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esportsがアイデンティティになるとき

最大限に広い意味でesportsが好きな人に質問。Twitterのbioなども含めて誰かに自己紹介するとき、皆さんはesportsに関連する言葉を使っていますか?

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自己紹介が苦手な人はけっこう多いと思う。自己紹介というのは自分で自分を規定して、どんな要素が自己を成しているかを明確にする行為なので、意外と難しい。

分かりやすい職業や所属、肩書きがあるなら楽だ。何らかの活動をしていて名前が知られていたり、実績があったりするとなおさらだ。たいていの場合、このどちらかが自己紹介の核となっているだろう。こういうのは外在的なアイデンティティと言える。

そういう明瞭なものがない人は、自分の好きなものや持っているもの、誰のファンであるか、どういうゲームをプレイしているか、何をしようとしているか、どんなことを考えているかといったことで自分が何者かを説明しようとする。こういうのは内在的なアイデンティティと言える。

ビジネスやアクティビティの文脈では外在的なアイデンティティがよく使われる。一方、趣味や遊びの文脈では内在的なアイデンティティが多い。皆さんのTwitterのフォロワー、あるいは自分のbioを見て確かめてみてほしい。

自己紹介は自分を何者として説明するかという視点と、自分が他人にどう見られたいかという視点の2つが混合してほどよいバランスを取ったものになる。だから結果として、例えばTwitterのbioはその人自身の考え方がありありと浮かび出ているものになる(言葉の多少すらも)。

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で、ここからが本題なのだが、最近のesportsブームのおかげで僕も1か月に100人ちょっとの人にTwitterでフォローされるようになった。esports界隈だけを眺めてももっとハイペースでフォロワーが増えている人なんて無限にいるわけだけど、僕にとってはたとえ毎月100人でも以前に比べればたいへんに多い。

昔から僕は誰かにフォローされたら相手のbioだけでなくツイートも1か月分くらいは遡って読むようにしていて、それでようやくフォローを返すかどうかを決める(そのせいでフォロー返しが遅いし見逃していることが多々ある)。最近のフォロワーのbioを観察すると、esportsに関連する言葉、特に直接的に「esports/eスポーツ」を使っている人がめちゃくちゃいることに驚かされる。

ビジネスや表現・発信で携わっている人やプロゲーマーは所属や実績を外在的なアイデンティティとして書きやすいかもしれないが、それ以上に、そういった関わり方をしていないであろう人たちが内在的なアイデンティティとして「esports/eスポーツ」を使っているのだ。「あるプロチームのファン」とbioに書く人も数えきれない(スラッシャーも含めて)。

ほんの数年前まではそんな人はほとんどいなかった。おそらく、esportsという言葉の認知度が高まったことが大きな要因の1つだろう。他人に向けて使う言葉として理解を得られるようになったのだ。

そしてそれだけでなく、esportsをアイデンティティにしていいのだという認識を持つ人やesportsをアイデンティティにすることに違和感を持たない人が増えたのではないだろうか。ましてや「ゲームのプロチームのファンである」ことや「プロを目指している」ことをアイデンティティとするなんて、僕からすればちょっとした革命が起きているような気分だ。

繰り返すが、ほんの数年前までそんな人はほとんどいなかった。むしろその逆の認識を持つ人が大半だったはずだ。ところが、風向きは変わった。esportsが好き、あのチームが好き、プロになりたい、仕事にしたい――こうした志向がアイデンティティになっているのだ。

「esportsという言葉が独り歩きしている」「実際のesportsタイトルのことは全然知られていない」といった言説はたしかに的を射ている。しかしその前に、esportsという言葉が知れ渡ったことで何が起きているのかをちゃんと理解する必要がある。その1つが、esportsを内在的なアイデンティティとして表明する人が増えた、ということだ。

僕がそういう人たちを羨ましく思うのは、自分がそれを素直にできないからだ。できないというか、「esportsが好き」と直球で書いていいのか、その資格ないし覚悟があるのかが分からなくて不安だからだ。あと正直、いまさらそれを明示するのが気恥ずかしい。

happy esportsが僕のアイデンティティの1つになっているのは間違いない。ゆえにこの活動自体で察してくれというのが本音(だからそのことは自信を持って言える)。たぶん、esports関連の自己紹介に関して外在的なアイデンティティを書いている人は、僕と同じ心持ちなのだろう。

でも実は、外在的なアイデンティティは自己に依存しない枠や型なので表明しやすく、逆に内在的なアイデンティティは心の内側のことなので晒すのに度胸がいる。そのことを考えると、esportsを内在的なアイデンティティにしている人の存在にますます目を見張らざるをえない。

いずれにせよ、esportsやこれに関連する言葉で自分のことを説明でき、誰か――家族、先生、自治体、企業、そして世間――に理解してもらえるのは素敵なことだ。それはもちろん、いままさにその理解を深めるべく最前線で活動している人たちがいればこそである。

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