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最高峰のプロ大会なのにダサい表彰式、いったい何がダメなのか

2018年は日本でもいろんなタイトルでプロリーグやそれに類する大会が開催された。そのうちほとんどを視聴したのだが、1つ思うことがあった。

表彰式、ダサくない?

この「ダサい」は僕の主観で、定量的に評価するのは難しい。しかし、僕がダサいと感じる表彰式には共通点があり、あわよくば読者の皆さんにも共感してもらえるのではないかと思う。

では、どうしてダサい表彰式だとダメなのだろうか。そこには、大会の哲学やブランディングに大きく関わる課題が横たわっているのだ。

ということで、今回はダサい表彰式を参照してどこが問題なのかを突き止め、お手本にしたいクールな表彰式をざっと眺めよう。

【目次】
表彰式は大会の哲学を象徴する
ダサい表彰式が多すぎる
6つのダサい事例
ダサい事例の共通点とそうなる理由
6つのクールな事例
大会を貫く哲学がブランドになる

※河内一馬がサッカーにおける「ダサい」と「クール」の議論をしており、たいへん参考になる。本記事もこの問題意識を共有している。ダサい組織が死ぬなら、ダサい大会も死ぬ。

表彰式は大会の哲学を象徴する

大会の大きな目的の1つは、真の王者を決める格付けである。日本ではタイトルによってまちまちだが、パブリッシャー主催とコミュニティ主催による大会がその目的を有しており、2018年から2019年にかけてはパブリッシャー主催の格付け大会がいろいろと開催された。

それらはプロリーグやプロツアーと称する大会で、当然ながら最後に真の王者が決定する。その際、栄誉を讃えるための表彰式が行なわれるわけだが、表彰式は実は大会を貫く哲学を象徴する儀式なのだ。

哲学は思想や美学、世界観、コンセプト、ビジョン、理念など何と言ってもいい。その大会をなぜ開催すべきなのか、どういうテーマで何を目的に開催するのか、そうしたことを考える土台だ。格付けを目的にする大会であれば、やはりそのとき誕生した優勝者を最も輝かせなければならないし、それにふさわしい表彰式が必要だ。

だから、大会がどういう哲学のもとに開催されているのかは、表彰式を見ればよく分かる。クールな表彰式は哲学が貫かれており、観るものを魅了する。逆に、ダサい表彰式は哲学が曖昧か、哲学を表現するための想像力が行き届いていないことを意味している。

哲学はブランドの根幹だ。どの大会の主催者も、当たり前だが大会を強力なブランドに育てたいと考えている(言いかえると、プレイヤーやファンが集う場にしたい)。ブランドが立つからこそ、その大会には栄誉や権威が備わり、優勝することに計り知れない価値が宿ることになる。

ブランドを立たせるためにこそ、大会の哲学は大事だ。そして、それを象徴する表彰式も大事なのだ。河内一馬が言うように、ダサいと死ぬ。哲学がない、それはつまり長期的戦略がないということに等しいのである。

ダサい表彰式が多すぎる

ところが、2018年に開催された国内のプロ大会(リーグやトーナメント、ツアーなど形式は問わない)の最終決戦後に行なわれた表彰式はことごとくダサい。いやいや、クールな表彰式もあるだろう、と思って大会番組を見返していたが、希望は打ち砕かれた。

僕が指差しているのはパブリッシャー主催の、お金、人手、設備、時間といった主要なリソースが充分用意されていたであろう大会である。コミュニティ大会や、そういうコンセプトの大会(CAPCOM Pro Tour ジャパンプレミアなど)のことはとやかく言わないし、誰に頼まれたわけでもなく開催しようとする好事家の大会に哲学がないわけがない。コミュニティ大会の表彰式は雑然としていることがままあるが、それこそ哲学の表れでクールだと思う。

では、充分なリソースがあるのに表彰式がダサい大会というのは、いったい何が原因でそうなってしまうのか。百聞は一見にしかずということで、以下で6つの事例を見てもらいたい。いずれも2018年から2019年にかけて開催された、国内最高峰を志向するパブリッシャー主催の大型大会である(国内開催のアジア大会と世界大会も含む)。

なお、あくまで表彰式がダサいのであって、そのほかの部分についてはこの記事では言及しない。

※というか、全体の演出のクオリティ、試合の質はどの大会も文句なく高いし、大会を開催してくれているありがたみは重々理解している。なので、表彰式ももっとクールに仕上げていってもらいたい。

※ところで、表彰式がダサいという意見をあんまり見ないが、僕しかそう思っていないのか?

