なるちゃんの過去

こんばんは。寝るちゃんの中の人、なるちゃんです。

なるちゃんのクソ重い過去のお話をしたいと思います。

文を書くのが下手なので読みづらいと思いますが申し訳ありません。

読んでいて気分が悪くなる方もいらっしゃると思うのでその場合は飛ばしていただいて構わないです。

25年分なのでかなり長いです

簡潔に知りたい人は目次だけでも十分わかるかもしれないです。

生まれる予定じゃなかった子供

※中絶のお話が出てきます

母が20歳で私を身篭った時、独身だったため私は産まれない予定でした。

私の父はパチンカスで借金まみれ、仕事も転々としており飲み歩いていたと聞きます。父の記憶がほとんどないのもそのせいですね。

よくまぁそんな人とお付き合いしていたなと思うのですが付き合ってた時は知らなかったのかな?外面がとてもいい方だったし、母もすぐ騙される人なのでなるべくしてなってしまったのかなとも思います。

当時は今以上にできちゃった婚が非難される時代で、釧路という田舎だったこともあり母の肩身はかなり狭かったと思います。親からも反対されていたため私は生まれない予定でした。

しかし母の祖母(私のひいおばあちゃん)に
「せっかく授かった命を無駄にするんじゃない。」
と言われおばあちゃん子だった母は私を産むことを決めました。その時点ではひとり親になるつもりだったようです。

なので母は親のいる札幌で私を産む決心をし札幌の病院に通っていましたが、話し合いの結果、両親は籍を入れることになり私が生まれてすぐ父がいて地元である釧路に戻りました。

父の実家が太かったため衣食住にはさほど困らず過ごしていました。

ただ、避妊という概念がないのか借金まみれにも関わらず妹弟も生まれました。ちゃんとして。

4人目を身篭った母は流石に限界を感じ、急遽中絶手術を局部麻酔で行い結果妊娠ができない体になってしまいました。そのショックからか父がいると拒絶反応が出て嘔吐するように。
(その結果母は不倫をしてしまうのですが、不倫は良くないよね)

当時小学校一年生の幼女だった私はクラスの男子からいじめられており、6歳で不登校の引きこもりに。引きこもり歴結構長いんですよね私。

母自身の限界と私の精神状況を見て離婚することになりました。

その時私は「お父さんについてく?お母さんについてく?」と質問されましたが母方のおばあちゃんがとても大好きだったため母について行くことに決めました。

親の離婚、札幌へ移住

私だけ一足先におばあちゃんのいる札幌の家に引っ越し、新しい小学校に向けて準備をしていましたが

その裏で不倫のバレた母が父にストーカーされたり、何故かヤクザに追われるなどのおもしろ(?)エピソードがあったそうです。

ちなみに実の父はオタクでストーカーでメンヘラです。(二十歳の時に父親にネトストされてたしこれも見られる可能性ある)(私も血筋を感じている)

