ナタカ

短歌と呼ぶには早すぎる

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帰郷

会社を辞めようと決めたとき、一番困ったのは社章だった。返却しなければならないそれは、実家の机の引き出しにしまってあるのだった。 実家を出るとき、たまには帰るだろうと思って、わりあいにいろいろなものを置いたままにしてきた。それから様々なことがあって、実家に足を踏み入れないまま3年が経った。思えば帰りたいと思うような場所ではなかったのに、なぜたまには帰ると思ったのか、今となっては分からない。家を出るということが穂香に見せた、感傷の幻だったのか。 両親が旅行に行くと聞いたのはち

    • 「あるはなく」(千葉優作さん)

      千葉優作歌集『あるはなく』を読みました。好きだった歌などを。 装幀も良いのです。ちらちらと細くひかる金が美しい。箔押しはともすれば華美になりそうなものですが、タイトルと著者名が黒字であるためか、落ち着いた風合い。手触りはちょっと布のようなざらつきがあって、ああ紙の本は良いなぁと改めて思いました。 《こはれもの注意》の札を このところ海を見たがる君の背中に たはむれに君に蹴らるるよろこびのくすぐつたさを告げさうになる 何度でも言うが、ずいぶん前からずっと好きな二首。推しが

      • こんなことばかり

        行きたかった喫茶店に行った。ドアを開けても誰もおらずどうしたものかと立っていたら、2階から店主が下りてきてぎょっとした顔をした。そこに座ってお待ちくださいと言われて隅っこの席に座って待った。そこで初めて、開店3分前であることに気がついた。出直しますと言うべきなのか、30分前なら出直すべきだが3分ならこの椅子で小さくなっていれば許されるのかもしれぬ、店主も3分くらいならぎりぎり許してやるかと思って追い出さなかったのかもしれないしそれはお店としてのご厚意であろうしご厚意を無にする

        • ワクチン(モデルナ)を打った話

          新型コロナのワクチン(モデルナ)を打ちました。たくさんの方がすでに書かれているのでもうあれかもしれませんが、自分用にメモしていたものを一応載せておきます。 念のため2回とも接種当日と翌日は仕事の休みを取っていました。 ●1回目 午前中接種 7時間後 筋肉痛的な痛みがはじまる。 12時間後 筋肉痛悪化。 翌日 ひどめの筋肉痛継続。痛みは引かないがしょせん筋肉痛的な痛みなので、心のなかでイテテテと言いながらも普通に生活できる。 翌々日 出勤。軽い筋肉痛程度。夜からもっと楽に

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          冬の果て

          「冬の果て」 ナタカ お守りのような軽さのしろたえのマスクの箱を抱えて帰る 風の出ないジェットタオルの静けさよ海より遠い約束ばかり 変わらないことだってあるゆひらって言えば雪のことかよと言う 何と戦えばいいのか分からないままでとにかく勝てと言われて 立ち尽くす私のそばを一陣のウーバーイーツすり抜けていく #tanka 「あみもの」第三十七号に載せていただいた連作です。

          冬の果て

          連作 無題

          大縄に入る瞬間息止めてそれからずっと息止めたまま ちから出ない、ちから出ないのにあたらしい顔もジャムおじさんも来ないね 半袖の心もとなさ夏風の中をどうして歩けばいいの まちがいのような快晴だねひとりよりもふたりの方がさみしい #tanka

          連作 無題

          ナラクトノーム

          弟の濃霧が生まれたとき、奈落は11歳でした。11歳、サンタクロースの正体にはとうに気がついていました。時差を考えてもひとりの人間が世界中を一夜で回るのはむずかしいのではないかしら、ほしいものが何でももらえるなら貧しい国におなかを空かせた子供がいるなんておかしいのじゃないかしら、と考える可愛げのない子供。 けれど奈落は、母親に自分が考えたことを言うことができませんでした。奈落と濃霧の母親は自分の理想郷の中に生き続ける人だったので、「何言ってるの、サンタクロースはいるに決まってる

          ナラクトノーム

          私家版『ドラマ』の通販について

          昨年の7月に『ドラマ』という私家版の歌集を作りました。 通販サイトboothで自家通販をしていたのですが、現在庫がなくなり次第販売を終了します。 私家版ということでもともと永続的な販売は考えておらず、在庫も程良く減ってきて、作ってから一年ちょっとというこのタイミングがちょうど良いのかなと思いました。 葉ね文庫さんやがたんごとんさんというすてきな本屋さんに置いていただいたり、文フリで委託販売をしていただいたりして、作った当初に考えていたよりもずっとたくさんの方に読んでいただ

          私家版『ドラマ』の通販について

          天坂さんといちごつみ

          1月26日、天坂さんといちごつみを始めました。天坂さんは主に、天坂寝覚というお名前で自由律俳句を作っておられる方です。 10首完結、奇数が天坂さん、偶数がナタカです。 振り返り。 1. 青空を知ることもなく骨だけになってしまった傘を弔う/天坂 →かっちりしたのが来た!天坂さんの歌は固体・液体・気体でいうと液体っぽいと思うのですが、これは固体っぽい(何言ってるのか分からなかったらすみません。雰囲気よ伝われ)。景の切り取り方というのか視点というのか、天坂さんの自由律俳句に通じ

