身元保証会社

現代日本では個人を判別するにまずは、その所属を問う。つまり、「誰であるか」よりも「どこの誰か」が優先するということである。これは何も人間関係だけに限った話ではなく、あらゆるフェイズで問われることになる。もっとも分かりやすい例で言えば、不動産を借りるとき、クレジットカードを作るとき、「どこの誰か」を問われる。「どこの」を持たない人間はここで差別され不利益を被ることになる。
例えば筆者も含まれるフリーのライターやエディター、風俗産業に勤める女性、法人化されていない個人起業家などがその代表となるであろう。これらの種類に属する人間はマンションひとつ借りるのにも苦労することになるし、カードなどを持つことはまず不可能ということになる。これが不合理であるか否か、差別であるか否かを論じようというわけではない。こうした状況があれば、それを商売にする人間というのは、禁酒法下でマフィアが肥え太ったように存在するということである。
これを「身分保証業」という。
スポーツ新聞や夕刊紙などで見掛けた人もいるであろう「在籍証明します」といった類の広告はすべてこれである。区別しなければいけないのはいわゆる取り込詐欺を行う「幽霊会社」とは違うということだ。幽霊会社の場合、その多くは電話代行、秘書代行といった商売を利用し、商品を購入、品物をバッタにかけて消えてしまうというやり方。これは明確な犯罪行為であることは言うまでもない。
一方、身分保証業はどうだろうか。こちらは、幽霊会社とは違い、法人格を所有するれっきとした「会社」である。もっとも、いわゆる会社に比ぶべくもないのは事実で、その多くはマンションの一室などを所在地とし、二、三の机と数台の電話と数人の従業員を持つ程度であり、甚だしきは一台の電話、一人の従業員などというものである。
ある風俗に勤める女性がいたとする。彼女はいま住居とすべくマンションを探している。しかし、どの不動産を訪れても優良な物件を紹介してくれない。一昔前は水商売に従事する人間も同じような扱いを受けたが、最近では水商売も多くは法人となったため、状況は好転している。しかし、風俗の場合、女性は簡単に言えば個人事業主であり、店に所属しているといっても雇用関係があるわけではないため、「どこの」がないわけである。不動産屋、貸し主からみれば、どこの誰か分からない得たいの知れない人間である。
しかし、彼女であっても身分保証業に頼めば簡単にOLになることができてしまう。
「うちの場合は、十万円です。それだけ払って貰えれば社員であることを証明しますし、給与明細もちゃんと発行しますよ。もちろん、ちゃんとした会社ですからね、何も問題はありませんよ表面上は。不動産の場合はどうしても収入を証明しろと言われるでしょう。だから、給与明細が必要になるんですよ。それさえ見せればまず問題ありませんね。会社に在籍しているかどうか問い合わせもありますが、それも大丈夫です」と業者は言う。
彼の会社というのは休眠会社を起こしたもので、あるマンションの一室にある。ガランとした室内には机が3つ。それぞれにビジネス電話が置いてある。
「わざわざビジネスホンを置いてあるのはですね、部署ごとに電話を転送するためですよ。見せ掛けに過ぎませんけどね、一台の電話でちょっとお待ちくださいなんて下手な芝居をやるよりも、ちゃんと転送して別の人間が出るほうがずっといいんですよ」
実際に電話の応対を見せてもらったが、こんな感じだ。
「はい、興和産業です。山野ですね、少々おまちください」
「お待たせしました、総務部です。山野はあいにく外出しておりますが、どんなご用件でしょうか。はあ、不動産の方ですか。ええ、在籍しております。もう五年になりますが」
これが同じ室内で行われているとは、よもや誰も思わないであろう。
「在籍年数とか、細かいことはですね、契約する時に相手に複写したものを渡していますから、間違いは発生しませんよ。ま、これで不動産は確実に借りることができますよ。十万円が高いか安いかは、苦労した人ならすぐにでも分かると思いますが」
いったいどれぐらいの収入があるのか、顧客は何人ぐらいいるのかは教えてもらえなかったが、普通に会社をやるよりもずっと儲かると言っていた。取材中にも、専用の受け付け電話(これは別室)が次々と鳴っていたことも付記しておこう。
さて、まるで人助けをしているかに見える身分保証業だが、実際にはこれも人を欺いていることに変わりはない。不動産などの場合にはいったん契約してしまえば、その後契約者が会社をやめて別の職業に転職したとしても、それを理由に契約解除することはできないし、通常そこまで詮索することはない。契約更新も自動的に行われるわけだから、最初に契約する時だけ利用すればいいということになる。
同じようにローンを組むこともできる。
