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心の中のストッパー

創作系ヲタが四十路の立場ある社会人(表の顔はね!)に辿り着くまでに身につけたものはやはり心の中のストッパーなのだと思う。

小学生、中学生、高校生、大学生。そういう頃はこの箍(たが)が外れていた。物語は溢れ出して、脳の中でオープニングムービーが流れて、友人を捕まえて、自作ファンタジー世界の設定を聞かせていた。典型的な黒歴史である。中二病。

書き出した小説は全てエタった。頭の中で迸る欲求に、現実世界の我慢強さが耐えられない。手の先で執筆が進む前に、妄想が先に進む。我慢できない。苛立って、放り出す。

執筆速度が足りなかった。我慢強さが足りなかった。妄想を現実に変える力がなかった。大学、大学院を卒業し、創作の暴走的成分は抑えて、まぁ、それなりに仕事を頑張って、社会人になって、そんな青春時代から二〇年近く経って、現在に至る。

二年前、二〇一八年のお正月から小説を書き始めて、人生で初めて、長編小説を完成させた。三九歳になっていた。いっぱしの、我慢強さと、仕事で鍛えた執筆速度がものを言った。その間、心が物語から逸れないように、心にストッパーを常備させて。

僕はやった!

さて、それから、長編はプラス5作品書いた。

しかし、去年半ばあたりからおかしいのだ。物語が出てこない。

どうやら心のストッパーが過剰に働いている。

心のストッパーは僕が物語を完成させるために、物事を完遂出来るようにするために、僕の妄想を阻害するように働いているのだ。きっと抑制性のシナプス結合。物語を完成させるために、物語を阻害していたストッパーは、いまや、僕の創作回路にストッパーとして作用しているというのか。なんて皮肉じゃん。

心のストッパーを外せば、仕事の間も、物語のことを考えてしまうし、書き出したら止まらなくて、体調も悪くなる。(ちなみに、僕が長編を高速に一気書きする理由はここにあります)

ちなみに、心のストッパーの外し方もよくわからない。

不器用だなぁ。

ちょっと、去年の夏終わりから、この冬の終わりにかけて、僕はそんなこんなで迷走していた。スランプというのはおこがましいけれど。物語が出てこないのだ。少し掴んだ着想は、短編という形で放流していたけれど、一年目に書いていたような輝きが見つからない。

――でも、ちょっと復調傾向にあるみたいだ。

先日、ある作品を読んでいて久しぶりに長編作品の着想を得た。

短編の方でもKAC2020のおかげで、自分らしい作品の方向性を取り戻した気がする。本気の本気で五作品書き上げて、自信も持てた。

何だか内側から、また、動き出すものを感じるのだ。

心の中のストッパーが目に見える気がする。

それを外せば、水は溢れ、日常生活の堤防は決壊するのかもしれない。

でも、それを摘んで、引き上げてみようと思う。僕の中に、まだ、創作へと溢れさせる水源が、残っているのだと信じて。

心のストッパーを外す。

――今日から公募用の長編小説を書き始めようと思います。

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