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人気ゲーム実況者は視聴者の代わりに感情を爆発させている

1年前と比べると、めちゃくちゃたくさんゲーム系の動画や生放送を観るようになった。

かつてはそんなの観ないしハマらないと冷笑していたのに、まったくいまや家に帰ってきたら最初にYouTubeを開いてお気に入りのゲーム実況者の最新動画をチェックしている。生放送が始まったら一目散に齧りつく。

といっても、そういえばニコニコ動画の全盛期はよくゲーム動画を観ていた。自分でプレイすると長時間を要されるゲームの(テンポよく編集された)プレイ動画や、『The Elder Scrolls IV: Oblivion』や『The Elder Scrolls V: Skyrim』などを用いたロールプレイの動画、あるいはbiim式に代表されるRTAが多かった。

楽しそうなゲーム実況者

ニコ動時代と比べると、いまは視聴している動画や生放送の内容が違っているように感じる。昔は「自分でやるとめんどくさいし時間がかかるゲームのプレイ動画」を観ていたが、いまは「なんか楽しそうにプレイしているゲーム実況者の動画」を観るようになったのだ。

僕が一番好きなゲーム実況者はわいわいで、彼が7月27日に公開した『「地獄の三段跳び」vs「鬼畜ゲームプレイヤー」【スーパーマリオメーカー2】』はこの記事で僕が言いたいことのすべてを体現している。

わいわいはこの動画で、『スーパーマリオメーカー2』においてプレイヤーが作成したコースのうち、世界で2番目に難しいとされる「第一作 三段跳び」に挑む。当時で300万4895回の挑戦に対し195回しかクリアされていない超難関コースとして数多のゲーム実況者を屠ってきただけあって、攻略は一筋縄ではいかない。

わいわいは数時間を費やし、さらには十数時間をかけ、30時間のプレイの果てにいよいよ196回目のコースクリアを達成する。挑戦の記録をわずか34分24秒に詰め込んだ彼は、クリアと同時に歓喜の雄叫びを上げる。観ている僕も思わず「すごい!」と拍手してしまう。

代わりに感情を請け負ってくれる

クリア後、わいわいは涙ぐみながら言う。このコースに挑戦することに時間をかけすぎてほかの動画を作れず、上げれず、ファンに心配をかけてしまったと。ゲーム実況者にとって動画を作れないことが最も辛いと。けれど、前回の難関コースのクリアで多くの人が感動してくれたことが忘れられず、もう一度観てくれた人にその感動を味わってほしかったと。

だけど、これだからやめられないんですよね、鬼畜ゲームというのは。好きな人にじゃないと分からないでしょう。どうしてこんなゲームをして、そんな何十何時間もやって、寝ずに、泣きじゃくってまでこのゲームをクリアしようとしたのか。これは好きな人じゃないと分からないと思いますけど、達成したときのこの感動というのはね、たぶん誰にも味わえないものを私いただいているんですね。皆さんの応援とか、そういったものも、皆さんには得られないものを私いただいていると思います。これが何よりも嬉しいことですし、やっぱりね、やってよかったなという一言に尽きますね。

この動画を観たあと、僕は自分がゲーム実況に改めてハマってしまった理由をはっきりと悟った。それは、ゲーム実況者が得ている感情に共感することで、自分の感情を満足させているということだ。

言いかえると、ゲーム実況者は僕が得がたく発露しがたい感情を代わりに得て発露してくれている、その姿に楽しみを見出しているということになる。ゲーム実況者は僕にとって、感情請負人なのだ。あるいは多くの視聴者やファンにとってもそうかもしれない。

1人でゲームをプレイしているときの寂しさ

自分がゲームをプレイするときの姿を思い出してほしい。わいわいや、あるいは加藤純一でもstylishnoobでも、はたまた御伽原江良でも誰でもいいが、皆さんは彼らほど感情豊かにゲームをプレイしているだろうか。

人気ゲーム実況者は、失敗や不運に心からがっかりし、成功や幸運を全力で喜ぶ。状況が盛り上がってきたら死ぬほど興奮して声を荒げ、驚かされたり怖がらせられたりしたら錯乱したかのようにビビる。なぜかゲーム内の登場人物に話しかけることもあるし、自分がうまく操作できなかったことを操作キャラクターが言うことを聞いてくれないせいだと文句を並べることもある。

僕は完全にそうだが、1人でプレイしているときにそれほど感情を発露させることはない。ましてやゲーム内のキャラクターに話しかけるなんてもってのほかだ。たしかに彼らと同様の感情を得ていることはあるが、それをわざわざ外に表現はしない。

ゲーム実況者にしても、1人でプレイしているときはお淑やかなのかもしれないが、視聴者を楽しませようとする気持ちがあるときには自然と感情発露ができるのだろう。

企画やトークの面白さより感情表現の強さが秘訣?