なんとか母も妹弟も札幌に来て祖父母、伯父、私たち家族が一緒に暮らせるようになりました。

離婚してから半月もなかったと思いますがその時点で父親からの養育費は入らなくなっていました。

因みに伯父もかなりのオタクで私は東京ミュウミュウのエロ同人を叔父の部屋で見つけて読みました。

学校が変わっていじめられることもなく、小学二年生の間はかなり平和に過ごしていたなと思います。

キックボードを乗り回していました。

母は不倫相手とは別れ、ネットで知り合った私と同い年の娘を持つバツイチの男性と恋愛をはじめ、私たち子供も一緒に何度も遊びに行くようになりました。

母は元々親と仲が良くなかった(祖父母も再婚同士のため折り合いがつかなかったのかなと思います)ので即再婚することに。

小学校三年生の頃私は石狩に移住することになりました。

親の再婚、姉ができる

母が再婚し、再婚相手の連れ子である同い年の姉ができました。

お姉ちゃんの誕生日が9月1日、私の誕生日が12月28日なのでお姉ちゃんがお姉ちゃんになりました。

父方の祖母、両親、4人兄弟(姉弟)、インコ2羽、犬2匹の7人と2羽2匹家族という大家族になり表面上は仲良く過ごしていました。

両親は共働きで、おばあちゃんが基本的な家事をして子供たちは洗い物や洗濯などを手伝う形で生活していましたが、夏休みなどは私がお昼ご飯を作ったりしていました。

小学5年生の頃、母の再婚相手である2番めの父親(以降父2と書きます)がPCの使い方を軽く教えてくれて私はYouTubeやネットサーフィンをし始めます。

伯父の影響でエロ同人の文化を知ってしまった私は普通に調べていました。
ですが小学生の時の私は知らなかったのです。
履歴が残るということを。

母の再婚相手に虐待を受ける

※性的な話、小学生への暴行の話、自傷行為の話が出てきます

※この話を飛ばしてもなんとなく次読めると思います


私のPCの検索履歴を見た父2は私に体の関係を求めてきました。

父2は
・大人になるために必要
・これは知識を偏らせないため
・自分が導かなければならない
などそれっぽい理由を並べられ、受け入れるしかありませんでした。

小学6年生になり知識が増えていくにつれて父2への不信感が増していきました。

最後までされそうになり、私はやっと断ることができ、好きな人がいるからと行為じたいをしなくなりました。

私が中学生になり、父2に触れられることはもちろん近づかれることも嫌になっていましたが、私がされていたことを公言してしまうと家庭が壊れてしまうと思い反抗だけ続けていました。

母はただの思春期だと思っていたようです。

父2は母の帰りの遅い日、安い焼酎を飲み、怒鳴り散らかし弟を叩いたりしていました。何度警察を呼ぼうと思ったかわかりません。

私たち子供たちは常に父2の顔色を伺い、ビクビクしながら過ごしていました。

母になぜあんな奴と再婚したのかと問い詰めたらものすごい顔をされました。その時初めて手首を切りました。

7人分の家事をするJK

※親からのセクハラの話が出てきます

高校生になる時、東北大震災がありました。その日におばあちゃんが車で事故をおこしてしまい体を動かしづらくなってしまいました。

お姉ちゃんは進学校に通っていたこともあり、私がおばあちゃんにやってもらっていた家事の大部分を受け持つことに。

朝6時に起きて家族4人分の弁当+おばあちゃんのお昼ご飯、そして全員分の簡単な朝ごはんを作り学校へ。
学校から帰ってきたら朝の洗い物、兄弟分の晩御飯作り、食べ終わったら両親の分の晩御飯作り、次の日のお弁当用の米をセットする。
洗濯と洗い物は兄弟4人の当番制でしたが父2が機嫌の悪い日は見つかる前に私が行うことが多かったです。

早く実家を出たかったため、高校一年生の冬にアルバイトを始めました。
アルバイトをしているからという理由で修学旅行のお小遣いは親からもらえませんでした。(姉はもらっていた)

母の口癖が「よそはよそ、うちはうち」だったので仕方ないかと思っていました。

学校、アルバイト、家事、習い事に身体が悲鳴を上げ始め朝起きるのが辛くなってきた頃、父2のセクハラがはじまりました。

寝てる私を起こす名目で体を撫で回されたり、着替えてる時に部屋に入ってきたり、料理中にわざわざ後ろに回り込まれて触られたり、苦痛でしかありませんでした。

家でも父の顔色を伺い続け、家事をこなし
小学生の頃から行っていた習い事でリーダーになり、多方面からのプレッシャー
学校で騒ぎ続ける男子達の声

限界を感じ学校をサボリがちになりました。

そんな時にできた彼氏も家庭環境が複雑だったのですがつらそうにしている姿を見て、
私の家ももしかしたらかなりおかしいのかもしれないと思い始めました。

彼氏にずっと父2に苦しめられていることを初めて人に伝えました。

不思議なことに一度口に出してしまうと自覚してしまい、今までできていた生活に耐えられなくなってしまいました。

そんな時、父2が怒鳴り散らかしたため刺し○すか、警察を呼ぶか悩みましたが姉のことを考えて私がこの家から出るのが1番いいんだと思い、生まれて初めて家出をしました。

家出をする。同棲を始める。母親がバツ2になる。

実家にいることが耐えられなくなり、高校3年生の頃に生まれて初めて家出をしました。

その直前に、母の不倫に気がつきました。(ママン何も学ばない)(不倫、ダメ、絶対)

