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愛を知ってしまった死神(モノ)へ

「『愛』を知ることができたら、貴方は人間に戻れますよ――」

 人ならざる何かになり泣きじゃくっていた僕に、光のヴェールを纏った崇高な女神がそう優しく伝えた。

「なんで、なんでそんなこと言うの……。こんな姿、嫌だよ……」

 ポロポロと大粒の涙が自然と溢れ出てくる。
 僕の爪は鷹のように鋭く、肌は部分的に黒い鱗に覆われ、おまけに濡れ羽色の大きな翼まで生えている。
 身体の血色は青白く、今にも死んでしまうのではないかと思うほどやつれた肉体に変わっていた。

 正しく、『死神』のような――

 そもそも、ここはどこなのだろうか?
 崩れた壁から光が漏れ出ているが、枯れたツタや動物の死骸等といった空虚なものしかない。

 その中にいる女神は異質だ。生に満ち溢れ、母性を感じさせるような風格を持ち合わせており、正反対の存在である。

 
「貴方は覚えていないのかもしれませんが、人間として生きていた頃に人を殺めています。その後、貴方は3年ほど逃亡していましたが、24歳の時に自殺しました。人を一度でも殺めた者は死後死神になり、週ごとに決められた人間を殺すことが役目になるのです」
「そんなの……知らないよ……。僕は死んでも人を殺さなきゃいけないの……」
「えぇ、そうやって世界が回っていますから。ただ、『愛』を知ることができたら人間に戻る権利が与えられます」

 愛なんて存在するはずがない。こんなの疑似問題じゃないか。
 第一、もし『愛』があったなら過去の僕は殺人なんて犯さなかっただろう。

「人間に戻りたいですか?」
「戻りたい、けど……」

 こんな醜い姿のまま過ごすのなんて御免だ。
 とはいえ、戻ったところで人生が保証されるわけではないだろう。
 どこか憂わしげな僕を見て、女神はフフッと微笑み僕の左頬を撫でた。

「……そうですね。なら、人間に戻ったときに幸せであることは保証しましょう」

 そっと指先で僕の首筋にすばやくサインを書く。
 仄かに発光したかと思ったら、スッと吸収されて消えてしまった。

「なんて書いたの?」
「その時が来れば分かりますよ。では、『愛』が分かったら、私を呼んでくださいね」

 女神は僕の止まった心臓の位置に軽くキスをし、その場から飛び立っていった。
 僕と廃墟の境界が無くなるほど暗くなる。
 僕はただ、氷のように冷たくなった地べたにうずくまることしか出来なかった。

*

――気が付くと朝になっていた。
 女神の言う『愛』とは一体何なのだろうか。弱い頭で考えていたが何もまとまらない。
 絶望しかなかった。死んでこんな醜い姿になって、挙句人を殺せと。
 昔の僕のことなんて思い出せない。思い出したくもない。
 思い出したところで解決なんてしない……。

 
「……おい、お前。何サボってるんだ」
「えっ、あ……」

 見上げると、僕と同い年くらいの男性が立っていた。
 白衣と思われる服を着ていたが、裾はボロボロで焦げ茶色のシミがあちこちにある。
 寝ぐせもあり、気だるげな学生……といった風貌である。

 男は頭を掻き大きくため息をつくと、犬を呼ぶような感じで「おいでおいで」と手振りをする。
 そして、カビだらけの廊下をポケットに手を入れながら堂々と進んでいく。
 何が起きているかよく分からなかったが、とりあえず彼についていくことにした。

*

 廊下を抜けると、鬱蒼とした竹林が目の前を覆っていた。
 どうやら玄関は竹によって破壊されてしまっているようだ。
 時期にこの廃墟も竹林に飲み込まれてしまうのだろうか。

「んで、女神は何か言ってた?」

 密集する竹を避けながら、男は問いかける。

「『愛』を知ることができたら、人間に戻れるって……」
「あぁ? アイツそんなこと言ってるのか。全く懲りないヤツだな」
「あ、あの……貴方は、一体……」
「俺? お前と一緒。死神だよ」