6つのダサい事例

各画像とキャプションに「優勝決定から表彰式までの流れ」が分かる大会番組のURLを張っているので、目を通してから読み進めてほしい。

「ぷよぷよチャンピオンシップ」2018年度12月大会

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【eスポーツプロ大会】「ぷよぷよチャンピオンシップ」2018年度12月大会生中継

最初に挙げるのはセガゲームスが主催するぷよぷよチャンピオンシップ。出場している選手は何も悪くないが、この画像の構図に漂うダサさは何とも言いがたい。日本一を決める最高峰の大会のはずなのに、学校の運動会のようだ。

僕が感じるダサいポイントは以下のとおり。

●試合終了後に優勝者に当てはめられるフレーム。
●試合終了後、出場選手がぞろぞろとステージに出てくること。
●そのせいで段取りが悪くなっていること。
●パブリッシャーの中の人が突如ステージに出てくること。
●賞状を読み上げて手渡すこと。
●トロフィーを手渡すこと。
●選手が賞状を受け取るとき、周囲や後ろに関係ない選手や人が映り込むこと。
●パネルとトロフィーを選手と中の人が一緒に掲げること。
●いちいちMCの人を映すこと。
●選手以外の人が大会の感想を話すこと。
●最後のポーズと掛け声。
●画面の端に地べたに座っているスタッフが見切れていること。

上記に「なんで?」と思う読者もいるかもしれないが、具体的な分析は残りの事例を見てからまとめる。

eBASEBALL パワプロ・プロリーグ 2018-19 SMBC e日本シリーズ

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eBASEBALL パワプロ・プロリーグ 2018-19 SMBC e日本シリーズ

次はコナミとNPBが共催するeBASEBALL パワプロ・プロリーグの日本シリーズ。試合終了後からインタビューまでは最&高で、プロ野球と同じ流れで進行されていく。

しかし、そこで終わっておけばきれいにまとまるのに、なぜか改めて表彰式が行なわれる(ここまでプロ野球を踏襲しているということではある)。日本の大会はこういう分割形式が非常に多く、さらにそれがダサい表彰式となってしまっていてもったいない(分割形式でもクールな例はある。後述のPAI参照)。しかも、この大会は表彰式が30分もある。長すぎる。

僕が感じるダサいポイントはぷよぷよチャンピオンシップとだいたい同じだ。主催やスポンサーの中の人がステージに上がってきて優勝者にトロフィーなどを授与する構図は見慣れたものだが、それが本当にブランディングやプロモーションに役立っているかは疑問だ。

スポンサーの顔を立てるという意味でそういう演出をしているのかもしれない。でも、観ている側からすれば「いきなり出てきて誰だよ」となる。世界観を壊してまで優勝者以外がステージに立つ必要はないし、彼らからトロフィーなどが授与される姿も違和感しかない(その理由は後述)。

Shadowverse World Grand Prix 2018 GF

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【チャットなし】Shadowverse World Grand Prix 2018 GF

次はCygames主催のShadowverse World Grand Prix 2018 、そのグランドファイナル。ふぇぐが100万ドルのポセイドンを決めた大会だ。画像にあるように、出場選手がステージに総並びする構図がダサい(トロフィーを掲げたときに後ろに映るし)。それどころか、プロデューサーがトロフィーを手渡したり、長々と話したり、誰が主役か分からなくなる。

さらに、出場選手だけでなくキャスター陣、運営陣までもがステージに上がって感想を述べていく。これがまたダサい。優勝が決まったあとにステージに立つべき、口を開くべきは本来1人だけだ。その1人を決める戦いの場だったのではないのか。なお、RAGEも似たような形の表彰式になっている。

ゲームや次回大会のお知らせも表彰式の延長で行なわれるが、そういうのはいったん表彰式を終えてからやればいいのだ。Capcom Cup 2018ではその形式が取られていた。

クラロワリーグ アジア シーズン2 プレイオフ

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クラロワリーグ アジア シーズン2 プレイオフ

次はSupercell主催のクラロワリーグ アジア シーズン2 プレイオフ(東京開催)。いったいなぜ日本での大会は表彰式で出場選手全員をステージに上げたがるのか? なぜトロフィーを誰かから選手に手渡そうとするのか?