親戚の家に何日か住まわせてもらい、その後釧路に戻っていた母方の祖母の家にお世話になることに。

何度か母が説得しにきましたが、父2(母の再婚相手)と一緒に住みたくなかったので家には帰らないと断りつづけました。

母が傷つくと思い、父親にされていたことは言えませんでした。

駄々をこねていたせいで出席日数が足りなくなり高校は退学しました。

そんな中札幌では彼氏が急いで同棲の準備を進めてくれていて、母の反対を押し切り無理矢理同棲をすることに。

当時の彼氏には本当に感謝しかないです。いまでも頭が上がりませんわ。

やっと父2から解放され同棲を始めるも、父2にされたことがフラッシュバックするため夜泣きする毎日。

心身ともに参ってきてるなかで毎週会いに来る母と父2。

私は逃げきれてなかった。
一生会いたくないのに。
家族というのはここまでも繋がりを切ることができないのか。
もう一生この人からは逃げられないんだ。

と思い逃走。

母からも彼氏からも鬼のように電話がかかってくる中ひたすら自転車を漕いで知らない場所にいきました。

私の大好きな友達から心配のメールが来てすべてを話し
その子が母に伝えることを提案してくれたので、メールで母に全部伝えることにしました。

母に伝えると母は速攻妹と弟を親戚の家に避難させ、家を出る準備を進めていました。

妹と弟の学校のそばにアパートを借り、引っ越しを行いましたが姉は父の元に残ることになりました。

その時から、紙面上でお姉ちゃんは私たちのお姉ちゃんでなくなってしまいました。

そこから父2のことを訴え逮捕するために事情聴取されたり訴訟の準備をしたり色々ありました。その辺はかなり難しい話になる(私もあんまり理解できてない)ので割愛します。

結果、無事父2は捕まりました。数年前に出所し北海道から出て仕事をしているらしいです。


私は一年間の引きこもりニートを行い、流石に限界が来た彼氏に振られそうになりアルバイトを始めました。
申し訳ないです本当に。

アルバイトをしながら通信の高校に通い無事に高校卒業しました。

その後元彼と元彼の妹ちゃんと3人暮らしが始まったり
カレー屋でバイトして妻子持ちのネパール人にアピールされて病んだり

なんやかんやあってずっとやってみたかったアルバイトにつきました。

夢へ近づくも彼氏と別れる。


ずっと裁縫が好きだったので服の仕事につきたくて、少しでも服の知識をつけるために

19歳の頃セカン○ス○リートでのアルバイトを始めました。

めちゃめちゃダサかったのに受かったのは奇跡でしたね。本当に。

色々なことが知れて楽しかったです。本当に。

少し経ったくらいから彼氏の浮気を疑うようになりました。

私は可愛くないし、でかいし、太ってるし、メイクも今より下手くそだったので自信が本当になかったんですけど、彼氏の仲良い女の子が彼氏の好みドンピシャだったんですよね。

小さくて、顔が整ってて、ちっぱいで、ピアス開いてて、カッコいい女の子で、私もすごい好きな人でした。

もう不安で不安で仕方なかったのでGPS確認したりしてました。本当にごめんなさい。

私とのデートはドタキャンするのにその女の子と遊ぶ時は楽しそうに出かけるのも辛かったです。

誕生日もクリスマスも祝ってもらえなかったのにその女の子には高い焼肉を奢ったりしてました。
悲しい。

ただ、生活費はほとんど彼氏が払ってくれていたので申し訳ないことをしていたなと思います。本当に。

仕事などの関係で彼氏に振られ、母が当別に引っ越すというのでそのタイミングで実家に戻ることにしました。

このくらいで父2のフラッシュバックはほぼ無くなりました。

実家にもどるが荒れる。DJイベントに行き始める。

20歳で保険付きバイトになりましたが、当別から狸小路に毎日出勤するのしんどかったです。

遅番だったので22:30に仕事終わって家に帰ったら0時超えてたんですよね。
少し残業したら終電逃すし。

そんな中お母さんの彼氏が家に入り浸るようになりました。

20歳になった私は昔みたいに順応性高くないのでおじさんが家にいることが耐えられませんでした。
(実父と離婚する前に不倫してた相手だったので昔から顔見知りではある)