          天坂さんといちごつみ

          ともだちにならう蜜柑を剥いてあげる/喪字男

          ともだちにならう蜜柑を剥いてあげる/喪字男(「彼方からの手紙」9号)*1 初めてこの句を見たとき、怖いと思った。今でもそう思っている。一見どこにも怖い要素はないのに怖さを感じさせる、すごい句だと思う。それは、怖い言葉を使って人を怖がらせるよりもずっと難しいことだ。 蜜柑を剥くことで友達になろうとする不器用で温かい句という読み方もできるようだし、もしかすると作者の意図はそちらかもしれない。 しかし、なぜ私はこの句を怖いと思ったのか。考えてみた。 ●前提として ①意味。二通り

          ともだちにならう蜜柑を剥いてあげる/喪字男

          桔梗さんといちごつみ

          桔梗さんと100首でいちごつみをしました。 奇数がナタカ、偶数が桔梗さんで、桔梗さんの歌にいくつか感想をつけています。 (桔梗さんは旧仮名、私は現代仮名で詠んでいるので単語の表記は変わってます。) 1. 風の背を追う人だったいつだって先頭をゆく人だったから 2. はじまりと終はりの夏が過ぎてゆく 翼などない背骨が軋む 【背】 3. 翼持つものになりたいきみひとりくらいをちょうど包めるような 【翼】 4. なりたいものになれず終ひのわたしにはうつくし過ぎるクリームソーダ

          桔梗さんといちごつみ

          自選30首

          ●自選30首が流行っているようなのでやってみました。 ただボタンひとつ外したそれだけできみはそんなに女になって お客様さま起きてください終点です 晴れた夜ですまだこの世です ※うたの日「です」 るるるると電話が鳴るけど今ちょっと泣いているるる出られないるる 結婚の知らせばかりを聞きながら星の綺麗な離島に暮らす ※うたの日「結」 7の背をちょっと反らして書いてみるこれがあなたの書いている7 ※うたの人「数字」 僕の撮る集合写真に僕だけが写っていないことの明るさ

          自選30首

          無題

          夜10時、会社を出て森田と駅まで歩く。 「昨日本屋で万引きが捕まるとこ見たんすよ、なんて言うんすかああいうの、私服警官的な?Gメン?」 「森田が本屋に行くことにまず驚いたわ」 「なんすかそれ、知的好奇心が満たされますよ本屋は」 まさか森田から知的好奇心という言葉が出ようとは。 「お前本屋で何買うの」 「え、ヤンジャンとか」 そう言って森田は自分でげらげらと笑った。 「あーかっこいいっすよねああいうの、おれGメンに転職しよっかなー会社立ち上げたら土井さん来てくださいよ」 「やだ

          連作「鉄は熱いうちに打てと言うから」

          タイトルが雑ですが忘れないうちに20首。 「鉄は熱いうちに打てと言うから」 ナタカ 四時はまだ夜だと思う止まらない誰かの咳を遠くに聞いて 朝五時の駅で大縄飛びをする人にはFacebookが似合う 守るべきものはなくても言われるがままにシートベルトを締める 離陸する瞬間ふっと息を吐くような機体の震えがあった 小雨降る北口を出てさまよえばこんなところに魚民がある バス停のすぐそばに海かんたんに分かるだなんて言ってくれるな 辿り着くことのできない灯台をそれでもずっと

          連作「鉄は熱いうちに打てと言うから」

          連作「海行き」

          「海行き」 もう決めた私ひとりで海へ行く異議のあるひと はい、いませんね  五時間もかかるんだって仕方ない七時にアラームをセットする 17駅目で乗り換えて40分待ってそれから赤い急行 いくつものいくつもの駅ああこれはひどくおだやかな走馬燈 今のたぶん無人駅だね目覚めたら忘れる夢に出てくるような 海は終点 海のにおいと海のおと漁船がしんとしている港 敷き詰めた光のような暗闇でくらげは淡く泳ぐのだった 生命が来たという海 海に手をひたせば水は私を拒む 帰ろうと言

          連作「海行き」

          無題

          横殴りの雨の中でぱっと空が明るくなって、君嶋が「あ」と言った。僕よりずっと視力が悪いくせに君嶋は裸眼でがんばっていて、今も何かを見ようとするように目を細めていた。どーんと大きな音がして、雷が落ちたのが分かった。近い。それもかなり近くだ。「落ちたな」と君嶋が言った。意を決して、傘を畳んで走り出す。すでに全身ずぶ濡れで、ここまで来たら傘は意味がないのだった。「雷はさ、滅多に傘に落ちないんだって」と言いながら、君嶋も傘を畳んで追いかけてくる。 誰もいない路地を走る。制服のシャツもズ