自分の欠陥

こんにちは。ぱるむです。
今回は自分の中にある欠陥について考えていこうと思います。

私の周りの友人は優しい人ばかりで、私に対して飴と鞭は8:2くらいの割合で与えてくれます。
それは私が自己肯定感がそこまで高くないのを見透かされているのか、情があるからなのか分からないのですが、とても優しい人ばかりです。
それでも私のことを想って厳しい言葉をくれる友人もいます。
人に厳しいことを伝えるのは勇気が必要です。なのでそういう友人は絶対に手放してはいけないと思います。
その厳しさの中に大きな愛を感じたとき、私のために伝えてくれているんだと思えたとき、精神的に満たされる感覚があります。

私は中学生の時も高校生の時も、そして現在の大学生の時も友達が10人もいないほど少ない。
それは自分が人をえりすぐっているわけではありません。
誰かを必要以上に嫌ったり、あるいは媚を売ったりもしていません。
友人が少ないと言いつつも、特定の人に依存した経験もありません。
今までの経験で、ニコイチ(二人で一つ)と表すことができるくらい仲がいいコンビがいた記憶があると思います。
○○ちゃんと言ったら▶▶ちゃん、のような仲の良いコンビです。
人生でそのようなコンビのように仲の良い友人ができた経験もありません。
常に一定の距離間で、壁があるわけではないけれど近すぎも無い、自分の中でちょうどよい距離間を無意識的に保ってきました。

恋人の話をすると、二人とも相手から別れ話を切り出しています。つまり、二回とも私は振られています。二回とも1年も経たないうちに。

これって何か私に欠陥があるからなのでしょうか。
今まで生きていて親友と呼べるような友人が一人もいない、恋人と1年も続かない。

こんなこと(私に何か欠陥があるから特定の人と親密な関係が築けない、ということ)を身の回りの友人にこぼしたら、きっとあの子もあの子もあの子も「そんなことないよ」と口をそろえて言ってくれるんだろうな。
でも私が見えていない、気が付いていない私の欠陥をあえて知りたいとも思えないから、鞭で打たれるのが少し怖いな。

半年近く恋人からびたびたの愛情を頂いていたので、その暖かさに慣れてしまったのかな。
今はとても精神的なつながりを欲しています。
あなたがいなくても生きていけるけれど、あなたがいた方が幸せだよ、とただ一言伝えて欲しい。
そして私のことを傷つけないで欲しい。
鞭で打たれることと、傷つけられることは別のものです。
鞭のような厳しい言葉は、その言葉の中に愛があります。
傷つけられる行為はただ痛くて辛いだけ。愛もクソも無い。

愛されるためには愛される努力が必要です。
それは外見でも内面でも同じことが言えます。
顔中ニキビだらけ、とっても太っていて、足が臭くて。
そんな女の子はよっぽど中身が素敵な人でない限り人を選ぶと思う。
わがままで、口が悪くて、恋人をATMだと思っていて。
そんな女の子はいくら外見が素敵でも相手の精神をすり減らすような子だと思う。
私はついつい安心して愛される努力を怠ったのだと思います。
彼に甘えていたのだと思います。

もう一度、素の私は愛されないということを、
2年ぶりに思い出して涙も出ないです。
鞭の言葉待っています。よろしくお願いいたします。

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