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障害福祉サービス業界隈と伊是名夏子:「わきまえない障害者」への違和感

株式会社土屋のHPでは代表の高浜敏之氏や車椅子ユーザーの安積遊歩氏による伊是名夏子事案に関する記事が掲載されています。

株式会社土屋HP上の安積遊歩氏の記事

安積氏の記事はネットでも拡散されてますが、100kgという電動車椅子の特性について何ら触れていない様子なので、基本的な事実関係を認識させたら異なる意見が出てきそうな雰囲気はあります(ただ、伊是名氏を友人としているので、彼女が電動車椅子ユーザーだという事実は知っているはずなのだが)。

国鉄時代の車椅子ユーザーへの駅員の扱いと、それに対する抗議行動についての記述は、現在の我々が学ぶべきものは有ると思います。

ただ、そうした過酷な時代を生き抜いてきた方だからこそ、現在のJRの実情や、今回の伊是名事案についての認識が昔のものに引きずられているのではないかと思います。

現代はそこまで世紀末感溢れるヤンキーな世の中では無くなったんですよと。もっとも、それは車椅子ユーザーらの行動の結果でもあるし、国鉄を解体して居丈高になる職員が排除された結果でもあると思います。

「わきまえる障害者」という言葉の破壊

さて、100kgという電動車椅子の事実関係を十分に認識しながらも伊是名氏の行動を支持する見解を採っているのが代表の高浜敏之氏。

社会的弱者の側に立つことを決断した」と書いているように、そのような立ち位置を敢えて決めて書かれたものだということは理解できます。

ただ、「わきまえない」という言葉の乱用をしており、そこにメディア通用力を持たせようと言葉の破壊をしている点は、理解できないと言っておきましょう。

森喜朗元総理の日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会における発言の報道を機に「わきまえる」という言葉の意味をメディアが誤用してることに乗っかって情報発信するのは止めてもらいたい。

「忖度」という言葉も同じように扱われました。

労働法体系上、誰が「黙っていたら殺されてしまう」のか

高浜氏は「黙っていたら殺されてしまう」障害者の歴史的な例を引いていますが、伊是名夏子の事案で「黙っていたら殺されてしまう」に近いのは駅員の側だということに、「社会的弱者の側に立つ」高浜氏なら思い至って欲しいところ。

なぜなら、100kgの電動車椅子を階段運搬する行為は、一歩間違えれば労災になりかねない行為だから(そして伊是名氏は「旅行目的」なので、来宮駅を電動車椅子で移動しなければならない必然性は無い。通常の車椅子ならばヘルパーによって移動可能だった)。

労働法体系上も、男性は体重の40%以下のものとなるようにすることが努力義務(国会で議決される法律レベルの義務としては男性に重量制限はない。)。

以下記事で本件について明快に解説されている。

伊是名氏も表参道のファッションビルの地下二階の店舗に行こうとした際に電動車椅子の運搬を買って出た店員が居たところ「危険だから」と断っていましたから、危険性と要求の困難さは認識していたはずなのです。

女性差別的ではないか?

したがって、伊是名事案に常に・短時間で対応するには、近隣駅に女性駅員を多く配置することを諦めなければならない。

これは女性差別的でしょう。

エレベーター設置やスロープの設置を求めるならわかる(解決方法としては嵩上げなど駅の構造の変化もあるだろう)。

ただ、それはバリアフリー法の施行や地元議員らと行政の動きとして既定路線だったことは多くの人が指摘しており、私も以下でまとめている。

JRは、準備時間があれば対応可能としている。それは「乗車拒否」主張事件の後も変わらず一貫している立場。

琉球新報令和3年4月19日朝刊伊是名2

琉球新報令和3年4月19日朝刊

琉球新報令和3年4月19日朝刊伊是名3

事前連絡なしに100kgの運搬を無人駅にて求められたなら、断るのが通常対応でしょう(本件では熱海の駅長判断で男性職員4名による来宮駅での介助を実施した)。

仮に女性職員が多い駅が周囲にあったら、この対応は不可能だったか、通常業務に支障を来していたでしょう。

伊是名氏が当日、どうしても来宮駅に行きたいと思い、それを実現するために全力を尽くし、JRも実現のために全力を尽くした事案。

それを「弱者切り捨て」だの「障害者軽視」だの「バリアフリーの不徹底」という文脈で語るのは、あまりにも「弱者」を無視してはいないだろうか?

なお、朝日新聞4月22日の投書欄

朝日新聞投書欄障害者1

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