もしかしたら、人気ゲーム実況者のほとんどは、企画やトークの面白さよりも感情の発露が強烈で巧みだから人気なのかもしれない

オーキド博士の声真似をして暴言を吐く芸でお馴染みの柊みゅうにしても、ゲームをプレイしていて死ぬほどムカつくシーンできっちりキレるから共感を呼んでいるのだろう。もちろん、悔しがっている姿を楽しむノリもある。でもそれは、自分がプレイしていたら同じくムカつくだろうからこそ、素直にそれを発露している柊の姿を楽しめるのだと言える。

このように考えると、ヒカキンがどうしてあんなに大げさなリアクションや過剰な表情をするのか、しっかりと理解できる。さらに、プレイは究極的にうまいのに全然視聴者が増えず定着もしない人がなぜそうなのかも理解できる。

面白い話ができるトーク力が重要だとされることもある。しかし例えば、加藤純一はゲームのプレイ中にトークをしないのにあのNinjaを越えて同接視聴者数世界一になってしまった(当時の生放送中)。彼のゲーム生放送を見れば分かるが、とにかくあらゆる出来事に対して感情が爆発しているのだ(下掲の動画は伝説となった金ダツラ打倒の最終戦)。

こんなふうにゲームをプレイできる人はそう多くない。ゲーム内でどんなに苦しい状況でもプレイ中に「もう俺を殺してくれ……!」とは言わないし思わないだろう。だからこそ、僕たちの代わりに感情を請け負ってくれるゲーム実況者の動画や生放送を観るのが楽しい。

この場合、言語化ではなく感情化してくれたことに好感を覚えるのだ。これはゲーム実況に限らず、昨今のテレビ番組やTwitterでも言える気がする(いい意味だけとは限らない)。

誰もやりたがらないが価値のあること、誰もがやってみたいがなかなかできないことを代わりにやってみる動画や記事は受けるネタの鉄板とされるが、実は感情もそうなのだ。代わりに感情化することにはきっと需要がある。舞台が用意されているゲームは、感情化に適したツールなのだろう。

どんな感情が求められているのか

世の中にはプロゲーマーを含めてゲームが非常にうまい人たちがいるが、そういう人が必ずしも人気ゲーム実況者であるわけではない。むしろ、たとえどれほどゲームがうまくてもゲームがうまいだけでは人気ゲーム実況者にはなれないのかもしれない(当然ゲームがうまいことで人気の人もいる)。

逆に、ゲームがそれほどうまくなくても人気のあるゲーム実況者は大勢いる。そういう人に共通するのが、たぶん、感情発露の巧みさなのだろう。だとすれば、企画やトークはそれを強調しやすくするための材料でしかないと言える。

結論。あくまでこの記事における一考察でしかないが、人気ゲーム実況者になるには視聴者(ターゲットとしたい人)がどんな感情を求めているのか、その理解を深めなくてはならない。そしてその感情を与えようとするのではなく、みずからが得て発露・表現すること。別の言い方をすると、ゲーム実況とはゲームを実況するのではなく、自分の感情の動きを実況するものだ。

僕はなぜわいわいが超難関コースをクリアしたことに拍手を送ったのか。それは彼がコースをクリアしたからではなく、彼がクリアして感極まっていることに心を動かされたからだ(もちろんクリアしたこと自体も感動に値する)。ありていに言えば、人は勝手に共感する。

多くの人は日常を抑圧的に生きている。学校や会社で本心から感情を発露することなんてめったにないだろう。僕もそうだ。だからこそ、ゲーム実況者はゲームを通してそういう人たちの抑圧された感情を解放することに大きな役割を持つことができるだろうし、それこそがゲーム実況の最大の価値なのかもしれない(正の感情には限定されないが、なにかと憎悪や憤怒や極端な正義感が跋扈しやすい世の中にあって、ゲームは正の感情を得意とするだろう)。

さて、それでは今日もあの人の新しいゲーム動画が公開されていないかチェックしに行くことにしよう。

あ、よかったらわいわいのほかの動画も観てみてね。死ぬほど面白いよ!

わいわいを知った動画。腹筋が壊れた。

名作『Kenshi』のロールプレイ。笑いすぎて頬が壊れた。

ゲームを好きなように遊ぶわいわいの真骨頂が現れた動画。ゲームシステムが壊れた。

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