母の彼氏はかなり几帳面だったので私が0時に帰ってきた少しの物音でイライラする人でした。

私は帰ってきてからビールを飲みながらアニメを見るのが毎日の楽しみだったのにそれができなくなってかなりフラストレーションが溜まってしまいあまり家に帰らなくなってました。

過去の出来事のせいで私には貞操観念というものが皆無でした。

マッチングアプリや相席居酒屋で相手を探し、ホテルに行きご飯代やホテル代を出してもらう代わりにセックスをするというようなクソ生活をしていました。週3日くらいだったと思います。

そんな生活をしてたらいつのまにか母の彼氏が家に住んでました。
なぜ。

この時に「早く実家を出よう」と思いました。

そしてこの時、母が実の父親に養育費の催促をして私のTwitterのアカウントを特定されました。

母は彼氏が守ってくれてるからいいかもしれんけど子供たちのことどう思ってるん?危ない目に合わせて何がしたい???
母のことを本気で信じられなくなった瞬間でした。

遊び歩いていた時期に、ひさびさに中学の同級生であるkillmikuとご飯に行くことになりました。

その時になんやかんやあり(この辺は今度詳しく書こうと思う)DJの方々と知り合いイベントに遊びに行くようになりました。

とっても仲のいい女の子のお友達もでき、好きな人もできたので男遊びをやめ、引っ越し用資金を貯め始めました。

好きな人とはお付き合いはできないことがわかり諦めていた時に、面白い男に告白されて付き合うことになりました。(例の彼です。)

このくらいで父2が夢に出てきても罵声を浴びせてボコボコにできるようになりました。

彼氏ができて、妹と二人暮らしを始め、DJも始める

引っ越し資金を貯めきる前に妹の精神的な限界が来たので、元彼にお金を借り、当別を出て妹との2人暮らしを始めました。

私の彼氏と妹の彼氏が2人でお留守番をしていることがあったりしたので面白かったです。

多分このくらいで彼氏にDJをtractorのコントローラーで教えてもらったはずです。

妹は大学生、私はアルバイトだったのでかなりお金がなかったのですが、21歳の時に社員試験を受けれることになりました。

その時の彼氏は大学四年生で、11月末で卒論やってない、就活もしてないとかいうわけわからん状況なのに一緒に住みたいとかぬかしてるのがイラついていて
セカ○トの社員面接は日程が10日前とかに告知されるのですがマッハで面接準備しているのに「寂しい〜」ってラインきたのがカチンときて別れました。

社員面接に受かり正社員生活が始まった時に、妹がお金を貯めるために実家に帰りたいといわれ、
五万の家に1人で住めるほど稼いではいなかったので悩んでいたところに元彼がヨリを戻したいと言ってきたので決め事をして、2人でやり直し、同棲の準備をしていくことになりました。

社員になって2ヶ月目に手術をしないといけなかったのですがあまりにもブラックで(残業を強制されてた)仕事終わりに走って手術後の経過観察に行ったりしました。
手術の時彼氏が迎えにきてくれなかった事は、死ぬまで恨む。