トロフィーとは優勝者が勝ち取った栄誉の証であって、誰かに認められたことの証ではない。だから、誰かに授与されるべきものではないし、選手より先に誰かが持っているということ自体が世界観をぶっ壊している(しかもこの大会では渡し方が非常に雑で悲しい)。

テニスの全豪オープンなどでは主催側からトロフィーが手渡されるが、これは大会の歴史という重みを表現するためにふさわしい方法だろう。esportsでも、前回優勝者から手渡されるならそこには哲学が見て取れるが、そういうものを感じる表彰式は現状ほとんどない。

※優勝旗返還の儀式もすごく好きだ。

コール オブ デューティ ワールドウォーII プロ対抗戦 in 東京ゲームショウ2018

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【グランドファイナル】コール オブ デューティ ワールドウォーII プロ対抗戦 in 東京ゲームショウ2018

次は東京ゲームショウ2018で行なわれた、SIE主催によるコール オブ デューティ ワールドウォーII プロ対抗戦、その優勝決定戦。またしても優勝チーム以外がステージに残っており、しかもパネルをキャスターが「これぞ作業」といった感じで優勝チームに手渡している。トロフィーもキャスターによる手渡しだ。

そもそも負けたチームにコメントしてもらう必要はない。選手自身もたったいま負けたばかりで、コメントできる心境ではないだろう。なのに、この大会を含め多くの大会で負けた選手にもコメントを求める。なぜなのか?

また、トロフィーやパネルを掲げている選手の真横に準優勝チームが何とも言えない顔で佇んでいるが、この構図に疑問が抱かれないのが不思議でしょうがない。

モンスターストライク プロフェッショナルズ2018

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【ツアーファイナル】モンスターストライク プロフェッショナルズ2018【モンスト プロツアー】

最後に、ミクシィ XFLAG スタジオが主催するモンスターストライク プロフェッショナルズ2018、そのツアーファイナル。大会の演出や試合の魅せ方は非常にすばらしく、おそらく国内のesports大会でもトップ3に入るだろう。ところが、表彰式はダサい。

こういう形の表彰式になってしまうのは、表彰式を「大会を総括する場」と捉えているからかもしれない。だから、優勝者以外がステージにぞろぞろと上がってくるし、キャスター陣や運営陣がコメントをするというダサい事態を引き起こしてしまうのだと思われる。

ダサい事例の共通点とそうなる理由

さて、ここまで6つの表彰式を見てきた。もし「全然ダサくない」と思った読者がいれば、ぜひその考えを文字にしてほしい。繰り返すように、ダサいと感じるのは僕の主観でしかなく、上記の表彰式をクールだと感じる人もいると思われる。

とはいえ、ここでは6つの事例から共通点を探り、僕が感じるダサさの原因を突き止めたい。そのためにまず、表彰式というものを捉え直そう。

日本の大会の表彰式は、基本的に学校の運動会の形式を踏襲している。その根底にあるのが、「みんなが頑張った」「大会を作った人も頑張った」「栄誉は偉い人から授与されるもの」「表彰式は大会全体を総括する場」という考え方だ。

みんなが頑張ったから、決勝戦で破れた選手が栄光の舞台(ステージ)に残り、はたまた出場した全選手がぞろぞろと上がってくるのを当然視する。

大会を作った人も頑張ったから、キャスター陣や運営陣がステージに上がってくる。主催やスポンサーの中の人も、自分たちがリソースを出したからとステージに上がってくる。みんなでみんなを讃えよう、そういう空気を作り出す。

栄誉は偉い人から授与されるものだから、主催やスポンサーの中の人が賞状を読んで授与したり、トロフィーを手渡したりする。上記2つはまだ許せるが、これだけは本当にダサい。賞状自体がダサいし、賞状を読むなんてもってのほかだ(大会の世界観が運動会なら分かるが……)。

そして、表彰式は大会全体を総括する場だから、いろんな人が感想を述べなければならない。まさに、我々が学校生活において最も毛嫌いした校長先生やPTA会長のお話だ。ステークホルダーだからといってステージに立って話をしなければならないわけではないのに(選手も観戦者も誰1人として望んでいないはず)、現場ではそういう空気になってしまうのだろうか?

