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プラットフォームとしてのゲーム――esportsは面白いゲームの上に成り立つ

ゲームはそこに内包されたコンテンツを遊ぶためのものだ。当たり前すぎて言うまでもないが、実際のところ、内包されたコンテンツ以外のものを享受するためのプラットフォームとしても利用されつつある。

直近では『Fortnite』のゲーム内で開催されたMarshmelloのライブがそうだし、ゲームを通じてリアルの交友が広がっていくのも珍しくない。

esportsはその最たるものの1つだ。ゲームに内包されたコンテンツを遊びながらも、ゲーム外にいるプレイヤーの一挙手一投足にファンが注目し、そこで渦巻くさまざまな感情を共有する。自分ではゲームを遊ばず、esportsシーンだけを堪能している人すらいる。

では、ゲームは今後もっとプラットフォームとして利用されていくのか? だとすると、どのような可能性があるのか?

今回は「プラットフォームとしてのゲーム」について着目し、esportsとの関係性と可能性を考える。esports興行というのは基本的に「面白くて人気のある対戦ゲームに乗っかるもの」なので、ゲームをプラットフォームとして捉えることが重要である。

Marshmelloライブの衝撃

皆さんは『Fortnite』内で開催されたMarshmelloライブ(Party at Presant Park)に参加、または動画を観たり関連記事を読んだりしたことだろう。日本時間の2月3日に開催され、世界中から1000万人以上の同時接続があったようだ。

バーチャルライブと言われるように、このライブはどこかにオフラインの会場があってその様子をゲーム内に反映させているものではなかった。メイン会場が『Fortnite』というゲーム内に用意され、ログインして試合に入れば誰でも参加できた。しかも、ライブは録音ではなくリアルタイムだったという。

ちなみに、会場自体も設営途中の状態がゲーム内で実装されていて、プレイヤーなら誰でも見ることができた。Marshmelloとのコラボだけでライブの公式発表がなくても、実際にゲームをプレイしている人にだけは情報が行き届いていたのだ(開催日時はゲーム内のチャレンジで知ることができた)。

そういう盛り上げの演出やバーチャルライブを実装した技術も称賛したいが、なによりゲームをライブ会場にしてしまったことそのものに衝撃を受けた人は少なくないはず。だって、これができるならゲームをプラットフォームとして使って何でもできそうだからだ。

ちなみに、ライブのプロモーション効果もとんでもなかった。

サービスからプラットフォームへ

いまのゲームのビジネスモデルを見渡すと、パッケージを売って終わりという昔ながらの売りきり型ゲームよりも、継続的にコンテンツを提供していく運用型ゲームが大勢を占めてきている。後者を Game as a Service(GaaS)と呼ぶこともある。

GaaSにおいて重要なことは、1人のユーザーを長くゲームに引き止めておくこと(そして何度も課金してもらうこと)である。そのためにどんどん面白いコンテンツが追加されていくし、次々にゲーム内イベントが開催され、タイトルによってはesports(競技志向、プロリーグ)に展開していくこともある。ユーザーに毎日ログインさせ課金させる高度な戦略が練られているのは誰もが知るところだ。

しかしながら、ユーザーがゲームに使える時間は限られている。また、それぞれのゲームが面白くなればなるほどユーザーが1つのゲームに費やす時間とお金は増え、同時並行でプレイするゲームの数は少なくなる。多くの人にとって、人口の多いゲームでトップに立ったり課金したりすることに意味があるのだ(自慢したいからね)。

ましてや何度も繰り返しプレイすることでさらに面白くなっていくesportsタイトルなら、1つのゲームをやり込む必要がある。おまけに関連するゲーム実況動画や生放送、大会や番組まである。ああ、時間が足りない!

