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名文today_92/『みんなに好かれようとして、みんなに嫌われる。』

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「セールスの故郷の訛りに買わされる」という川柳がある。
広告は訪問セールスと同じように、招かれざる客であり、その目的は見破られている。とすると、この川柳のセールスマンには学ぶべきところがある。
セーリング・ポイントを、ただ羅列するだけで売れるような、圧倒的な特性を持つなら問題ないが、残念なことにそんな商品に出会うことはまずない。たとえば、驚異的な低価格でもないかぎり、ただの直截なセールストークでは効果がないということだ。
何が必要なのだろうか。
この場合は、訛りで売れた。
訛りには何がある。
まず、その朴訥さには、なぜか安心感がある。ドアを開かせる空気がある。人々の好きな、他人の苦節も見える。そこから来る憐憫が心に芽生える。そこへ一押し、その訛りが自分の故郷のものであったら。
注目すべき点は、ふたつある。
ひとつは、訛りというトーン&マナー。ここには、物理的な価値はまったくない。まさしく空気、トーン&マナーである。大きな差異をもたない現代の商品の購買を大きく左右するのは、親和性か憧れであり、その基点を成すのは好き嫌いという感情なのだ。
もうひとつは、綿密さである。このセールスマンは、たまたま同郷の人の家のベルを押したと捉えたのでは、学ぶべきことは何も無い。彼は、もしくは彼女は、生まれも育ちも東京山の手なのだが、訪れる家の人の出身地をあらかじめ調査し、その土地の方言を軽く習得する努力と才能があって、はじめて成立するのである。
これはひとつの芸ともいえる。視聴者の心を開くには、せめてこれぐらいの芸とサービスが必要なのである。
今企画中のその広告に、芸はあるだろうか。サービスはあるだろうか。

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仲畑貴志/『みんなに好かれようとして、みんなに嫌われる(勝つ広告のぜんぶ)』/2008/宣伝会議

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