法の支配と法治主義とは:自然法と法実証主義、韓非子の法治主義との違い

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法の支配」と「法治主義

両者は別個の内容を表す用語です。

にもかかわらず、同じ内容をあらわすものとして使用されている場合もあります。

それはおそらく、「法に基づく政治・統治」という、両用語において共通の意味で使われているのだと思います。

それは間違いないですが、両者は明確に異なります。

関連して「自然法」と「法実証主義」の概念も重要になってきます。

しかし、これらの言葉相互の関係について、明確に記述しているような書籍やウェブページはみられません。

法の支配と法治主義の内容、更には韓非子の法治主義との違いについて整理します。 

法の支配とは

法の支配と裁判 田中耕太郎 著 を参考にしていきます。
※田中耕太郎は戦後法曹界で唯一、大勲位菊花大綬章を受章した人。

法の支配の伝統的理解

法の支配」とは"Rule of Law"の訳語です。

イギリスのダイシー教授の憲法論が代表的です。

H,de.ブラクトン(~1268)の「国王は、いかなる人の下にもあるべきではない。しかし、神と法の下で統治すべきである」「何故ならば、法が国王をつくるのであるから」という言葉がありますが、これが「法の支配」の中心的な内容であることは間違いありません。

ダイシ―教授は法の支配を3つの要素で表しました。

1:正規法の絶対優位
2法の下の平等
3:市民的自由は裁判所の判例によって確立されたものであること


1番は、専断的権力(arbitrary power)とくに政府の広汎な裁量権の支配に対立する正規な法(regular law)の優越の意味です。

2番は、あらゆる階級が通常の司法裁判所の運用する、国家の通常法(ordinary law)の支配に服するという意味です。その意味するところは、公務員も同じ法律に服するという意味であり、「行政法の不存在」とも言われます。

3番は、イギリスにおいて成文憲法が存在しないで、憲法の実質的な諸規範が裁判所の定めた、且つ、実施された個人の権利の結果であること、従って、憲法が国家の通常法の結果にほかならないこと、イギリスの憲法は裁判官が作った法(Judge-made law)であるということです。

各国において異なる法の支配

上記の説明で分かるように、ダイシ―教授の法の支配の説明は、イギリスにおける限りにおいてあてはまるということがわかります。

法の支配の普遍的内容、且つ、根本的な原則は、1番の正規法の絶対優位であり、2番と3番はこの原則を実施するための法技術的手段としてイギリスにおいて発生したものであると田中耕太郎は喝破しています。

さらに、1番の「正規法の絶対優位」の中身でさえ、各国で異なります。

日本国の法体系が属すると言われる英米法系の国であるイギリスとアメリカについて言うと、両者とも「正規法の絶対優位」は執行権の優越に対する個人の権利自由の擁護として発展したものですが、その存立基盤が異なります。

イギリスの場合、正規法の絶対優位は政府の専断、特権、広汎な自由裁量権の排除によって確立されています。念頭にあるのは国王大権の抑制であり、議会と裁判所は協力関係にあります。

一方アメリカの場合、それは裁判所の違憲審査権によって確立しています。議会(立法)と政府(行政)に対する抑制的機能が念頭にあります。

こうしてみると「法の支配」はそれぞれの国家に固有の歴史や政治的事情と密接に結びついて構成されていると言えるでしょう。

「法の支配」にいう「法」を完全に定義することは困難であると田中耕太郎は言います。

ただ、代わりに「法」の有する特色を示すことで、「法」を浮かび上がらせることができるとしています。

次項では田中耕太郎が分析した「法」の要素について見ていきます。

「実力の支配」に対する「法の支配」

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