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地方の国公立大に通ってみたかった東京の私立文系大学院生

高3の3月。第一志望だった国立大に落ちて、東京の私立大に行くことを学年主任に伝えた時、一番最初の一言は「浪人しないの?」だった。

私文、私立文系が大嫌いだった。
公立の中学でトップにいる子たちが高校入試を頑張って突破して入る地元の進学校は、国立大に行くことが善だった。5教科の基礎学力があるなら、首都圏の中高一貫の子の多くが志望する東京の国立大や私立大学よりも、地方の進学校出身者がマジョリティになる地方の旧帝大やそれに準ずる大学の方が入りやすいし対策しやすかったのだろう。
そういう大学は文系であっても数学を2次試験で使うところが多かったから、文系でも数学の授業は毎日あったし、数2・Bまでは理系と同様の試験問題だった。そんな生活だったから「私文は数学を捨てたダメな奴が行くところ」と思ってたし、思わされてた。数学が得意だった自分は、文系の中では数学の順位は上位だった。だから、私文はすごく遠い存在だと思ってたし、思いたかった。でも、実際はそうはいかなかった。

私文。自分がかつて忌み嫌っていたところに入ると、そこへの適応はすごく大変だった。その私文に中1から恋焦がれて全学部受ける子とか、何浪する子とか。そういう子達やOBの母校愛に染まることは大学院も含めて6年目になる今でもできていない。何万人も来る学園祭も、一度も行ってない。

東京にいると、それなりの大学にいると、競争やマウンティングをしないといけなかった。たくさんいる同レベルの学生たちと自分を差別化しないと就活では勝てない。受験勉強で不完全燃焼だった自分は、学生団体に入って社会人顔負けなプロジェクトを行い、ボランティアをし、学生会議や自主ゼミを運営し、留学に行き、ベンチャーでのインターンを行い、「ガクチカ」を沢山沢山ゲットした。イキってた。とにかく、生き急いでいた。常に、「周りと違わないといけない」圧があった。だから、SNSは単に旅行やご飯の投稿じゃなくて自分がやっていることを言語化して発信する形をとった。加えて、東京ゆえのキラキラしたお店やご飯を沢山あげた。とにかく必死だった。狭くて小さい世界で必死に、必死に。

地方の国公立大に進んだ高校の同期や先輩、後輩の生活が羨ましかった。広々としたアパートで自炊して一人暮らし。東京の大学生のような過度な競争に揉まれず、自分の大切にしたいこと(学問、趣味、恋愛など)に向き合っている姿。高校の部活の延長としての大学のサークルや部活。あたたかい雰囲気の飲食店のバイトとそこのまかない。一人暮らしが多いからアパートでタコパ。競争の渦中にいた自分は、一瞬それは甘えとかぬるいとか思ってもいた。でも、内心は自分を過度に盛って変えようとしなくても生きていける(ように見える)のが自分にはできないことであったから羨ましかった。社会人になってから東京に出るでも十分良かったんじゃないかって。

地方の国公立大を卒業した高校の同期の多くは、地元の県庁や市役所に就職しない場合は東京のそれなりのところで働いている。
18の春に東京に来て、そこから東京を生き抜いて、学生のうちは知らない方がよかったことを沢山知ってしまった。知らない方がよかったことを知らずに東京で働く/働こうとしている同期が羨ましい。

そう思いながら、社会学してる。

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