「ローンとかカードでくるお客さんもいますからね、これも大事な商売です。カードを作らずに組むローンってありますよね。日本信販とかジャックスみたいな。こういう場合は料金は不動産と一緒です。一度確認を取るだけですからね、継続する必要はありませんから。審査なんて言ってますが、よほど高額な商品じゃない限りは会社にいるかどうかさえ確認すればそれで問題ありません。
後でトラブルが起きたって関係ありませんよ。退職しましたといえばそれまでじゃないですか。申し込んだ時点では社員だったけれども、現在はもう居ませんとね。後は信販会社とお客さん個人の問題になりますからね、うちはまったくノープロブレムですよ。カードを作る場合も基本的には一緒なんですけどね、これはあんまりトラブル起こされると作れなくなっちゃうんでね、もう少し料金は高くなってます。ま、どちらにしろ確認といっても電話一本で、会社までくるわけじゃないし、仮に法人を調べようと思ってもちゃんと登記してありますからね」
確かに、こうした金融関係では審査と言ってもこうした電話だけのものが多い。言うまでもなくサラ金も同じことである。どちらにしろ、「どこの」を持たない人にとっては、仮に十万円出資したとしても、得るものは多いということになるのだろう。だが、考えようによっては脱法行為もできるわけだ。
「まあ、それは蛇の道はヘビですからね。こちらから持ち掛けはしなくてもねえ。例えばですよ、風俗に勤めている女性がいたとしますわね。これは普通なら個人事業主になりますから、確定申告をする必要がありますよ。万が一税務署に調べられた時にですよ、申告していないと問題になりますからね。その場合はちゃんとうちの社員として扱っておけばいいんですよね、そうすれば税金だって問題ありませんよ。
こういうケースの場合はですね、ちゃんと社員にするんです。つまり、うちの方で所得税も払うし、雇用保険なども払うんです。もちろん、料金は頂きますよ。最初の契約金、毎月の会費という形でね。だから、うちの場合はちゃんと社員もいる会社なんですよ(笑)。税務署にもきちんと申告してるしね。社会保険も入ってますから」
最低限の収入ということで支払っておけば、もっと収入があったとしてもそれはすべて申告せずに懐に入れることができるという仕組みだ。実態がどうであれ書類上の不備さえなければ、誰も文句は言わない。内容ではなく外面で判断することに慣れきってしまっている現代社会の落とし穴だ。
もともとこの身分保証業というのはアリバイ証明のような形で始まったのがそもそもの発祥である。ソープランドで働く女性が、身内に内緒の場合などに利用された。つまり親元に連絡先として教える社名であり電話番号ということだ。親が電話をした場合には「いまは外出している」と答えておいて、本人にポケットベルですぐさま連絡する。連絡を受けた本人は親に折り返し電話をすることでアリバイを作っていくわけだ。こうしておけば、OLだという話もぐっと信憑性が増すことになる。
最近では携帯電話やPHSが普及したためにより便利になっている。外出しているとは答えずに、少々お待ちくださいといって、電話を転送してしまうのだ。あるいは、三者通話機能を使うこともできる。いずれにせよ、その場に本人がいるかに思わせることができるのだから、ますます完璧になったと言ってもいいだろう。吉原や堀ノ内で、この手を使っている女性はかなりの数にのぼるのは、まず常識といっていいだろう。
これ自体は罪がない商売だったが、現在ではそこからもう一歩進んでしまった感がある。実際にそんな会社があるのかどうかよりも、書類上あればそれでいいとする社会に問題があるのではないだろうか。
「外人も多いよ。まあ、外人の場合はそもそも部屋を借りるのは難しいんだけどね、それでも会社勤めしてるとなればかなり有利になるからね。その上、うちの場合は保証人商売もやってるから」
不動産を借りるときには保証人が必要になる。契約者本人が家賃を不払いした場合などにそれを保証するという人間だ。外人では保証人を探すのは難しいが、それすらこの会社に頼めば解決してしまう。ただし、料金はかなり高くなるそうで、百万円もらうこともあるそうだ。
「うちの場合は、この会社が一番優良な社員を抱えてるわけで、他にも会社を持ってるんだけど、そっちはただ同然で手に入れた休眠会社だからね。取り込詐欺なんかはやらないけど、カード関係はいろいろやってるよ。まあ、どうせまた潰してしまうからいいけどさ、ようするに架空名義のカードなんか作る時に利用するということだね。住民票を提出しろなんて会社はないからね。
自宅があって勤務先があれば、まあ大丈夫なんだよ。だから架空名義のカードが欲しいというやつがいれば、そっちの会社で対応してるんだよ。トラブルになった場合には、うちも被害者だと開き直ることが多いね。とは言ってもあまりにもひどい場合は逃げきれなくなるし、数が増えれば疑われるから、そんな時は会社を倒産させてさようなら、というわけだ」
