例えば、文、劇、歌

となると、

本来は、文だが、劇の価値観に縛られ、挙げ句、音楽理論なんかに手を出してる自己評価の低いやつ、まあ俺なんですけど。そんなやつになります。

サイコロを3回転がして、

1回目に出た目は、本来の性格
2回目は、出身地の性格
3回目は、現在の性格

大概3回目のやつが、本来の性格と違うようにしといて、事件が起き、本来の性格と一致するように変化する。そんな感じで、使うといいと思います。

以上簡単ですが、これで、二百十六人の、日本人を、簡単に、現実味を伴って、書き分けれるようになってるはずです

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小説の書き方、映画的視点と手法を含めて

小説の書き方を映画的視点と手法を用いて、考えた文。書き出した頃のが何か良さそう。おすすめです(^^)
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