ルキ

弱い人間なので、同じように悩んでいたり落ち込んでいたりする人に向けてなにか書ければいい…

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弱い人間なので、同じように悩んでいたり落ち込んでいたりする人に向けてなにか書ければいいなぁと思っています。 なんとか、なんとか、毎日を生きて行ければと思っている、空を眺めたり、海を眺めたり、そんなことが好きな人間です。 宜しくお願いします。

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  • 小沢健二関連

最近の記事

そう、男のコは保守的さ

仕事がオフの時、家にいる小さなコに連れられてほてほてと近くの公園まで行ったときのお話。なごやかな風が吹く公園では、つい最近までおしゃれして街なかを闊歩していたような女の人たちが僕と同じように小さなコをつれて遊んでいるんです。みんな一様にジーンズにトレーナー、足元はスニーカーって格好。もちろんOK。とっても機能的だし、砂場で汚れちゃうことだってあるし。 そんな中、僕も滑り台で小さなコと遊んでいると、一人だけ小さな花柄のフレアのワンピースに紺のカーディガン、足元は黒のショートブ

    • 想い出の思い方

      男が人生で今までにつきあった彼女の写真を机の上に置く時は、横一列に並べるんだそうです。 逆に女の人は今までつきあった彼達を1枚1枚重ねて置いていくそうです。 その話の落ちは、「男性は今でも昔の彼女のことを想っているけど、女性は1人1人を完全に終わらせていく」ってことらしいです。ま、これが全ての人にあてはまるとも思わないし、そんなに僕等の心は簡単じゃないって思うんだけど、「想い出」の思い方って確かに男性と女性じゃ違うような気がするんですよね。 例えば、この歳になれば僕だっ

      • 高学歴の世界線に疲れたんだ

        この2年はニュース記事をwebに上げる仕事の末端にいる。 ニュース記事のタイトルは自分で考えて、記者が書いた原稿のリライト部分も含めて偉い人にチェックを受けるのだけれど、偉い人とは感覚が違うのであっさり書き換えられる。 そんな毎日だ。 毎日毎日、田舎のニュースを見るのに飽きてきた。市議会がー、県知事選がー、自衛隊員がー、ダム建設問題がー、、、「今日」ではなく「きょう」、「怪我」ではなく「けが」、「教養が無い人でもわかる言葉で」が理由らしい。アホらしい。そのくせ、「起訴され」

        • どうかしてる。

          昔、古庄久美さんというとても温厚な歳上の女性と付き合ったというか、ままごと見たいな恋をしたことがあった。古荘久美さんだったか、古庄久美さんだったか、古庄くみさんだったか忘れた。時は残酷だ。手をつないで街中から、結構な長距離を歩いた覚えがある。夏祭りの夜だった。どうしていらっしゃるだろうか。とても人のいい人だった。幸せならいいなぁと心から思う。 あとは、ぼくなんかと間違って結婚しなくて本当にその人は良かったと思う。 そういえば、僕はその人と、どうやって別れたのだろう。それす

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          4本

        記事

          SOMEDAY

          僕が音楽を知ったのは、小学校4年生、10歳の頃だった。1980年、佐野元春さんがデビューした年だったと思う。 当時、僕は、鍵っ子の一人っ子だったので、学校が終わると母の実家、下宿屋を営んでいた「じいちゃんち」に行き、母がパートの仕事を終え迎えに来るのを待つ毎日だった。 じいちゃんちには従兄弟のお兄ちゃんとお姉ちゃんがいて飽きることは無かったどころか、すごく楽しかった思い出がある。 それにも増して、大学生相手の下宿屋を営んでいたじいちゃんちには、大学生のお兄ちゃんたちがた

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          ぼくは出来損ないの人間

          歳をとるごとに、「自分は出来損ないの人間だ・・」と痛感する。 小学生の頃は、足が速くてリレー選手だった。 中学生の頃は、野球部でピッチャーをやっていた。 そこそこ成績も良かった。 高校は将来を考え、行きたくない学校に進学した。 今では、ほぼ思い出が無い。 大学では野球を続けた。つまらなかったが、辞める度胸が無かった。 思い起こせば、小学校の通知表にはいつも”協調性が無い”と書かれていた。 その言葉は、人生にずっとつきまとってきた。 仕事はいい仕事に恵まれた。 しかし、いい会

          ぼくは出来損ないの人間

          考えない

          「考える」ということについてよく考えるのだけど、野球だったら考えないで直感で打っていく選手のほうがある程度のレベルまでならうまくいく。「考えすぎると打てなくなる」イップスがその代表例。野球もゴルフも。 仕事や日常生活でも、聴こえ的には「考える」人のほうが賢いように思えるけど、実は、「考えていない」、言い方を変えると「鈍感力」のある人のほうがうまくいく。 なぜなら、深く「考えないから」。落ち込むリスクも無い。この時代に落ち込まない人間は貴重だ。AIに並ぶ価値かもしれない。隣

          考えない

          衝撃的だった言葉。野球人から見て。

          昨日、高校サッカーの決勝戦を見ていました。 強豪校の青森山田と、県立高・県立高となぜか騒がれた大津高校。 大前提として、僕は昭和から平成初期の野球人。昭和の時代は、野球部から見ると、サッカー部は”敵”でした(笑)。髪の毛は伸ばしてるし、なんだかチャラチャラしているし、雨の日は異常に盛り上がってグチャグチャのグラウンドではしゃいでるし(練習?)。当時は、まだJリーグなんて微塵も無いし、カズなんて知らなかったし。やっぱり高校野球は花形でした。みんな丸刈り、下手したら五厘刈り。根

          衝撃的だった言葉。野球人から見て。

          頼む。。

          この数年、有名人の自死が続ている。それぞれに事情があるし、病気ならもうどうしようもなく発作的にということもわかっているつもり。 でもね、ダメなんだよ。自ら命を絶つのはダメなんだよ。少なくとも親御さんが存命している間は。。友人が、ひとりでもいれば。いや、いなくてもだ。 はた迷惑なんだよ。残された人間は、「自分のせいだったんじゃないか。いや、自分のせいだ」と一生抱えて生きていかなければならない。生き地獄だよ。 だから、死んだ奴は馬鹿だ。誰も優しくなんかしないし、誰も同情なん

          頼む。。

          飾りとしての女

          飾りとしての女。 中身はなにもない。 ただ女の格好をしてバッグを持ち、男の群れに黙って付いている。 呼ばれれば酒場にすぐ出向き、女として置物のようにハイボールを呑んでいる。繰り返すが中身は何もない。ブスギリギリ。ギリギリブス。 ただ、マツエクをし、メイクをし、スカートを履きブランドもののバッグと靴を履いて、女をしている。 ただ飾りでいいのだ。本人も女を呼んだ男たちも。 今夜は4軒、最後に自分の行きつけ閉店間近の居酒屋に一人で女は行った。 酔い潰れて居酒屋で寝かせてもら

          飾りとしての女

          怖くない恐怖体験④

          またUFOのことでスイマセン。当時の上司が資産家で(奥さんのお父さんが資産家だった)、1億円の自宅をつくり、その中に「オーディオルームと書庫を作ったので見に来い」ととても気乗りのしない誘いを受け、土曜日、休日の夜、上司の家に向かっていた。スクターだったのでