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本年もよろしくお願いします。復帰50年の沖縄は重要選挙目白押しの「選挙イヤー」です。

今朝のFacebook投稿に若干加筆してお届けします。昨年は、いまひとつnoteの有効活用ができませんでしたが、今年は久しぶりの単行本『沖縄が日本を倒す日     「民意の再構築」が始まった』(かもがわ出版)を世に問う運びともなりましたので、心機一転、頑張ってみます。
お付き合いのほど、よろしくお願いします。
皆々様、必ずかならず、良い年にいたしましょう。

【2022年1月1日。報告、その1】

瀬嵩の丘から、大浦湾越しに、初日(はつひ)を拝んだ。

辺野古の浜での「ハチウクシ(初興し)」は、コロナ禍の状況に鑑みて中止となったので、たまにはたったひとりで初日を拝むのも悪くはないか、と思い、「定点観測ポイント」の瀬嵩灯台跡の展望台へ。

すると地元の若者たち7~8人の先客があった。
丁寧な挨拶をしてくれて、こちらも新年の挨拶の言葉を返す。
「毎年ここで叫んでまっす」
と、ひとりが言う。
そういえば、集落の外れから短い山道を上がってくる間、叫び声が辺りに轟いていた。
高校生だろうか。中学生がちらほらまじっているように見えなくもない。
「君たち、何年生?」
と訊いてしまった。
すると、
「21歳です」
との返答があって驚いた。
みんな幼く見える。おいらこの年頃にはすでにかなり、ひねた顔してた自覚症状的思い出がある。いつも何歳も年上に見られてた。

それはともかく、わたしが初日のみならず、大浦湾に浮かぶ辺野古新基地建設関連船舶にもカメラを向けるのが気になったのか、さっき返答してくれた彼とは別のひとりが、「辺野古を撮りに来たんっすか」と訊ねてくれた。
「うーん、こんな状況になっちゃったことは、ずーっと気にしてるんだよ。ここは、昔から、地元の人たちの海のはずなのにね」
すると最初の彼が、「そうだ、バカヤローッ」みたいな叫びをあげたが、半ば怒りつつ、半ば笑いのネタにしようとしている風情も。
わたしはみんなに訊ねた。
「君たちは、新しい基地がここに出来てもしょうがない、と思ってるのかい?」

そこで「はい」と即答したのは、たったいま叫びをあげたばかりの彼だった。
「もう、できてるし……」
(嗚呼、実際には、軟弱地盤が広がる大浦湾の深場を埋める目処などまるで立ってないのに、埋めやすい浅瀬にだけ土砂をブチ込み続けた「ならず者政府」の既成事実化作戦に、まんまと騙されてしまってるんだな~🤣)
他の若者たちは黙ったままだが、さっきの彼が、さらに言った。
「どうせ基地造られるんだったら、名護市は、ガッポリ金をもらってほしいっす」


こういうとき、初対面であろうがなかろうが、誤解を解くためのじっくりトークを始めたくなるわたくしめ(首里に住んでいたとき、初対面に近い石焼きいものおばちゃんの2014年の知事選の投票行動が、わたしのトークを聴いてもらったあと、180度変わった、という成功体験もある)だが、元日の少々タイトなスケジュールに鑑みて、最低でも1時間ぐらいは必要であろうトーク&質疑応答は、またの機会までお預け、と判断したのであった。
他の若者たちは黙っていたし、もしかしたら、1月23日の名護市長選予定候補者#岸本ようへい さんのチームカラーのブルーのジャンパーをわたしが着ていることに気づいた人もいたかもしれない。
いずれにしても、その場にいた若者の皆が皆、「どうせ基地が造られるなら……」と考えてしまっているとは限らない。
しかしわたしたちは、このことを真摯に受け止めねばならない。

こういう考え方をしてしまう若者に対して、信頼に足る隣人として誠実に向き合い、丁寧に誤解を解き、あらゆる観点から見て間違いだらけの辺野古新基地ゴリ押し工事は、今からでも必ず止めるべきだし、止めるのは当たり前のことだし、止めても大丈夫なんだよ、と、わかってもらわなくちゃいけない。

名護らしい誇りある豊かなまちつぐりは、辺野古新基地と引き換えの米軍再編交付金なんかに頼ることなく、新基地建設をきっちり止めてこそ、ますます価値が出てくるんだから、みんなで頑張ろう~っ、と思えるように、理解・共感してもらわなくちゃいけない。

その決意を胸に刻みながら、辺野古の浜(松田ぬ浜)へと向かったわたくしめであった。

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