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「手」


働いている介護施設でお年寄りの手を頻繁に握る。

立ち上がりを助けたり、歩行を介助したり、喜びの握手をするし、ハイタッチの後更に嬉しくて握ってしまう。

介護職員の一つの仕事ではあるけれど、わたしはこの手を握る、手を繋ぐのが大好き!

Sさんの手は肉厚で握り甲斐がある。
体も大きくてどっしりしていて、皆からは会長と呼ばれている。

きっと、◯◯会長と云われる役職についていたのだろう。
皆から頼られ働いてきた歴史が側に行くと感じられる。

大きな声は出さず、いつも穏やかで、包容力の塊のような人。

歩行が不安定なのでしっかり手を繋ぐ。
支えるのがわたしの仕事だけれど、気持ちを支えてもらっている感じがする。

Nさんの手は指先が不自然に曲がっている。長い間同じ仕事をして家族の為に体を酷使してきたようだ。

かなり認知症も進んでいて、不思議な言動があるけれど、わたしがテーブルを消毒していたり、何か運んでいると、「手伝うよ!」とか、「わたしもやるよ!」と言ってくれる。そういう姿勢で働いてきた人なんだ。

指の曲がった手は自分のメンテナンスをしてこなかった、そんな考えさえ浮かぶ事もなかったSさんの一生懸命生きてきた歴史が窺える。

その手を包んで撫でてあげたくなる。

手には生き方やその人の人生そのものまで現れているような気がする。

以前Wワークで夜のコンビニでバイトをしていた。22時出勤だから普通で考えればかなり遅い時間。

作業服の若者がお弁当を買いに来た。
その手は油まみれで真っ黒。

つい、その手に目が行く。
「ごめんね。洗ったんだけど取れなくて…」と済まなそうに言う。

「大丈夫よ!良く働いた素敵な手じゃん!」と言うと、嬉しそうに恥ずかしそうに少し笑った。

カウンターが無かったらハグしてたかもしれない。(迷惑だろうけど 笑)

施設の話に戻る。

職場の責任者はかなり女子力が高い。
センスも抜群!
利用者さんにマニキュアしてあげている。
お年寄りの手に花が咲く!

横目で見ながら自分の手を見つめ。
「わたしの手はそういう手じゃないから」と言うTさん。

農作業で節々が太くなり、土と仲良しの手。

やってみると楽しいかもと思うのだけれど、自分には関係のない世界だと言う。

「そんなのして野菜さわれない。合う服もない。出掛ける場所もない!」だそうだ。
「ここに来るからそれじゃだめかな?」と勧めたら、小指だけしてくれた。

嬉しそう!

楽しむにも理由が必要なんだ。

誰かの為にずっと働いてきた手。
労られてこなかった手。

持ち主本人からさえもシミだらけで可愛げのない手と言われてしまう。

小さなテーブルの上でほんのちょっと輝かせてあげてもいいじゃない!

自分へのご褒美も忘れてしまっている人は沢山いる。

ご褒美もらってもいいって思い出してもらいたくて仕方がない。

多くを望まない人達なんだよ。
なのに、ごめんねを連発する。

長い間人の為に尽くしてきて、自分の自由にならなくなった体で日々を過ごす。
人に迷惑をかける体が疎ましいと思っている。
自分にご褒美なんてとんでもない。
そんな価値はないと思っている。

あなたはわたし達の宝です!
日本の宝です!

それをどう伝えたら届くのか日々言葉を探す。
それが伝わったらもっと、もっと楽しんでもらえると思う。

家族に迷惑を掛けてきて疎遠になってしまった人もいる。
我儘放題やってきて一人淋しくなった人もいる。

ほっときゃぁいいんだ!と思われても仕方ないって人もいる。

悪いけどわたしにはその人の今しか見えないから。

だから、たとえ、一瞬で忘れられても、笑顔になってもらいたい。

その手を温めてあげたい。

だから、そうするのさ。

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