要するに、表彰式といえば運動会の表彰式であって、ほとんどの国内大会がなぜかそれを再現してしまっている。どの大会も試合の演出や選手紹介はとてもクールなのに、表彰式だけはダサいのはこれが原因だろう。

※運動会がダサいのではなく、大会の哲学がないこと、哲学を貫けていないこと、哲学を表現できていないこと、表彰式やトロフィーの意義に想像力が及んでいないこと、その結果として表彰式を(見慣れた無難な)運動会形式にしてしまうことをダサいと言っている。

※記事公開後、賞状を渡さなければならないという手段の目的化では、と鋭い指摘をいただいた。

では、クールな表彰式にするにはどうすればいいのだろうか。

具体的な事例はこのあと見ていくが、格付けが目的の大会であれば、表彰式は優勝者のためだけの場であると認識しなければならない。だから、最低限の運営や進行に不可欠なスタッフやMC以外は、基本的にはステージに上がってはいけない。言葉を発する権利を持つのも優勝者だけである(進行役は別として)。

表彰式が優勝者のためだけの場だとすると、その役割も見えてくる。つまり、優勝の栄誉をいよいよ名実ともに掴む場であるということだ。栄誉は主催やスポンサーの中の人から授かるものではけっしてなく、数々の屍の上にファンからの期待を混ぜ合わせたところにおのずと生じるもの。それが形となったのがトロフィーであり、唯一優勝者だけが掴み取りうる。

だから、慣例だからと誰かがトロフィーを優勝者に授与するのはダサい。そこには不可避的に渡す者と受け取る者という関係性が生まれている。トロフィーは優勝者だけか、あるいはそれを真に渡すに値する人だけが(つまり大会の哲学にふさわしい人のみが)触れるべきだ。いやもちろん、制作や設営のときにスタッフが触っているわけだが、それは大会の世界観の中での出来事ではない。

LoL WCS(Worlds)を始め、多くの世界大会でトロフィーが最初からステージに安置されているのは、唯一の優勝者が文字どおり栄誉=トロフィーを掴み取るためである。それこそまさに大会の哲学が表現されており、クールな表彰式だと言える。

ということで、僕がクールと感じた表彰式を紹介していく。

6つのクールな事例

LJL 2017 Summer Split Final

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LJL 2017 Summer Split Final Game5 DFM vs RPG

ライアットゲームズ主催のLJL 2017 Summer Split Finalは幕張メッセで開催された。国内大会では近年有数のクールな表彰式だった。

トロフィーは始めからステージに中央にそびえており、それを巡って両チームが争う構図が作られていた。そして、画像のように優勝者が掴み取った。ただ残念だったのは、選手が整列したあとMCの合図でトロフィーに駆け寄ったことだ。優勝した瞬間にもう一気に全員でトロフィーを掲げに行ってほしかった。MCの合図を待つというのはあまりにもダサいし、MCが配信画面にでかでかと映ること自体がダサい。

ちなみに、僕がさらに胸を打たれたのは、DetonatioN FocusMeがRampageと握手を交わしたあと、カメラにも映らず、さらに光がまったく当たっていない道を歩いて控え室に帰っていくことを是としたことだ。彼らの背中が物語る痛みは言葉にしがたい。優勝と2位の差はそれほどまでに大きいのだ。だとすれば、出場選手全員がステージに上がることがいかに優勝の価値を貶めていることか。

PUBG Asia Invitational Macao 2019

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PUBG Asia Invitational Macao 2019 日本語配信 Day3

次に、PUBG Corp.主催のPUBG Asia Invitational Macao 2019から。全試合が終了した直後、ポイントの集計は一瞬で終わり、優勝者がステージの頂上へと登っていってトロフィーに手をかけた。優勝決定からトロフィーを掲げるまでがシームレスだったのが見事だ。

このあと別枠で3位までが讃えられる表彰式が行なわれるが、すでに優勝者が栄誉を勝ち取ったのを観ているので、その余韻の中で鑑賞できる。PAIの2段階の表彰式は哲学にもとづくアイデアが練られているので、とてもクールに映る。

