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子どもを手放す母性

友達が妊娠した。

ただ、出産後はすぐに養子に出すことに決めたという。産まれたら名前もつけず、うちに連れて帰ることもなく、そのままNPOを通じて別の家庭に引き取ってもらうそうだ。

事情があって育てられないが、中絶するのではなく養子という選択肢を選んだ。

彼女は私が知っている人のなかでもとびきりの美人だが、中身はだらしなくて、適当で、寝坊してバイトに遅れてもあっけらかんとしているようなタイプだった。

そんな彼女が妊娠し、養子にする決意をした。

出産しても、環境や金銭的にも育てることが難しい。
無理に自分が育てても、お金がないからきっと子どもに苦労させてしまう。
だけど、なかった命にはできない。
だったら、実の親のもとで苦労するよりも、どこかで新しい両親と暮らしたほうが幸せだ。
そう判断したという。

どの家庭に養子にいくかはわからないけれども、子どもを望んだけども授からなかった人のもとに行くという。だから新しい両親は、実の子じゃなくてもきっと大事に育ててくれる。彼女はそう信じている。

私には、その考えが正しいかどうかなんてわからない。それがベストなのかもしれないし、中絶できるならしたほうがいいのかもしれないし、産んだらどんな状況でも育てたほうがいいのかもしれない。だけど、正解だと思われている道を選んだとしても、本当に正しいとは限らないことなんて世の中にはたくさんあるだろう。だったら、正解なのかわからない道を選んで、後から振り返れば正しかったことだって、たくさんあるに決まってる。

親という存在は、子どものために何かをしてあげたいと思うものらしいと知ったのは、私が幼稚園くらいのときだった。家族でカニを食べていて、父と母は私と姉においしそうな部位を選ぶようにすすめ、自分たちが食べる分は後回しにしていた。私はそれが不思議だったが、お父さんは「親は自分のことよりも子どものために行動したいものなんだよ」と言っていた。あなたも大人になったらわかる、と。

26歳の大人になった私は、まだまだ自分のことしか考えられない。安易に想像するのも失礼かもしれないが、私が同じ状況だったら自分が産みたいと思えるのだろうか。将来、自分が子どもを育てていけそうなのか。どうしても自分を基準に考えてしてしまう気がする。そう感じるのは、私がまだ誰の親でもないから? 本当に同じ立場になったら変わるもの?

子どものことを考えて、産む選択肢をとった。
子どものために、自分は育てないことを決めた。

子どものことを一番に考えた上での彼女の選択からは、ふさわしい言い方ではないかもしれないが、ものすごく母性を感じた。

久しぶりに会った彼女は、表面上は学生時代と何も変わらない、美人で変わらず適当だった。

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