信じられる自分

堂々と踊れ。

昔、バトンをやっていたときに繰り返し言われ続けてきたが、この「堂々と」というのがどうしてもだめだった。自信がなくて、堂々と踊ることなんて到底できなかった。

自信をもつこと。言葉にするのは簡単だが、あまりにも抽象的でどうしたら自信をもって堂々とできるのか全くわからなかった。

先輩や顧問の先生からは何度も叱られた。叱られた分だけ、また萎縮して自信をなくし、堂々と踊ることから遠ざかっていった。

県大会前の夏の練習。大事な舞台を前に、私はまた何百回目かの指摘を受けた。

「自信がないので、堂々と踊ることができません」

そんなふうに答えるわけにもいかず、「ありがとうございます」と指導してもらった御礼の返事をしてうつむいた。下を向くと、少し背中を小さくした自分の影が映っていた。影を見ただけでも、自信のなさが伝わった。夏場の長丁場の練習で体力は奪われ、精神的にも限界だったが、汗をぬぐってまた進歩のない踊りを繰り返して見せた。先輩の顔は怖くて見られなかった。

自信のなさはバトンを辞めてからもつきまとった。ここ一番の勝負時には必ず顔を出す。うまくいけばいくほど、「いつかだめになるのでは」とこの先に待っているであろう失敗が頭をよぎる。どうせうまくいかないのなら、最初からやりたくないという気さえしてくる。

誰かに褒められれば不安になり、いろんな人を羨ましがっては嫉妬し続け、自分でもどうしたいのかよくわからなかった。わからないまま、チャンスも幸せも、ぶち壊し続けた。

不器用で、頭が悪くて、外見もいまいちで、内向的で根性がない。自信をもてるところなんてひとつもないと思っていた。けれども、何もかも自分でぶち壊し続けた後にいよいよ気づいた。

自信がないなんて、甘えでしかないことに。
自分を信じられないのは、信じられる自分をつくってこられなかった自分のせいだということに。

自分をむやみに信じることではなく、信じられる自分になることで自信は生まれる。私は信じられる自分になる努力をしてこなかっただけだった。

そう、思い出したくもないあの日々が頭によぎった。

厳しい部活で、失敗なんて許されなくて。先輩には怒られたくないし、周りの友達の足も引っ張りたくない。怒られないために。足を引っ張らないために。いつの間にか、それが全てになっていた。あのとき、必死になってついていこうとした。けれども、自分を信じぬけるまで努力できていたのだろうか。

地味な顔。頭が悪いところ。誰かが見てなければサボってばかり。人見知りで、度胸もない。ウジウジしていつだって周りに憧れている。
こんな自分は大嫌いで、自信なんてもてるはずないと思っていた。

かわいくて明るくて社交的で。それでいて努力家で、誰からも愛される天真爛漫な人になりたかった。自分とは正反対のタイプになれたら、自信だって勝手についてくると思っていた。そんな人間だったら、きっと堂々と踊れたはずなのに。

それって、変われないことなのだろうか。そう思うのならば、今からでも変わればいい。できる努力をして、別の自分になればいい。

これ以上、自信のないままの自分ではいたくない。

* *

自信がなかったあのころを思い出すと、別の人生を2回送っているような気になる。たしかに記憶の中に存在するが、今の自分とは別の人生のようだ。変わらなければ、と思ってから突然変わったわけではないが、時を重ねていくにつれて、ずいぶんと違う人格に到達してしまった。

今では、「自分のこと好きそう」と言われることさえある。思わず「好きな自分をつくるようにしてきたから当たり前だよ」と言いたくなるが、「そんなことないよ」と笑いながら答える。きっと今、自信がある人にしかできない表情をしているんだろうな、と心の中で思ったりする。

自信がなくて悩んでいる人は意外に多い。その全ての人が努力していないわけではないだろうけれども、私の場合は間違いなく努力不足だった。

ずっとずっと、自信がないから結果を出せないのだと思っていた。だけど、結果を出し続けたら自信は勝手についてくるものだと知った。

自信をつけるには、結果しかない。結果を出すには、行動するしかない。変わるしかない。コンプレックスも、苦手な分野も、全部全部なくしていく。

もちろん、それでもだめな部分はなくならないし、うまくいかないことだって当然ある。怠けるときだってある。変わったことによるデメリットもあるし、なりたかった自分には今でも程遠いかもしれない。

だけどもう自信がないなんて、私は絶対に思わない。

自分を信じられないせいで信じたかった未来までつぶすのは、さすがにもう懲り懲りだ。

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