GaaS化、そしてesports化によって何が起きているかというと、ごく少数のゲームに大半のユーザーが集まるようになっているのである。競技としてプレイされているゲームはおそらく世界で100本もなく、日本でも数十本。その中でも国内で興行が可能なゲームはいまのところ10本くらいだろう。JeSUのライセンス認定タイトルもたった11本しかない。Steamだけでも毎週180本もゲームがリリースされているし、コンソールやモバイルを含めれば膨大な数になる。それと比べれば、繁盛しているesportsタイトルがどれほどの寡占状態にあるかは一目瞭然である。

仮に新しい対戦ゲームが発売されたとして、味見をするユーザーはいても、自分がプレイしているesportsタイトルから本格的に移行しようとする人は多くない。いまプレイしている対戦ゲームなら面白いことが確実に分かっていて、人口が多くてマッチングが早く(大事だ!)、一緒に遊ぶ友達もいて、大会が頻繁に開催され、プロシーンがあって応援している選手やチームもいる。

なのに、なぜわざわざ何もない新作に移行しなくてはならないのか? それには新作がめちゃくちゃ面白くなくてはならないだろう。プロゲーマーとして活躍している人が移行するケースもほとんどない(よってファンも動かない)。そしてもしユーザーが移行する場合、その前にプレイしていたゲームのプレイ時間はかなり減ることが予想される。

この寡占状態は、市場参入を目論むゲーム会社にとっては嬉しくない(あるいは競合が少なくパイは大きいという豊穣な市場に映るかもしれないが)。他方、興行を狙う企業にとっては紛れもなくおいしい状態である。なぜなら、単一タイトルで興行を成り立たせるために必要な大勢のユーザーが存在しているからだ。

ここに興行としてのesportsが誕生した経緯を見ることができる。最初、人気の対戦ゲームを遊ぶユーザーの中に、トッププレイヤーの試合を観戦することに楽しさを見出した人がいたのだろう。その人数が増えれば増えるほど競技志向のプレイヤーが織り成すシーンに(経済的)価値が生じる。その結果として興行が展開されていくことになった、と。これこそまさに「ゲームがプラットフォームとなり、その上でesportsが展開された」と言うことができる。

同様に、『Fortnite』内でMarshmelloライブが開催されたのは『Fortnite』がゲームとして人気を博し、膨大なプレイヤー人口を擁していたからだ。そしてそれとは別の方向に現在始動中のesportsもある。『Fortnite』はただGaaSとしてだけ運営されているのではなく、強力なプラットフォーム――Game as a Platform(GaaP)としても存在している。

※海外のesports潮流を受けて、日本でも多くの人が対戦ゲームの競技シーンを興行化しようとしている。だが、興行を行なうなら対戦ゲームよりプレイヤー人口の多いゲームはいくらでもあるのに(競技志向のプレイヤーは53.9万人)、なぜ「対戦ゲームでesports」なのだろうか? それはたぶん、esportsという言葉が先に輸入されたため海外と同じ形でやろうとしているのと、対戦ゲームの試合を大会などの形でゲームの外に持ち出しやすいからだと思われる。「『FGO』で興行」ならコスプレや同人誌、チョコなどだろうか。

ゲームというプラットフォーム

このように考えると、プラットフォームとしてのゲームはすでに我々が親しんでいるものであることに気づく。

『Pokémon GO』は非常に分かりやすい事例だろう。飲食チェーン店がポケストップになる、観光地限定のポケモンが登場する、といった施策は『Pokémon GO』が広告(プロモーション)のプラットフォームとして利用されているということだ。

『Minecraft』を挙げてもいい。ゲーム自体が無数の遊び方を許容するプラットフォーム的なデザインになっているだけでなく(『Fortnite』もそうだ)、国内外で教育に活用されていて、Microsoftは『Minecraft:Education Edition』をリリースしている。あるいはゲーム内で集まって動画を視聴できるし、本作のMODがバトルロイヤルの元祖になった説もある。GaaPとして象徴的な作品だ。