クラロワリーグ 世界一決定戦2018

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クラロワリーグ 世界一決定戦2018

Supercell主催のクラロワリーグ 世界一決定戦2018は幕張メッセでの開催。勝利直後、Nova eSportsはもしかしたらアドリブでチームロゴを掲げたのかもしれない。ステージにトロフィーを設置しなければならなかったので(配信画面ではハイライトが流れているが)、勝利したらすぐチームスペースに引っ込む指示がなされていたはずだ。

そもそも最初からトロフィーをステージに置いておけばよかったと思うが、Nova eSportsのアドリブで優勝の演出はよりクールになったと言えよう。表彰式のために短い準備時間が設けられたが、表彰式自体はすばらしい。チームがトロフィーを掲げ、その余韻の中で配信も終了する。

Worlds 2018

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Worlds 2018 Final: Fnatic vs. Invictus Gaming

Riot Games主催の2018 League of Legends World Championship。言うべきことは何もない。

The International 2018

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[EN] The International 2018 Main Event

Valve主催のThe International 2018。こちらも言うべきことは何もない。

Red Bull Tower of Pride

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RedBullTowerofPride

WorldsとTIの表彰式は最高にクールだ。それは日本のesportsシーンが目指し超えていかなければならないマイルストーンの1つだろう。でも、僕の一番のお気に入りはRed Bull主催のTower of Prideだ。

『スト5』を極めんとするプレイヤーたちが、己のプライドのみを懸けて戦った大会。『死亡遊戯』のごとく、選手は勝ち上がるごとにタワーを登っていった。頂点に辿り着いたのはかずのこだ。その名が叫ばれ、かずのこがトロフィーを掲げる。紙吹雪が舞い、一時の余白ののち、配信が終了する。あとには心地よい余韻だけ。

視聴者は唖然とした。そこで終わるのか、と。だが、これこそ最も洗練された、最もクールな表彰式だ。Tower of Pride、まさにその哲学が表れている。表彰式は優勝者のための場なのだ。その栄誉が讃えられれば、ほかには何もいらない。

※Red Bullというサードパーティ主催なのが味わい深い。

大会を貫く哲学がブランドになる

改めてクールな表彰式に共通するポイントを分析すると、試合が決してからチームが歓喜し、両チームが握手し、優勝チームがトロフィーを掲げ、そしてインタビューを受けるという一連の流れがシームレスであることが見て取れる。これは優勝という熱をそのままステージ上で奔走させているからにほかならない。観客もその熱にあてられ、拍手と歓声を贈る。ゆえに、優勝決定から表彰式の間に「準備」が介入すると、一気に興醒めする。

こうして比べてみると、ダサい表彰式とクールな表彰式の差は歴然としているのではないだろうか。僕がダサいと言う理由を少しは感じ取ってもらえたと思う。これはローカル大会と世界大会の差ではない。現に、CBLoL(ブラジルのLoLリーグ)の表彰式はWorldsと遜色ない(そもそも国内最高峰の大会は世界レベルを目指しているはず)。

最初に書いたように、この差はお金や人手といったリソースに起因するのでもない。哲学の有無と想像力の問題だ。Tower of Prideがすばらしいのはステージが豪華だからではなく、大会の哲学をいかに表彰式で表現するか、考え抜かれた末の演出だからである。

当然ながら、誰かがダサい表彰式にしようと考えているわけではない。ほんの少し、どういう表彰式がその大会の哲学にふさわしいかと想像力を巡らすだけで、日本のesports大会の表彰式は一瞬で洗練されていくことだろう。いまの数々の現場にはそれを可能とする人たちが集まっている。

「誰のための大会か、表彰式か」と問われれば、関係者は皆一様にこう言うだろう、選手のためだと。選手がいなければ大会は成立しない。それはスポンサーにとっても同じだ。大会は選手が、そして優勝者が主役なのである。

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本編は以上です。以下、余談や小話を有料パートでお送りします。本編で明らかにしていない核心が書かれているということはありませんが、なぜこの記事を書いたのか、なぜこの記事が必要なのかといったことを書いています。

【テーマ】
大会運営者は華々しい世界大会の映像を視聴したり現地で観戦したりしているはずなのに、なんで運動会形式の表彰式になってしまうのか問題を再び

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