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昔々あるところに頭の弱い女がいました《1》

今年の誕生日で29歳になってしまった。

少し前、厳密に言うとこうして世の中にコロナウィルスが溢れる前までは、
私は早く30代になりたかった。

周りの30代以上の人たちには余裕があって、
これまでの人生で築いた基盤の上で遊びや趣味を楽しんでいて、
それにとても憧れて、
なんの根拠もないのに自分も30代になったらそうなれると思っていた。


でも、今の私にとって30代を目前に控えた今は絶望しかない。


正直に言うと、ここのところ気分が優れない日々が続いている。
それはここ最近始まった話じゃなくて、去年の頭、
まさに冒頭で話した通りコロナウイルスの訪れと共に
これまでのメンタルが保てなくなってしまった。

キッカケはコロナとは無縁な場所にあったんだけど、
コロナの情勢がそれをより加速させていった。

これがきっと10代や20代前半の若い女の子なら、
『そういうお年頃』で済ませられるんだけど、
独身でアラサーのメンヘラなんて笑えない。
“地雷系”なんて言葉では済ませられないくらいの地雷物件だと思う。


昔ならこういう時、友達や彼氏に癒してもらえた。
「ねえ聞いて〜!」と泣きついたら、皆んな優しく受け入れて
「あなたは悪くないよ」ってズブズブに甘やかしてくれた。

でも、今はそういうわけにいかない。
例えばちょっとした愚痴なら零すことができたとしても、

心の内に抱える本音とか、
腹の中に積もった真っ黒で湿度を帯びた卑しい感情は
昔ほど気軽に人前で取り出せなくなった。
端的に言うと「話す事が面倒くさい」と感じるようになってしまった。

人に話したところで、
そういう深いところの不安や不満は、
結局自分で何か考え動かないと解決しないと、
さすがに30年近く生きてこちとら学んでしまった。

昔なら、「ねぇ聞いて〜!」の一言で
なんとなくその感情をその場で吐き出して処分できたかのように自分自身を誤魔化せていたけど、
もう誤魔化せない程度には大人になってしまった。

だからいつまで経っても「ゴミ出し」が出来ないまま、私の内面はゴミ屋敷になった。



最近読んだ本で「あまり自分を年寄り扱いしない方が良い」と言う言葉を見て、ハッとした。
ここ最近の私の頭の中には「もうこんな歳だし…」「若くないから…」って言葉がずっとループしてた。
されど、まだ一応20代の壁にはギリギリしがみついているんだ。

まだまだもっと色んな事ができるはず。
思えば10代の時にもーーー


と振り返ったところで、このnoteを書くに至っている。

最初に言っておく。
やっぱり私はもう若くない………

せっかく起きあがりかけたのに、
頭を天井にゴツンとぶつけてしまった。


10代の時の私は、“行動力”。
本当にただそれだけを生きるエネルギーにしていた。
そんな過去を振り返ったら、
さすがに今この歳で同じように行動する事はもう出来ない。
やっぱり若さに敵う武器はないよなぁ…って結局年寄りじみた言葉を呟いてしまう。





例えばまだ10代だった当時。
私は中学生の頃から椎名林檎が好きだった。

私が中学生だった頃は倖田來未やmihimaru GTが流行っていたけど
私が好んで聞いていた音楽は椎名林檎やシンディローパー(あとこの頃からジャニヲタでもある)

椎名林檎もシンディローパーも素晴らしいアーティストで、今でも大好きだし、
なんならその2人にはなんの罪もないんだけど、
これを書いてる今、顔の温度がかなり上がっている。
改めて振り返ると、私は完全にカブれている子供だった。恥ずかしい。


話が脱線してしまったけど椎名林檎が好きだった私は、
当時通っていた美容院で同じく椎名林檎好きの美容師さんと仲良くなった。

椎名林檎の髪型を真似たりもしていたから、
その美容師さんになら
「ギブスのPVの頃の林檎ちゃんにして!」とリクエストしても希望通りの髪型に仕上げてくれた。

(ギブスのPVの頃の林檎ちゃん)


あと関係ないけど
この頃私は1つ年上の「けんけん」という男性に一目惚れし、初恋を経験する。
私は彼を「けんけん」、彼は私を「にゃんにゃん」と呼んだ。

結局この初恋はけんけんの
「意外と背中たくましいね」の一言によって成就することはなかったけど。
今考えると、この頃からけんけんは私が将来プロレスの道に進むようそっと後押ししてくれたのかもしれない。
………そんなわけねぇだろこれを読む君たちは思春期の女にそんな言葉絶対に言うなよ。


また話が脱線してしまったけど、
ある日椎名林檎好きの美容師さんが
「さいたまスーパーアリーナで行われる椎名林檎のライブチケットがあるんだけど、
どうしても仕事で休めないから、よかったら代わりに行ってくれない?」と。