菊水で同棲を始める社畜

そんなこんなで街の近くで本格的に彼氏と2人暮らしをし始めることになったのですが引っ越した数日後に胆振東部地震が起きました。

引っ越し前の家の付近は暖水が続いてたようなのですが引っ越し後の家はすぐライフラインが復旧したので段ボールだらけの家に何人か人を泊めたりしました。

引っ越して本当によかったー!って思った。

その後も私はがっつり社畜の毎日でした。

胃腸炎や十二指腸潰瘍で救急車で運ばれたり、
母がいつのまにか2度目の再婚をしていたりかなりのメンタルのやられ方をしていました。

徐々に彼氏も精神的に参ってきて彼氏は仕事を休みがちになってしまいました。

転勤、社畜、鬱

そんな中2019年私は転勤を言い渡されるのでした。

彼氏が仕事に行けず給料が10万を切っている中で、どうしたらいいのか本当に悩んで

・私と一緒に恵庭にすむ
・一度実家に戻る

の2択を提示しました。

でも彼氏は札幌に残ることを選び、私は恵庭で一人暮らしをしながら休みの日には札幌に帰る生活を始めました。

自分の一人暮らしの支払いをしつつ、札幌の家賃の少しも払い、お金がない時は追加でお金を渡していました。

どうしても彼と結婚したかったので今我慢すればいつか報われるとおもっていたのです。

恵庭に行ったため、DJ活動もほぼできず、遊びにも行けず仕事と家の往復でした。お酒も全然飲まなくなりました。

あまりにも辛くて馬鹿みたいにご飯を食べてしまい激太りしました。

さらに恵庭には実父の母校があり、実父の親戚も住んでいたのです。常に実父の存在に怯えていました。

早く札幌に戻りたかったため、仕事を頑張っていろんな人に仕事ができるとアピールすることが必要だと考えた私は色々な店にヘルプに行くことに決めました。

新店舗のヘルプに行った際9:30〜02:00まで働くというのを10日ほど行った結果心身ともにやられました。

ヘルプが終わり自分の店に戻った時に、私が今まで教えていたことが一つも実践されていないことを目の当たりにして全てを諦めてしまいました。

店を元に戻すため9:30〜0:00の勤務をこなしましたが体を壊し、仕事に行けなくなりました。

鬱と診断をもらい仕事を休職し札幌の家に戻りました。

彼氏も仕事に行かず家にいたため、これはもう2人でダメになるだけだなぁと思いバレンタインの日の朝、寝起きの彼氏に別れをつげました。

彼氏と別れ実家に戻り、自殺を考える

※自殺願望の話が出てきます

同じタイミングでお姉ちゃんも仕事をやめ
2人で当別の実家に戻りました。

実家に戻ってから私はどんどんメンタルを病み
本気で自殺を考え(死ぬ場所、死ぬ時の服装、死に方も考えていた)死ぬ前に会いたい人に会おうと思ったため

元彼の家に数日間お邪魔して何も伝えず友達と遊んだりしていたのですが、元彼にプロポーズされ、大好きな友達に説得されました。

それでも気持ちは変わらなかったのですが
最終的にお姉ちゃんが元彼の家に押しかけてきて「一緒に暮らそう!」と言ってくれて、私はお姉ちゃんを1人にできないなと思い死ぬのを思いとどまりました。

元彼とはいろんなことがあり結局結婚するのをやめ、元彼との縁を切りました。

FF14にどっぷりハマったり、道外の人と付き合ったり、ODして記憶をぶっ飛ばしたり、いろんなことがありました。

正直2019〜2020年の記憶があまりありません。

その後の恋愛。姉と二人暮らし。現在。

2020年の12月 北海道から絶対出たくないと思っていたのに、
この人のためなら北海道から出てもいいと思うほど好きな相手に会いにいくも、二股をかけられていて振られ、誰も信じられなくなりました。

そんな中お姉ちゃんとの2人暮らしが始まり、メンタルが徐々に回復していきDJ楽しい!!!!になりました。

そして2021年春、一年半ぶりの仕事を始めることに。

ただ、仕事について2ヶ月後
耐えられない程の吐き気、腹痛、目眩に襲われ病院へ行くと病気が発覚。その病気で併発してる自律神経失調症の影響で体調が死ぬほど悪くなっているらしいです。

仕事をやめようか悩むもとりあえず休職という形で現在に至ります。

薬を変えて落ち着いてきているのでなんとか復職するか近場に転職するか悩んでいますが

…まあなんとかなるでしょう。

まとめ

今回私の過去をまとめたのは私のことを知ってもらいたかったというのもあるんですが
可哀想とか哀れんでもらいたい、同情してもらいたいという気持ちは一切なく

・見極めずに結婚すると不幸な子供が生まれてしまう可能性があること
・性犯罪は身近でおこっていること
・トラウマは未だにひきづること
・再婚相手を信用しすぎないこと
・社畜は体を壊すこと
・体を壊すとメンタルも壊すこと

を知って欲しかったです。

人生ベリーハードモードの私ですが、
今はやりたいことが見えていて未来に希望が少しだけどあるので
これからどんどん幸せになりたいなと思っています。


みんな、幸せになろうな。


拙い文章ですみませんでした。

ここまで読んでくれてありがとうございました。

これからも寝るちゃん、なるちゃんと変わらず仲良くしていただけると幸いです。


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