 死神……確かに男はそう言った。
 僕と一緒ということは、彼もまた同じモノを追っているのだろうか。

「あー、俺のことは『ユウキ』って呼んで。お前、名前は?」
「……覚えてないんだ」
「ふーん。じゃあ俺が付けてやるよ。『レン』はどうだ? 男の子で人気の名前だぞ」
「そうなんですね……。じゃあ、それでお願いします」
「おいおい、もうちょっと嬉しそうにしろよ。せっかく俺が付けてやったんだからさ」

 悪い足場を躓きそうになりながら駆け抜ける。
 彼は走り慣れているのか軽やかに竹をかわしていく。
 僕は速度についていくだけでも精一杯だ。こんなに走ったのはいつ以来だろうか。
 

 1分ほど無言のまま走ると、突如切り立つ崖が姿を現した。
 高さは100mほどあるだろうか。崖下には雄大な川と集落が見える。
 第一印象として、なぜか昔懐かしい感じがした。……僕の記憶にはないはずなのに。

 そして、彼は街を指差し見下すように吐き捨てた。

「レン、お前はあの蒼川市あおかわしの人間を殺していくのさ」
「ど、どうやって殺すの?」
「身体にを書くんだ」

 右人差し指で「Yuki」と筆記体で空に書いてみせる。

「これだけ。簡単だろ?」
「分かった……。じゃあ、どうやって殺す相手を見つけるの?」
「そこらへん歩いてる人を見ていりゃ分かる。殺すべき人間が映し出されるからな」

 先ほどとは打って変わって、黒水晶のような瞳は殺意に満ち溢れていた。
 人というより、街全てを恨んでいるのだろうか。


「これで本当に『愛』なんて解るのかな」

 ボソッと小声で呟いたつもりだったが、どうやら彼には聞こえていたようだった。
 彼はどこか寂しげに僕に話しかける。


「なぁ、レンは人間になりたいのか?」
「なりたいよ。こんな姿嫌だし、僕は殺したくないし……」
「そうか? お前、いかにも死神って感じでかっこいいし、殺してみたら案外楽しいものだぞ?」
「そう、かな?」
「物は試しさ。サクッと殺ってみよう!」

 クルクルと陽気に踊り、既に彼から殺意は消えているように見えた。
 子どもらしく、無邪気な彼もまた面白い。
 
「ほら、一緒に飛び降りよう!」

 彼は街を背に両手を広げ、大きな声で僕を呼ぶ。
 恐怖と期待を抱きながら、僕は彼を信じ胸に飛び込む。
 

――彼はにこりと笑って僕をしっかり抱きしめると、自ら崖から足を踏み外し、そのままあおかわに堕ちた。

*


 ユウキと一緒に行動して約4年。
 最初のうちは心の中で謝り、恐る恐る身体に触れてサインを書いていた。
 だが、側を流れる蒼川が決壊した時に数十人一気に書き上げる必要があったため、それ以来人の死に対して作業感が芽生えた。

 書いていて思ったのは、殺されても仕方ないような人間というのはほぼ存在せず、むしろなぜ死ななくてはならないのか分からない人間の方が圧倒的に多かったことだ。
 災害、病死ならまだ分かる。どうやっても逆らえない事象であるから。

 しかし、不慮の事故や殺人、自殺は未然に防げたはずだろう。
 僕でもさすがに一家心中は心に来るものがあった。
 母親が夫、兄弟を刺し殺し、最期は自分の喉元を突き刺し――
 ユウキは「これでも人間になりたいのか」と、虚ろな目で聞いてきたのを今でも記憶している。
 こんな運命になるのであれば人間になりたくはないのは分かる。
 けれど、これだけ年月を重ねても分からないものであるから知りたいのだ――

 そんな時、死ぬ人間が誰もいなかった週があった。
 ……死なないとなると僕たちは暇である。

 

「ユウキ、結局『愛』って何だろうね」

 小学校の屋上から校庭で遊ぶ子どもたちを見ながら彼に語りかける。

「さぁ、何だろうな。考えたこともないから知らないよ」
「人間になるにあたって必要条件なのかな?」
「そんなことはないだろ。ならアレは愛っていうのか?」

 彼は砂場で城をわざと崩して泣かせている男の子を指差す。

「悪戯は、気があるだけで愛ではないかな」
「ほら、愛を知らない人間なんていくらでもいるだろ。もし、レンが人間になって愛を知っていたとしても、確実に他者から与えられやしないし、知っていたら苦しみが増えるだけさ」
「……?」

