「手段の目的化」が起こると、組織が目指す方向とは違う方向に突進していく人が増えてしまうので注意が必要。

「生産性」って言葉が有りますけど、大きくない負担で大きな成果を上げることを「生産性が高い」って言いますね。

「負担」は「手段」なわけです。「成果」という「目的」を叶えるための。「大きくない負担で大きな成果を」の「負担」は「手段」なのに、負担を大きくすることを「善」とする考え方が、つい蔓延してしまうときがあります。手段がどうであれ、目的を叶えればいいのに、負担していない(自分を犠牲にしていない)人を見て「なんで負担しないのさ」などと責めたりするのはお門違いというものです。


例えば、「業務スキルを強化する」という目的があった場合、「勉強会を5回開催する」とか「問題集を3冊解く」は手段です。「勉強会を5回開催する」とか「問題集を3冊解く」というプロセスにおいて、回数を褒めさせようとすることは間違っていると言うことです。「こんなにやったのに、どうして評価が低いか?」叶えるべきものが間違っているのです。

手段の目的化が起こると、その人は、その手段の方を正義だと信じ込んで、そのズレてる正義を振りかざすので、すごい勢いでズレていきます。そこを管理者は見極めて、補正していくことが必要だと思っています。

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