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2024年1月

能登半島地震や衝突事故で被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
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考える暇を与えずたくさんの情報が流れ込んできた。混乱していることに気付かぬまま、こころの容量が足りなくなった。
大きすぎる不安を切り離したくて筆を執る。

2024年1月1日

例年ならテレビっ子な弟が遅くまで起きているのが恒例の大晦日。その弟は老舗菓子屋の仕事が忙しいらしく、不在だった。父と兄は早々に床に就き、初日の出に備えている。母と二人で静かに話しながら新年を迎えた。気恥ずかしさと嬉しさが入り交じる年越し。

翌朝、弟がいないこと以外はいつも通りの正月。習慣で8時には目が覚め、皆で雑煮を食べ、何をすることもなく過ごし、お節をつつく。昼過ぎに恋人が迎えに来ることになっていたので「いつも通り」を装っていただけとも言えるけど。できるだけ顔色を変えず家族に「行ってきます」と声をかけ、彼の車に乗り込んだ。

出かけると言っても地元は超がつく田舎で、それも1月1日。やれることと言ったらカフェと初詣に行くくらいなものだ。それでも、彼と出掛けられるのはとても嬉しかった。

カフェでコーヒーをいただき、お会計を待っていたとき。耳慣れない音がけたたましく鳴り響く。何事かと思って見たスマホの「緊急地震速報」の意味を理解するのと、他のお客さんが「地震だ」と漏らすのと、どちらが早かっただろう。最初は小さかった揺れがだんだんに大きくなる。止まない。嫌な感じがして彼の腕をぎゅっと掴んだ。

職業柄、災害情報に敏感になる。ネットニュースでは石川で震度5とか6といった情報が飛び交っていた。職場の連絡ツールではマネージャー層が動いている空気が感じられる。会計を済ませて外に出ると、余震に気を付けてといった趣旨の市内放送が流れていた。テレビで見た3.11の光景が浮かんだ。

初詣に行って、彼の友人に会い、家に帰ると、テレビでは石川の様子が繰り返し報道されていた。

出先では入ってこなかった情報が次々に流れ込んできた。火災が起きていること。地割れや家屋の倒壊が起きていること。津波も来ていること。電車やライフラインが止まっていること。震度7の地震だったこと。一度の災害で起きたこととは思えなくて、飲み込むまでに時間がかかった。特番がない、緊張した空気が流れる正月。そんなことでしか事態の深刻さが理解できなかった。

しばらくすると元旦の仕事を終えた弟が帰ってきた。店じまいをした頃に揺れたと話していた。「大変だったね」と言っている両親に合わせて、私はなんとなく頷いて話を聞いていた。

職場の人は大丈夫だろうか。自分が今やれる仕事はあっただろうか。そんなことばかり気になってスマホをずっと見ていた。何人かの友人の顔が思い浮かんだけれど、連絡すべきかよく分からなかった。

2024年1月2日

翌朝もなんとなく8時頃に起きて、雑煮を食べた。夜中にも地震があったらしい。

箱根駅伝が流れるテレビを見ながら「箱根はやるんだな」と思った。見知った風景のなか走る選手たちを眺めながら、身体のだる重さとお腹の不快感が消えないことに気づき、小一時間くらい寝た。「一時的に体調悪かっただけみたい」と言いながら、へらへらと起き出す。私は通常通りじゃないといけない気がした。

前日に引き続き、スマホの中の動向が気になる。大丈夫だろうか、大丈夫だろうかと、考えても仕方ないことばかり繰り返し考えていた。頭が重くて、目をつぶったりなんとなく外に出てみたりして過ごした。

夜になって羽田の事故の情報が入ってきた。こんなときに、なんで。地震で気が動転してしまったのかな。そんなことをぼんやり考えながら夜は更けていく。

2024年1月3日

新聞の一面に「被災地への物資を運ぼうとした際に衝突事故が起きた」という内容の記事を見つける。機長さんや乗員の皆さんはどんな気持ちだっただろう。

父と散歩する。事故のことで「そんなことって、あるんだなあ。なんともね」とことばを交わした。

「今年の目標だとかあるんかい?」とか「お母さんから聞いたけど付き合ってる人がいるんだって?」とか、父は色々と聞いてくる。どこまで踏み込んでいいんだろうと推し量っているのが伝わってきて可笑しかった。

散歩から帰って、荷造りをする。持ってきたお土産の分荷物が減るはずが、増えている。入りきらないのは困るけど、色々な人からの愛情なんだよなと思い、頑張って持ち帰ろうと気合を入れた。

家族で初詣をしてから、新幹線の駅まで送ってもらい帰る予定だった。兄弟3人ともが通っていた高校の近くの神社に行き、お昼ご飯を食べて、新幹線の駅のホームへ向かう。家族に持ってもらっていた荷物を受け取り、バイバイ、ありがとうと告げて別れた。

帰省から一人暮らしの家に戻るのはいつも不安な気持ちになる。新幹線の自由席は案の定混んでいて、1時間ちょっとの間、星野源のANNを聞きながらぼぅっとしていた。収録放送を急遽変更して生放送された回。メールを読む星野源の声と思いを聞きながら、得体の知れない不安が大きくなっていることをひしひしと感じた。

家に着いてこころの容量が足りなくなった。ボロボロ泣いた。自分も家族も被災したわけではないけれど。それでも不安になっていいということばで、張り詰めていた糸が切れた。これから自分はどうなってしまうのか、新年どうなってしまうのか、何もかも分からなかった。恋人に今の気持ちを吐露してちょっと落ち着いたけど、彼に負担をかけてしまったんじゃないかとまた不安になった。

2024年1月4日

頑張って起き出した。とにかく日常を送ることだけを目指して1日を過ごした。仕事は遅々として進まなかったけど。災害や事故、事件の情報にすごく敏感になっていた。こころを守るために災害報道に無闇に触れてはいけないという記事を読みながら、ああそうかと思った。

夜に彼に電話した。なんでもないことを話してくれることがありがたかった。

2024年1月5日

目が覚めて、このままではこころが保たないかもと直感で思った。同時に、一度休むと元に戻るのが難しい感じもして、やれる範囲で仕事をしようと決めた。

こころは思った以上に参っているようだった。記事を読めば涙が出る。こんな情報に触れて他の方は大丈夫だろうかと不安になる。上司に正直に今の状態を伝えて、早退させてもらった。

少しでも安心できるよう、かわいい男の子の動画やゆったりとした音楽を流し続けた。なんでもない動画や音楽が癒やしだった。

彼が週末一緒に過ごそうと言ってくれた。近くに頼れる人がいると思えるだけですごく安心できた。

時折災害や事故の映像がフラッシュバックして、身体がぎゅっと縮こまる。大丈夫だよと自分に言い聞かせて眠った。

健やかであること。
周囲の人を大切にすること。
想像力を働かせて、できることをできる範囲ですること。

それができるようにまずはnoteを書きました。
2024年、どうぞよろしくお願いいたします。


20240106 Written by NARUKURU


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