 明らかに知っているような口ぶりに聞こえた。
 彼は明らかにバツが悪そうな顔をしている。
 
「……知らないよ」
「じゃあ、アレは愛?」

 僕は、母親と一緒に手を繋いで下校している女の子を指差してみた。

「親子という概念の礼節じゃないのか」
「そ、それは捻くれてない?」
うるさいよ?」

 彼は都合が悪くなると極力喋らなくなる。
 ……本当に分かりやすい死神である。

「愛を知っているのに人間になろうと思わないの?」
「思わないッ! あんなモノ――!」

 僕は初めてユウキが激昂している姿を見た。
 あぁ、そうだ。彼は蒼川市の全てを憎んでいた。彼にはきっと蒼川市しか世界がないのだろう。
 
「蒼川の人間も、土地も、歴史も、未来永劫なかったことにしてほしい」
「どうしてそこまで恨んでいるの?」

 ……無言のまま日が暮れかけ始める。
 いつも蒼川市に対する悪口は言っているが、明確な理由は言ってくれないのだ。

「悪いこともあるけど、それでもああやって生きているってことは彼らなりに存在意義はあるんじゃないかな」
「あるわけがないだろう。蒼川の人間は――俺から奪い続けるのだから」
「何を?」

「…………だ」

 ぼそぼそと何か言っていたが、明らかにわざと聞き取れないように喋っている。

「もっとはっきり言ってよ」

「もう……っ。煩い……。皆、俺の元からいなくなるからだよ――」

――あぁ、なんだ。そういうことか。



「――ユウキ、分かったよ。『愛』というものが何か」

 そう言った瞬間、空が神々しい光に包まれ、その中から女神が現れる。
 昔会った時と風貌は変わらず、慈愛に満ちた声で語りかけた。

「久しぶりね、お二人共。黒翼の死神の方が私を呼んでくれたのかしら」
「そうだよ女神さん。『愛』とは何か分かったんだ」

 僕が嬉しそうに女神と話していると、ユウキは狼狽した様子で会話に割り込んできた。

「どうしてそこまでして人間になりたいんだ! 俺のことがそんなに嫌いか!?」
「ユウキのことは嫌いじゃないよ」

 一呼吸置き、僕の思っていることを全て話した。

「『愛』とは、『想い悩み苦しむこと』だよ。相手を知れば知るほど楽しいことも増えるけど、苦しみもまた増えていくんだ。その苦しみのせいで相手を傷つけてしまうかもしれない。それでもなお一緒にいてくれて、一緒に考えてくれて、どんなときでも相手を想えるのが『愛』――」

 女神は大層喜んでパチパチと拍手してくれた。
 一方、ユウキは唖然としており何も言うことはなかった。一種の拒絶反応であろうか――

「そんな苦しみを負うために人間に戻りたいなんて、面白い子もいるものなのね。いいでしょう」

 女神がそっと首元にキスをすると、僕の身体と空間との境界線が薄れてきた。
 
「あっ、身体が……」
「すぐにあの世界へ戻れますよ。私は貴方の幸せを願っております」

 僕の身体が消える寸前、ユウキはぶっきらぼうにこう言い放った。

「レンは俺が殺してやる――絶対に」
「ありがとう……愛しているよ」 


 最後に見た彼は、僕に手を伸ばし涙を流しているところだった――


*

 その日は雷雨だった。
 俺はボロい団地の一室で殺すべき人間をじっと見つめている。
 若い女はベッドに横たわり、力みながら涙を流し苦しんでいた。

 はまだ、産まれていない。
 ……こんなことはよくある日常である。

 今か今かと待っていたところ、股からそれは現れた。
 女はどこか哀情を浮かべながらそれを抱きしめる。
 この女もそれが死ぬことを分かっているのだろうか。
 ベッドに近づき、それにサインをしようとしたところ首元が仄かに光った。

「3min」と殴り書きされた文字――


 その女は憑りつかれたように、何度も謝りながら俺の目の前で首を絞め上げた。
 それは、この世に一声も上げることもなく、ぐったりと力尽きる。
 女は喚きながら亡骸を抱きしめ、それに強力な呪いを与えた――

「貴方は何も悪くないの……ごめんね……っ。もし、育てられる環境で産まれてくれたら、『蓮』って付けてあげたかったな……ぁっ……。こんなお母さんでごめんなさい――」


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