ユーザー数が多いゲームはただそれだけの理由でプラットフォームとして活用しうる。だから、上述したようにesportsはあくまでゲームというプラットフォームの上に成立するものであり、いきなり「プレイヤー側の考えは分からないけどこのゲームでesports! 興行!」と謳うのは順序がおかしい(競技として展開したいのならまだ分かる)。

なによりまずは個々のゲームのプレイヤー人口を増やさないといけないのだ。そこをすっ飛ばして大会観戦者やファンが増えるのかは僕には分からないが、SupercellのFrank Keienburgの言葉には耳を傾けておきたい。

「結論から言うと、Supercellは “esportsタイトルは狙って作れるものではない” と考えています。個人的には、コミュニティの反応を見る前からデベロッパーが “新しいesportsタイトルです” と謳うのはどうかと思っています」

「Supercellはその順番を逆にしたいと思っています。私たちは、親しみやすいゲームプレイや観戦機能など、トーナメントオーガナイザーやインフルエンサーにトーナメントを企画・開催したいと思ってもらえるベーシックな “ツール” を用意するだけです」

Supercellが見つめる『ブロスタ』の未来」より

最初に面白いゲームありき。そのゲームがesports化するかはプレイヤーとコミュニティ次第だ(もちろんプレイヤーからの声を受け止めるゲーム会社の役割も重要)。だから、興行を推進したい企業や人はすでに人気がありesportsとして成立しているゲームに乗っかることしかできないし、そしてそれが正解だ。

この前提に立てば、興行者はゲーム会社がリソースを注ぎ込んで作ったゲームに対して多大なリスペクトを示さなければならないことがはっきり分かるだろう。「ゲームを使わせていただく」という姿勢が大事だ。そしてゲーム会社はゲームを利用しながらゲーム内コンテンツ以外で収益化を図ることができる。

さて、プラットフォームとしてのゲームとesportsに関する理屈は以上として、ここからは実際にゲームをプラットフォームとして捉えたときにどのような可能性があるのかを見ていきたい。それはおのずとesportsをベースにして何ができるのかを考えることでもある。

オンライン会場としてのゲーム

まず、繰り返すように大会やイベントのオンライン会場としてゲームを利用することができる。Marshmelloライブはゲーム内に会場を設置して、プレイヤーがゲームにインして参加するイベントだったが、ディスプレイのようなものを設置すれば外部のイベントのパブリックビューイング会場としても利用できるだろう。

事例としては、いまはなきMMOのmeet-meでサッカー日本代表戦を観戦するイベントがあった(Jリーグの試合だったかもしれない、もう記憶が曖昧で記録も残っていない)。ゲームと直接は関係ないコンテンツだが、1000人くらいがゲーム内のイベント会場に集まり、ディスプレイに表示される試合を観戦した。

もちろん、イベントの現場感を得るには『Fortnite』やMMOのような自分のアバターを操作するタイプのゲームで、かつフィールドに一度に多人数が参加できる必要があり、『LoL』や『クラロワ』のようなゲームでは難しい。しかし、ゲーム内で試合を観戦できる機能はあるので、大会観戦のプラットフォームとしてゲームを利用するのは悪い手ではない。それどころか、観戦者を増やす施策として非常に有効だろう(実際、『クラロワ』で最近実装されたグローバル大会というモードでは、ランキング上位陣の試合を数千人がゲーム内で観戦していた)。あるいはゲーム内でYouTubeなどを利用できればよい。

技術的に可能かどうかはさておき、という前提になるが、ゲームをオンライン会場として捉えると、その利用方法はいくらでも想像が広がっていく。

コミュニティとしてのゲーム

ゲームを通して誰かと知り合い、交流する。これはもはや日常茶飯事だ。

その交流の場には2種類あり、MMOや対戦ゲームのクラン(グループ)など、ゲーム自体がコミュニティ(場)となる場合と、ゲームの外――DiscordやTwitterのようなツール、あるいはオフラインが利用される場合がある。この記事では前者、ゲーム内のほうがテーマに沿っている。

