見出し画像

「人生のゲームチェンジを人に委ねない。」退職、転職、起業、ブランドリリース…脱皮の27歳振り返り

こんにちは!畑から暮らしを彩るブランディングカンパニーTUMMY株式会社代表のあべなるみと申します。

わたくしごとですが一昨日誕生日を迎え、28歳になりました。わーい!

そこで怒涛の勢いで走り抜けた、27歳の1年間を振り返ってみようと思います。タイトルにある通り私は
・8月:新卒で入社した博報堂の卒業
・9月:スタートアップのSHEへの転職
・1月:TUMMY株式会社の起業
・4月:第一弾の自社ブランドとなる「yasaicco」のリリース

人生単位で大きめのイベントを一年でぎゅっと経験しました。圧倒的な生活変化の中で感じたことを鮮明なうちに記録したいと思いnoteを書きます。

長いので、目次をみつつ、かいつまみながらでいいのでお付き合いください。

「60歳で人生を振り返った時に"一番頑張った"と思える歳にする」

ちょうど1年前、誕生日のその日に私が日記に書いていた27歳の目標です。(日記というか気まぐれ記だけど、、)

この時点では、会社を「やめようか、、。」と迷っていたタイミング。"頑張る"の意味も明確には決めていなくて、これまで以上にめちゃくちゃ働くということなのか、はたまた違うのか、自分でも分からないまま、とにかく人生に変化を起こしたくてあいまいな目標を掲げスタートしました。

人生のきっかけをくれた、SHE。

「自分にしかできない仕事をしたい。」そう思いながらもどうやったらいいか分からない。もやもやしていた私が出会ったのはSHE株式会社というスタートアップです。

「ひとりひとりが自分にしかない価値を発揮し、熱狂して生きる世の中を作る。」

SHEのビジョンは当時のもやもやしていた自分にど直球でぶっ刺さりました。そして代表の中山さあやちゃんはじめ、SHEの中で働く人々とも交流するようになった27歳初期。

そこで驚いたのは「こんなにもビジョンに共感しあい、文化を作ろうと熱狂する仲間と働くのは楽しいのか!」ということ。

私なんか、何もできないかもしれない。お金も稼げないかもしれない。そんな躊躇をしていた私にSHEは「私も胸に秘めてきた想いをビジョンとして掲げ、共感者と共に生きてみたい」という欲を生み出してくれました。

欲をもったら最後。この熱狂を味わえるなら、今までのいろんな躊躇はどうでもいい。そんな気持ちになっていました。

そして私の「畑の魅力を発信できる人になりたい。そのために近いうちに起業したい」という想いを知った上で、「短い期間でいい。起業までの滑走路にしてくれていいからSHEを手伝って欲しい。」というただただ私トクな条件でのジョインを提案してくれ、全ての迷いが消えました

(本当に空間もそうだし、目のキラキラした人ばかりいる、SHE。卒業したけど「人生のきっかけ」と間違いなく言える、大好きな場所。)


ツイッター開始「共感しあえる人はいる。私は1人じゃない!」

個人で働きたいなら、twitter でセルフブランディングすべし。

そんな言葉、「まさか」と思い、半信半疑でTwitterを5年ぶりくらいに開くとびっくり。確かに顔出し、公開アカ、プロフィール開示で個人に価値を貯めるためにtwitterをしている人がたくさんいるのを目撃。独立を目指す私にとって必要なものはこれだ!と合点がいき、10月にTwitterをスタートしました。

するとどっこい!初めてフォローした"知らない人"が「すべての食に居場所をつくる」ために農産物ブランディング部というSNSチームをつくると言い出したり、初めてtwitter経由であった人と完全にビジョンで一致したり。秒速で共感者と出会う体験をしました。

それまで「畑には豊かに生きるヒントがたくさんあって、魅力的なの!」と言ったところで正直共感者なんて見つからないかも‥と思っていたので、この体験が衝撃的で。「大事にしている価値観、ビジョンで共鳴しあえる人はいるんだ!」とTwitterを始めて気づくことができました。恐れながらも自ら発信したことが挑戦する上での大きな勇気になりました

(Twitterを通じてチームになった、農産物ブランディング部)

起業前コーチング「ビジョンとライフ。両方必要だ!」

Twitterで勇気をもらいつつも、いざ起業すると思った時にぶち当たったのが「で、結局私はどのくらいの速度・規模を目指したいのか」という問いです。私の場合は「畑に埋もれる個性を掘り出し、お腹からの感動を広げたい」という想いは定まっていましたが、それをどういう形態・速度でやるのかが定まっていない状況でした。

そんな中で、SHEで知り合った福井えみさんのコーチングを受け、「私自身が畑に行き、感動を味わい続ける暮らしをできること」「子どもができた時に子どもとの暮らしも妥協せず両立できること」が自分にとって大事だ、ということを言語化することができました。

人それぞれですが私はビジョン達成のために自分の人生をすべて仕事に捧ぐ、生き方は選択できなかった。自分のライフのバランスがとれる速度で生きていくことを決めました。

(それが年度末くらい。)

起業。「自分らしさのリハビリ」開始。

屋号をもち、ビジョンを掲げ、完全に独立をした時、はじめて本当の意味で「すべてにおいて自分らしくていい」(むしろその方がいい)という状況に身をおくこととなりました。ただ、自分でも悲しくなるくらいうっかり思考停止していることがあることに気づき、一個一個本当に自分にとって快適か?を問い直すことが始まりました。

それで辞めたのが以下。

特に「週一ファーマー」という暮らしはまさに自分が得たかった暮らしの体現とビジネス的な必然性も合致し、私らしさを前進できたチェンジでした。

ブランドリリース。「初めて出す、無邪気な方の自分」

こうして私らしさの体現をひとつずつ行っていってはいましたが、それでもまだ「本当に無邪気に好きを探求する自分」を世の中に晒すのは怖い、と感じていました。だって本当の正直を否定されたらまじで逃げ場がないんだもん。

でも、そこから拓けるかもしれない新しい文化と共感者との輪を想像したら、やってみたくなっちゃった。胸踊らずにいれませんでした

そして誕生日を直前にして自分の「野菜が可愛く見えてしょうがない!」という偏愛を軸に「旬のリズムと生きていく」暮らしを提案するブランド「yasaicco 」をローンチしました。

(先日送り出した間引きだいこんちゃん。可愛すぎるでしょ、、!)

怒涛の27歳を終えて

爆走しているようでそれこそyasaiccoリリース直前は「怖さ」で体調を壊すほどだったのですが、今、自分に正直に生きていて、ものすごく強い「幸福」を感じています。自分の想いが届いた時の喜びとお金をいただいた時のありがたみは、もうひとしお。周りに対する感謝の感情があがったように感じています。

そんな人生の話を、尊敬する起業家の先輩のぴらゆうさんとおしゃべりしていたら、「わかるわ。人生のゲームチェンジは自分でするのが一番よ。」と言ってくれ、その言葉が響きすぎてタイトルにさせてもらいました。(ぴらゆうさん、ありがとう!)

節目節目で怖さを感じながらも勇気をもって心惹かれる方に「えいっ!」と飛び込んでみる。
自分らしく生きるための人生のゲームチェンジは怖くても自分自身でしか起こし得ないんだと感じた1年でした。

28歳は少し落ち着いて、拓いた道を整備し整えながら共鳴の輪を徐々に広げていければなと思っています。

ここまで最後までお付き合いいただきありがとうございました!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?