諧謔日記その50:パディントン良かった!!!!

煙草を嗜む両親のもとで育った。母はぼくが喘息を発症したのを機にきっぱり禁煙したので、なるほど愛がありゃ煙草なんて断てるもんなんだなと思った。父のほうはこそこそ続けていたことが、その認識を強める要因になってしまっていたと思う。そんなわけで、身近な人間が煙草を吸うことに対して「このひとはぼくのことを愛してくれていないんだな」と感じてしまっていたのである。が、まぁ目の前で吸われてるわけじゃあるまいし(べつに迷惑してるわけじゃないので)、そんなのは個人の勝手じゃんね、と思えるようになってきたのは、ジブンがオッサンになるにつれ当たり前に煙草を吸うひとと出会う機会が増えてきたからである。父が禁煙しなかったのはぼくを愛していなかったからということではない可能性があることに気付くのに25年くらいかかっちゃったよ。
ぼくが煙草を嫌うこと自体に変わりはないが、マナーを守って煙草を吸っているひとに対して不快に思うことは一切ない。飲食店なんかで近くに喫煙者がいるとウワーッてなるけど、そんなのは喫煙できる店に入ったジブンが100%悪いのである。

『シェルブールの雨傘』を観たよ!(前置きがおかしい)
物語のあらすじとミシェルルグランのあの有名な曲のことは知っていました。それ以外のことをマジで何も知らずに鑑賞したので、まずミュージカル映画だったということに驚き、続いてセリフも全部歌なので二重に驚いた。ミュージカルでもオペレッタでもないじゃん!
64年だから『オペラ座の怪人』よりも『ジーザスクライストスーパースター』よりも全然前じゃん。けど『キャンディード』の初演よりは全然後なので、このあたりのフォロワーになるのかなぁ。(レチタティーボとアリアで構成されたセリフなしのミュージカルとしての発表時期の比較の話をしているつもりですが的外れだったらごめんね。)
物語の内容としてはまぁそんな今となってはもはやありきたりな恋バナのように感じつつも、「まぁ人生なんてそんなもんだよな」と思わせるようなところが多分にあってグッときた。このあたりは『ララランド』なんかにも通じているよなぁ。やっぱり多くのひとにとって、20代前半とかそこらで体験したような恋だか愛だかよくわかんねぇようなことって、振り返ってみりゃ些細で平凡でありふれたことだったりするんかねぇ。当時はめちゃくちゃドラマチックに感じていたはずなのに、なんて。不変で普遍的なテーマなんだろうなぁ。まぁおれだったらビアンカもフローラも(デボラも)選ばないなって思いますけど。(?)
そ~れにしても第1部のラストや物語のオチのシーンは身震いするほど素晴らしかった~。こりゃあ音楽が印象に残るわけですわ。

『シェルブール』のことは以前所属していた横浜の社会人ビッグバンドで曲を演奏した関係で知った。そのビッグバンドには専属のアレンジャー兼サックス奏者の篠崎秀樹という講師がいて(もはや私の恩師である)、彼がアレンジを書いて自身がソロを吹いたのだが、アドリブで吹いていた印象的なフレーズが作中に登場する別の曲の引用だったことに気付けたのは収穫だったな~~~(これはほぼメモです)

嫌煙家だからでしょうか。映画やテレビを見ていて煙草が出てくると、一瞬ほんとうに煙草のにおいがするんですよ。これはもう20年くらい前から感じていることなんですが。あのにおいの正体ってなんなんでしょうか。父のマイルドセブンか、はたまた祖父のハイライトか。

今回はここまで。

砂の惑星パート2よりもパディントン3が楽しみですって話したら反感買うかな。


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