例えばクランなどグループを形成できる場合、そのグループ内で世間話のほかにも「次にどのゲームを遊ぶか」という話が行なわれることがある(『FF14』になぜ麻雀が実装されたのかを考えてみよう)。そしてそのゲームを遊び終われば、また元のゲームに集合する(たぶんログインしたままだろうが)。これはまさしくゲームがコミュニティ(場)として使われているわけで、ゲーム会社としては自社のゲームがそのように機能するのは本望ではなくても否定するものではないだろう。

すると、そのコミュニティに向けたゲーム内コンテンツ以外の施策やマネタイズが可能となる。広告の配信かコラボイベントか、いろいろと考えられるだろう。そのゲームがesportsタイトルなら、フレンドとの交流促進や大会告知、観戦推進も行なえる。

広告枠としてのゲーム

昔からエンタメ作品の中に企業の商品や広告を登場させるプロダクト・プレイスメントという手法がある。また、基本無料のゲームアプリでは世界観もクソもなく画面内にひょこっと広告バナーが表示される。だから、ゲームを広告枠として捉えるのはまったく新しい観点ではない。

また、ゲーム同士やゲームとアニメのコラボや、それこそ『Fortnite』とMarshmelloのコラボも、ゲームを広告枠として捉えているから実現したものだ。ストリーマーやプロゲーマーをモチーフにしたアイテムがゲーム内で配布・販売されることもよくある。

さらに対戦ゲームでは、ゲーム内のフィールドに大会の告知バナーが設置されることがある。また、『スト5』のように対戦ステージを大会仕様にしたり、キャラクターの衣装に広告を掲載したりすることも可能だ(後者は大不評を買って撤去されたが、これはゲームの世界観を壊していたからだ)。

あるいは、『Rocket League』ではボールやスタジアムの壁に任意のイメージを貼りつけることができ、RAGE Shadowverse Pro Leagueでは伏せカードの裏面にチームロゴを表示している(とすると何でも表示できる)。

大会番組ではよくスポンサーのロゴが番組画面内に掲載されるが、上記のようにゲーム内で任意に広告を掲出できるようになるなら、ゲーム会社もオーガナイザーもスポンサーにより面白い提案ができるようになっていくだろう。当然それはゲームの世界観を守りながらでなければならない。

ゲームをプラットフォームとして開発すること

ここまで、ささやかながらプラットフォームとしてのゲームについて議論し、いくつか前例と可能性を見てきた。このほかにも可能性はまだまだ考えられるだろう。フィットネスや音楽・映画創作のプラットフォーム、『スプラトゥーン』のようにアイドル/アーティストを育てるプラットフォームとしても有望だ。が、今回は以上を試論として終えたい。

ところで、ゲームをプラットフォームとして開発するのはどうなのか? おそらく失敗する、と歴史は教えてくれる。『Second Life』を思い出せばいい。同作は最初からGaaPとして作られ失敗した。というより、プラットフォームを目指したがMMO(ゲーム)だと受け止められて失敗したのだ(役所での用事を済ませられるゲームがあれば繁盛するかもしれない。要するに、インフラだ)。

また、最近はdappsのゲームが注目されているが、トークンなり暗号通貨なりを獲得できることが主体となるときっと立ち行かなくなることが想像できる。なぜなら、ゲーマーは第一に面白いゲームを求めているからだ。ゲームが人気を得るには面白くなくてはならない。

『Minecraft』がバニラでもずっと遊んでいられるほど面白いように、ゲームはあくまでゲームとして自立していなければならない。GaaPもesportsもその礎があってこそ成立するものだ。そしてesportsの興行者はその肩に乗ってゲームをブーストさせる。

でも、将来はもしかしたらゲームないしVR空間の中の学校や会社に通うのが常識になるかもしれない(VRChatのように)。いずれにせよ、ゲームは今後よりプラットフォーム化していくだろう。

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