これは犯罪になるだろう。が、いずれにしろ法人というものがどれだけ信用されているかという一例ではある。
さて、身分保証業の場合はきちんと法人格を持っているものが多いと書いたし、ここで紹介しているのもそうだ。が、中には悪質なものも存在する。幽霊会社で身分保証業を行っているわけだ。
これはいわゆる貸し机を利用しているものだ。法人でもないのに企業名で登録すれば、秘書代行がちゃんと受け答えしてくれる。確認する側にしてみれば、間違いないと思ってしまうのも無理はないだろう。
この幽霊会社を使えば取り込詐欺などは簡単にできてしまう。詐欺が発覚したところで、秘書代行会社の方は「うちはスペースを貸して、電話の受け答えだけをしてるに過ぎない」と答えるだけだ。いかなる犯罪がそこで為されていたかなどには関知していないわけだから。
身分保証業に頼む必要がある場合というのは、先にも書いたように給与明細などが必要な場合だから、それがいらないなら、こうした幽霊会社で十分ということになる。中には、自分で幽霊会社を作ってアリバイ証明に使っている人間もいる。もちろん、詐欺などを行うのではなく、そこに自分がいると思わせるためだけに使うわけだ。こういうシステムが多数ある現在、「どこの誰」にこだわっていると思わぬ落とし穴にはまることもままある。商品を騙しとられるというのもそうなら、恋愛相手がとんでもない人間だったなどということにもなる。それも自分で墓穴を掘っているというのだから笑えないだろう。
身分証明書を提示する必要がある場合でも、大丈夫ということになる。きちんとした(というのも変な言い方だが)身分保証会社ならば、社員証まで発行してくれるのだから。写真が添付してある身分証明書を持つことができれば、ずいぶんと便利なのは様々なレンタル業を利用した人ならすぐに分かるだろう。運転免許証を持っていない人にとっては朗報以外の何者でもないだろう。しかも、これは偽造ではないのだから。
電話代行、秘書代行は、本来は起業家が事務所を持てない場合に取引先に対して箔をつけるためにできたようなものだ。個人商売ではないことを相手に印象づけるためのものだから、もともとハッタリ産業とでも呼ぶべきものだろう。そのハッタリが通用してしまう社会に我々は生きている。ならば、いかに上手にハッタリをかますかによって影響がでるのも当然ということになる。
「結局ね、会社員というのが今の日本では一番信用されるわけだから、我々のような商売も成り立つわけだね。どんなに胡散臭い雰囲気のやつでも、会社員と分かれば途端に信用してしまう。嘘だと思うなら実際にやってみるといいよ。長髪で汚い格好して不動産屋に行けば分かる。台帳すら見せないよ、最初はね。だけどちゃんと会社勤めしてると言えばね、掌返したように丁寧になるからね。いや、これは自分の経験でもあるから、間違い無いよ(笑)。カードを申し込む場合も、ローンを申し込む場合も同じ。どんなに定収入があるんだと言っても努めてないと審査がうるさいし、弾かれることすらあるんだよ。それが、どんな会社か分からないようなものでも、会社に勤めてれば大丈夫になるんだからね。保険だって同じことだよ。国民健康保険は高いじゃないか。社会保険ならね、全額自分で払ったとしても、いざ病気になればずっと徳になるんだよ。まあ制度が若干変わるからこれからは分からないけどね。でも、たとえばだよ、サラ金で借りるにしたって国保より社保のほうが限度枠だって大きくなるんだからね。どれだけ会社員であることが有利だか分かるだろう。税金だって同じさ。サラリーマンとして所得税を払っていることになってさえいれば、税務署だってうるさいことは言わないよ。まあ、あまり派手にね、外車を現金で購入したりすれば疑われるけどさ、ローンでも組んで地味にやってればこれも問題なし、ということになるよ。だからね、収入の一割くらい払ってでも会社員ということにして欲しいという客は後を絶たないんだよ」
「どこの誰か」を得ることによる有利さがあることは否めないことはくり返し記したが、彼らの話を聞けば聞くほど、これはやはり、社会の欠陥部分に食らいついた商売ではないか、と思わされる。
隙間産業という言葉があるが、この身分保商業こそがそれではないだろうか。本来ならば、人間そのものを見て判断すべきなのに、名刺の肩書きで判断してしまう。筆者自身も含め大いに反省しなければいけない。
「まだまだ増えるし、儲かるよ、この商売は」最後に彼が言ったこの言葉。証明するかのように、今日もまた新聞には広告がいくつも掲載されている。

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