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下手だとしても

女子サッカーの試合の人気が無い、というネットニュースに対し、女子は男子に比べ技術が低くてつまらないから人気が無いのだ、という意見を見た。しかしこれは不正確である。

確かに高度な技術は人気の要因の一つではある。研鑽を積んだ華麗な技術を見たくて試合を見る人もいるだろう。
けれども、技術のみが人気の要因ではない、というのは高校野球を見ているとわかる。高校野球の技術はプロ野球の技術よりも低いが、甲子園の人気はプロ野球に勝るとも劣らない。プロ野球は見ないが高校野球は見る、という人も多くいるだろう。

高校野球がおもしろいのは、ひとつには地元の高校が出場するため応援対象が明確という点もあるけれど、何よりは高校生の気持ちが伝わってくるからである。「高校生のトーナメント形式」という構図はわかりやすいので、人生で最大三回(※)しか出られず、一度負ければ終わりの切実さが容易に想像できる。甲子園出場校の舞台裏を描いたテレビ番組『熱闘甲子園』を見ればさらに高校球児の思いがわかり、その上で試合を見るとますます応援する気持ちが高まる。

※ 春夏合わせれば最大五回だが、ここではわかりやすく三回と書いている。

スポーツは、娯楽である。
それ自体は食べ物を生むわけでも火傷を治すわけでもない。娯楽は、気持ちに直接訴えることで成立するものである。高度な技術に感嘆の声を漏らすのも、応援しているチームの勝利が嬉しいのも、勝ってほしいと祈るのも、気持ちの動きである。
プロスポーツは、勝てばいいというものではない。興業という視点で見れば、勝利は気持ちを動かすための最も有効な手段ではあるが、目標ではない。仮に負けたとしても、見ている人の気持ちを良い方向に動かせたなら成功だし、応援されない勝ち方をしたなら失敗である。

スポーツで気持ちを動かす最たるは、その一所懸命さ、真剣さである。選手たちの勝ちたい思いを感じるからこそ応援したくなるし、悔し涙を見て共に涙するし、勝ちを喜ぶのである。
テレビのクイズ番組で、回答するお笑い芸人がどう考えても正解ではない答えを「ボケ」として言うことがあるけれど、それは「バラエティ番組」のノリであって、スポーツでやってしまうと興醒めさせることになる。スポーツではふざけてはいけない。
それ以外にも気持ちを動かす要素はあるけれど、一所懸命さを失ったそのとき、スポーツとしての魅力は激減する。どうせ負けるからと、わざと失敗するような人を応援する人はいない。限りなく負けに近いとしても、それでもなお勝ちたい気持ちを見せるなら人は最後まで応援するだろう。

日本のプロスポーツには、野球、サッカー、バレー、バスケット、ラグビーなど様々あるけれど、人気を得たければ選手の一所懸命さを伝えることである。こんなに勝ちたい、こんな風に努力している、過去にこんな因縁がある、勝ちたいからこんなにも悔しい思いを飲み込んでいる、と伝えることで、応援する人は増える。点を取った場面を予備知識なく見るのと、厳しいリハビリを乗り越えたことを知って見るのとでは感じる気持ちが全く異なるだろう。

もちろんそこにはわざとらしさとの戦いがある。
過剰な作為は却って応援する気持ちを減衰させてしまう。
スポーツに関わる人の腕の見せどころである。
(選手の身近な人が「知って欲しい」という気持ちで伝えれば押しつけがましさが少ないと思う)

かけた思いを伝えることで気持ちを動かせる例は、スポーツに限らない。
商品開発のエピソード、こだわった点や苦労を知ることで商品から感じる魅力が上がったり、欲しいという気持ちが高まったりする。デビューをかけてアイドルが競争する番組もまた同じ。

ネットが普及し、描いた絵や歌や踊りを披露する人は増えているだろう。
こうした趣味を持つ人の中には、下手な作品を発表するのは恥ずかしいし、けなされるかもしれないと不安に思い、発表をためらう人もいるだろう。しかし、技術の高低によらず発表して良い。上手くなりたい、上手に伝えたいという一所懸命さが伝われば、応援してくれる人は、きっと増えるだろうから。
もし一所懸命さが伝わった上でそれでもなお、傷つく言葉を放ってくるならそれは、一所懸命努力できない者からの単なる嫉妬である、と思っておくくらいで良い。

下手だとしても、発表しよう。

名角こま

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