Desafinado
デサフィナードはボサノバの有名な曲で、ボサノバが好きな人でこの曲を知らない人はいない(たぶん)
どう?聴いたことあるでしょう?
最近こういうまどろむようなボサノバを弾きたいなと思っていろいろ聴いてみたけどやっぱりジョアン・ジルベルトおじさんを越える人はいないですね。とは言えたぶんおじさんは、だれかを越えてやろうとか誰にも越えさせないとかそういうことを考えたことがなくて、だから私も評論とか評価とかしたくない。
にもかかわらず、今日筆を取ったのは(スマホをフリックし始めたのは)デサフィナードの歌詞を読んだから。
デサフィナードには英語で作られた詞とは別に原語の英訳詞があって、つまり2つの英語詞がある。
そのうち、私の胸に刺さったのは原語の英訳詞であるジーン・リーズの詞(の日本語訳)です。
冒頭の
これは本当に、音痴にしかわからないと思うんです。周りはおもしろがって言うけれどそれに「心が傷つく」。そう言葉に出して言ってくれる人に私は未だ出会ったことがなかった。歌いたいのに歌えなかったもどかしい記憶。
よかったのに。
でも、こう言えることで少し救われる。「私自身の感覚と生まれつきの声」それだけを持って自分を信じる。
愛する人が私の伴奏をしてくれるというシチュエーションだけで胸が打ち震える。誰かと演奏したことがあればわかると思うけど、一緒に演奏すれば下手さだけでなく本当の心の揺れみたいなものが伝播する。それを痛いほど望む。その劣等感と人を愛する気持ちの間で揺れるいじらしさに胸を掴まれる。
調子っぱずれでも音楽のある生活がいらないわけじゃない。
調子っぱずれでもこの言葉があなたに届いてほしい。
いや、もう一回言いますけどね?
本当にそう。それが最終形。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?