そのライブは私も行きたいライブだったから、
二つ返事でOKしてチケットを譲り受けた。


さて、場所は埼玉である。
当時愛知県は岩倉市という県内で1番小さな市に住んでいた私にとって、
関東進出は修学旅行以来2度目であり、一大事だった。

田舎の暮らしに飽き飽きしてた私は、
どうせならライブだけじゃなくて他にもいっぱい遊びたい、
東京を満喫したいという思いで親友のYを誘った。一緒に東京に行こうと。

Yも二つ返事でOKをして、私たちは東京旅行のプランを立てた。

当時私はYと同じ登録制のバイトをしていた。
工場内での軽作業がメインで、お酒のピッキングをしたり、
レンタルエロDVDにバーコードを貼ったり。


年齢は全く言い訳にならないけど当時は10代で、
ハッキリ言って人生をナメていたから仕事に対してもかなりナメた姿勢だった。
仕事中の私語は当たり前、ひどい時は仕事中に普通に寝た。

それでも私たちは若さを理由に周りから甘やかされ、現場のリーダー格のオジサンから可愛がられていた。
竹を割ったような清々しいほどの贔屓である。

そんな私たちでも一切クビにはならない緩すぎる職場だった為、

「せっかく東京行くんだから、リミット決めたらもったいなくね?
いつ帰るか決めずに、帰りたくなったら帰ろうぜ〜!」
と計画にもならない計画を立てた。


そしてYと共にキャリーケースを引きずって名古屋駅に向かい、東京行きの夜行バスに乗った。



バスは早朝に到着した。
その日の夕方には椎名林檎のライブが控えていた。
特に椎名林檎に興味のないYは、
私がライブを楽しんでいる間千葉に住む友達の元に行くらしい。
私たちは一旦別れ、私はさいたまスーパーアリーナに向かった。

美容師さんから受け取ったチケットは2枚あったから、
確かもう1枚はmixiで同行者を募集して、全く知らない人と鑑賞した。
チケットを受け渡した時以外、ほとんど会話した記憶がないけど。


ライブは夜に終わり、私はYと再び合流するため連絡を取った。
Yは秋葉原にいたらしい。
そのまま私は都内に移動しYと合流した。


何か適当にご飯を食べながら、私達は合流前に各々どう過ごしていたかを話していた。
その会話の中でYは
「千葉の友達と秋葉原を歩いていたら、酔っ払いのオジサンに絡まれて1,000円もらった」
と話した。


それを聞いた途端、私は大興奮。
「東京すげーーーー!!!!」と叫んでいた。


田舎の道ではそもそも夜に人が歩いていないから、
変質者にチ◯◯見せられる以外に絡まれる事も少ない(以前のnote: 「露出系変質者と通じ合えた話」を参照)


完全に東京ドリームを夢みていた田舎者な私は
「東京は道歩いてるだけでお金貰えるのか!!!やっぱ都会ってすげぇなぁ!!!」
と目を輝かせた。



そしてその夜、私たちは漫画喫茶に“チェックイン”する。

そもそも帰る日程も決めていないこの旅行で、ホテルなんか抑えているわけがない。
ホテル代にお金かけるくらいなら東京でいっぱい遊びたい。
哀れな田舎者の成れの果てである。
この選択が後に大変な事態を引き起こすのだけど…。




次の日、私たちは秋葉原にあるメイド喫茶に行って萌え萌えジャンケン大会に参加し見事優勝。
ステージにあげられ、
「1番萌える格好はニッカポッカです!」とインタビューに答えたり、
ゲーセン備え付けのコスプレ衣装を纏ってプリクラを撮ったり、
“東京”の空気を全身に浴びようと満喫していた。

(萌え萌えジャンケン大会優勝後のプリクラ。この時は、数時間後には大変な事になるのをまだ知る由もない…)



夜になろうとする時、
私たちは次の日に予定していた原宿観光の軍資金を稼ぐ為、パチンコ屋に入った。

当時私達はパチンコの楽しさを少し覚え始めてしまった頃だった。
ビギナーズラックで殆ど負ける事なく勝てていた経験も災いして、
当時の私にとってパチンコは完全に「自動でお金くれる機械」と認識されてた。


………もうお気づきかもしれないけど、
私は本当に頭の弱い人間だったのです。
この時点で既に「コイツやべぇ…」と頭を抱えている人はこれ以上読み進めない方がいいかもしれません。
面白がれる方だけ、続きをどうぞ…。



何の台を打っていたかは忘れたけど、
目の前にある機械は私の財布から何枚もお札を搾り取っていく。

そしてついに、私の財布は空になってしまった。

「明日の原宿代がねぇぇーー!!!!」

項垂れる私を哀れに思ったのか、Yは私に1万円を差し出した。

「お金貸すから、とりあえず明日原宿には行こうよ」


わたしはそのお金を笑顔で受け取り、こう言った。


「ありがとう!
じゃぁこのお金、倍にする!!!」




もうその後のことは詳細を書かなくてもお分かりだと思うのであえて書きません。

私は原宿で遊ぶお金どころか、帰りの名古屋までの交通費も失い、無一文となった。

今もしも私が全く土地勘のない場所で、この状況になったら
かなり焦るし、どうしようと頭を抱えるかもしれない。


だけど当時の私は、あまり焦っていなかった。
「やべぇ。やらかしたーー(笑)(笑)」くらいの感覚だったと思う。
人から借りた金をパチンコで溶かしておいて…。


心配そうに私を見るYを尻目に、
私は昨日のYの言葉を思い出していた。



「ごめんY、
ちょっと道でお金貰ってくるわ!!!」




そして私は、なんとなく夜でも人が居そうというイメージで、
田舎者でも知っている街・歌舞伎町へ
1人向かうのであったーー



《たぶん続く》

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