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安田菜津紀はウイグル話法?バッハ会長はウイグル民族とアスリートの二者択一?

このツイートについていくつか

ウイグル民族とアスリートの二者択一にしてはいけない

ウイグル民族とアスリートの二者択一にしてはいけない

バッハ会長は、モスクワ五輪ボイコットの時、自身が選手として出られなかった経験がある、とも述べている。しかもそれで世界情勢に変化をもたらせたわけでもなかったと。

JOCの山下泰裕会長も柔道選手だったが、旧ソ連のアフガニスタン侵攻を理由に1980年のモスクワ五輪ボイコットが起こり、それによって参加できなかった経験があるからこそ東京オリンピックの開催に心血を注いでいる。おそらく、世界の現在の指導者層や競技組織の上層部は、そういった経験のある者が少なくないだろう。

オリンピックが北京で開催されることとなっているからこそ、「ウイグル弾圧」に視線が行って非難が生まれているわけで、オリンピックが開催されなければその瞬間から別の方面に意識が向かうでしょうね。

他方でオリンピック参加すれば、その国はチャイナ共産党によるウイグル弾圧について、対応を迫られる。

チャイナに対しても「オリンピック開催するんだから、分かってるよな?」という暗黙の圧力になり、少なくとも開催期間中に妙な動きは牽制されるはず(それがどれほど効果的なのかは今後次第だろう)。

したがって、バッハ会長の言っていることは正しいと思う。

それに、本当にウイグル弾圧を原因にして冬季北京オリンピックをボイコットするくらいなら、最初から北京を開催地に選ばなければよかったし、もっと前にボイコットが決定されているべきだろう。

私が「ウイグル民族弾圧についても声を上げないのだろうか?」と言っていたのは、森喜朗発言と東京オリンピックとの関係で「人権」を持ち出してわちゃわちゃ言ってる人に対しての皮肉に過ぎない。

安田菜津紀はウイグル話法?

安田菜津紀 氏はウイグル話法だ、という指摘も。

しかし、これはウイグル話法なんだろうか?

「ウイグル話法」とは、【ある人権問題について批判が展開されると、批判者に対して「ならばなぜウイグル問題を批判しないのか」「ウイグル問題も批判するべきでは」などと要求する行為】です。

言い換えれば、「話題となっているものとは別の問題であるウイグル問題について、必然性も無いのにそれについて論じることを強要する行為」がウイグル話法。

AFPの元記事の内容に照らしてみよう。

IOC会長、22年北京冬季五輪ボイコットに自制呼び掛け
2021年3月13日 11:45 発信地:ローザンヌ/スイス

この問題をめぐっては先日、アルペンスキー女子のスター選手で北京冬季五輪では注目選手の一人になるとみられているミカエラ・シフリン(Mikaela Shiffrin、米国)が、一部の五輪開催地でアスリートが仕事とモラルの間で選択を迫られる人権侵害に直面している「論理的な証拠」があることに言及していた。

つまり、バッハ会長は、まさにウイグル問題が話題に上っている中で論じているわけで、安田菜津紀 氏はその文脈で論じているのですから、論理必然的なわけです。

したがって、これはウイグル話法ではない。

「ウイグル話法」の乱用、誤用、インフレ化が始まってるなと思います。

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