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Desafinado

デサフィナードはボサノバの有名な曲で、ボサノバが好きな人でこの曲を知らない人はいない(たぶん)

どう?聴いたことあるでしょう?

最近こういうまどろむようなボサノバを弾きたいなと思っていろいろ聴いてみたけどやっぱりジョアン・ジルベルトおじさんを越える人はいないですね。とは言えたぶんおじさんは、だれかを越えてやろうとか誰にも越えさせないとかそういうことを考えたことがなくて、だから私も評論とか評価とかしたくない。

にもかかわらず、今日筆を取ったのは(スマホをフリックし始めたのは)デサフィナードの歌詞を読んだから。
デサフィナードには英語で作られた詞とは別に原語の英訳詞があって、つまり2つの英語詞がある。
そのうち、私の胸に刺さったのは原語の英訳詞であるジーン・リーズの詞(の日本語訳)です。

「Desafinado」

私の歌が調子っぱずれだとあなたが言うと
私の心が傷つくっていうことがわかる?
私もあなたのような耳とよく通る声を持っていればよかったのに
私が持っているものは私自身の感覚と生まれつきの声だけなの

あなたは私のやり方が音楽理論にそむいていると言うけれど
恋の病を患っている愚か者には理論は通用しないものなの
私はあなたのために一曲歌を作ったわ、気に入らないかもしれないけれど
少し変な曲だけど、私の気持ちをたっぷり込めてあるわ
私の伴奏をしてくれたら、それはきっとわかるでしょう
たとえ私が調子っぱずれでも心は優しいっていうことが
大切なローライフレックスで、あなたの写真を撮ったけれど
写っているのは心のもやもやしたものばかり

たぶん言ってもムダだと思うけれど、あなたが譲歩してくれたらいいのに
私の夢をこわしてしまうような細かい規則のことは忘れてちょうだい
私の夢は愛する人との愛と音楽の生活をすることなの
その人はたとえ調子っぱずれな歌を歌っても
私があなたをとても愛してると言うときに
問題なのは音程ではなく
私の言いたいこと
「愛しいあなた、私はあなたを愛してます」
ということが分かってくれる人なの

(※1967年 ジーン・リーズ英訳詞)
http://kawaeuta.blog110.fc2.com/blog-entry-2052.html

冒頭の

私の歌が調子っぱずれだとあなたが言うと
私の心が傷つくっていうことがわかる?

これは本当に、音痴にしかわからないと思うんです。周りはおもしろがって言うけれどそれに「心が傷つく」。そう言葉に出して言ってくれる人に私は未だ出会ったことがなかった。歌いたいのに歌えなかったもどかしい記憶。

私もあなたのような耳とよく通る声を持っていればよかったのに

よかったのに。

私が持っているものは私自身の感覚と生まれつきの声だけなの

でも、こう言えることで少し救われる。「私自身の感覚と生まれつきの声」それだけを持って自分を信じる。

私の伴奏をしてくれたら、それはきっとわかるでしょう
たとえ私が調子っぱずれでも心は優しいっていうことが

愛する人が私の伴奏をしてくれるというシチュエーションだけで胸が打ち震える。誰かと演奏したことがあればわかると思うけど、一緒に演奏すれば下手さだけでなく本当の心の揺れみたいなものが伝播する。それを痛いほど望む。その劣等感と人を愛する気持ちの間で揺れるいじらしさに胸を掴まれる。

私の夢は愛する人との愛と音楽の生活をすることなの

調子っぱずれでも音楽のある生活がいらないわけじゃない。
調子っぱずれでもこの言葉があなたに届いてほしい。

いや、もう一回言いますけどね?

私の夢は愛する人との愛と音楽の生活をすることなの

本当にそう。それが最終形。

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