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自分にしかできない仕事×子育て。理想の形を考え続け6年、今日会社をつくりました

はじめまして。阿部成美と申します。
はじめてnoteを書くので、少し自己紹介させてください。

1991年生まれ、27歳、山口県出身。
2人姉妹の妹で、服も趣味もお姉ちゃんに頼っていた私が、高2の進路選択の際に唯一好きだ、と思えたことは「食べること」でした。好きだけど、食料廃棄などの問題も多い”食の仕組み”に関心を持ち、京大農学部の経済系の学科に進学。(無理だと言われた京大に入学できたのにはそれはそれで強い原体験があるのですが、それはまた別の機会に。)卒業後は広告代理店の博報堂に入社。ブランディング専門チームの配属を受け、4年半ほどブランドストラテジスト(ブランドを作る戦略家)として働き、去年の夏に卒業しました。そして創業後期のタイミングにあったスタートアップのSHE株式会社に入り、約5ヶ月ブランドリード、アライアンスリードとして働きました。ここまでが2018年までの出来事。
プライベートは25歳で結婚。仲良しこよしの夫はいますが、子どもはいません。「え、タイトルに”子育て”とあるのに、何で?」と思われると思うので、これからその話をさせてください。

「将来の夢はお母さん!」…ではどうやらダメらしい。

小さい時から将来の夢を聞かれては「セーラムーン」「ミニーちゃん」など色々な答えをしてきましたが、記憶がある限り、強い意思を持ってはじめて持った夢は「お母さん」になることでした。自分の母親みたいに、子どもに愛を注ぎ、厳しくも優しく育てていきたい。しかしこの夢は口にする前に「どうやらそれだけではダメらしい」と思わされることになります。

私の母は専業主婦でしたが世の中を俯瞰し「これからの時代」に必要なことを判断できる人でした。「これからは女の人も手に職をつけることが本当に当たり前の時代になる。だからあなたたちも自分で仕事をする力をつけなさい。」
たぶん、小学校低学年くらいの頃から言われていたと思います。「そうか、私も働かないとダメなのか。でもお母さんになりたいし、両方するということなのかな???」
よく言われる「仕事と家庭の両立」はかなり幼い頃から私の自分ごとのテーマとして頭の片隅に存在し続けました。

働くとは、”社会を創る”ことである

そんな感じで「お母さんになりたい。でも働かなきゃ。」と思っていた私なので、大学3年で就活を始めた時に真っ先に思ったのは「それなりにお給料がもらえて、福利厚生がよくて、子どもが育てやすそうな会社に入ること」でした。しかし、この考えは夏に博報堂のインターンに参加することで覆させられることになります。

博報堂のインターンは「2泊3日の生活者発想合宿」という名前で、チーム対抗で「生活する人の暮らし、社会を豊かにするアイデアを本気で考え抜く」という内容でした。ここまで京都であまり社会を意識することなく、ぬくぬくと学生生活を送ってきた私にとって、これはかなり刺激的な体験でした。インターンを終えてはじめて「働くとは、その先の誰かに影響する行為、”社会を創る”行為である」という当たり前の事実を自覚しました。

そこからはただひたすら、「じゃあ私はどんな社会がつくりたいのか」「私に何ができるのか」を問い続けました。大文字山に登るのを日課とし、毎日自問自答。そして、自分が学び触れてきて見つけた、農業、畑の魅力を社会の価値に転換していくことが自分にしかできない、自分なりの仕事の形であると思うようになりました。

畑に埋もれた魅力を生活する人の価値に変え、食べ手と作り手をありがとうで繋ぐ社会を作りたい

私が「自分にしかできないこと」として上の結論に至った背景には、ちょっとした成功体験があります。
フードロスに関心があった私は在学中に「規格外野菜」(形がいびつだったり、サイズが小さいなどの理由で市場流通できない野菜)の存在を知ります。畑で放す規格外野菜とは果たしてフードロスなのか?という問いから、実際の農業の現場に足を運んだのが運命の分かれ目。規格外野菜という文字面からダメダメそうなお野菜たちをこの目で見ると、大根が今にも走り出しそうだったり、その可愛いらしさに胸を撃ち抜かれました。「大学生から見たら、このでこぼこ野菜の方が愛着が湧くし、手作りだと感じられる!」その気づきをもとに、ダメな規格外野菜改め、かわいい”でこぼこベジタブル”を使ってカフェを開くサークル「でこべじカフェ」を創設しました。でこべじカフェを通じて、今まで農業に全く興味のなかった大学生と農家さんとの間に新たな繋がりが生まれたんです。

”食の仕組み”は両側の端と端からお互いの存在を知るのも難しいくらい、複雑さを極めていました。でも食べ手と作り手、両者が「ありがとう」で繋がった時に生まれる幸福はとても価値のあるものだ、と私はでこべじカフェの体験を通じて知りました。捉え方を変えるだけで光りだす、可能性に満ち溢れた農産物や畑。必要なのは”今あるもの”に目を向け、時代にあった価値に転換できるよそ者だと思いました。ならば力あるよそ者になりたい、とインターンで人生のきっかけをもらった博報堂で修行することを決めました。

自分にしかできない仕事も、子育ても。絶対に妥協したくない!!

「子どもが生まれるまでに圧倒的力をつける」と決めていたので、入社してからは文字通り「我武者羅」に働きました。そして5年目に突入。そろそろ自分の人生のラインとして設定した「子育て期」も近づいてきて、慣れ親しんだ会社を卒業し、自分の会社を始めるという選択に至りました。

「子育て」を考えると会社にいる方が育児休暇給付金がもらえたりとメリットがたくさんあります。それにも関わらず、なぜ起業といういばらの道を選んだのか。
理由はシンプルに絶対に妥協したくなかったからに尽きると思います。

私の場合、やりたいことが農業に関わることだったので、それが博報堂のメイン業務としては事業規模的に限りなく難しいものでした。だから別の仕事をする必要がありましたが、そこに「子育て」が乗っかってきた時に人生が成立するとはとても思えませんでした。自分のやりたいことが会社の本業と完全に重なり得ないと思ってしまった時、どこかに妥協を生むことは間違いありませんでした。
でも自分にしかできない仕事をしたいし、子育てもちゃんとしたい。
人生に絶対に妥協をしたくないから、妥協しなくていい環境を自ら作っていこうと思います。
自分にしかできない仕事×子育てを両立できているロールモデルはまだまだ少ないのかなと感じており、これからそういう人ともどんどん知り合っていきたいし、私も一人のロールモデルとして新しい働き方の形を切り開けたらなと思っています!
答えがなく、どうなるか分からない道ですが、私の人生に妥協しないことだけは堅く誓って、今日からの生活を駆け抜けていきます。

事業に対する溢れる思いや事業内容は改めて紹介させてください。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!


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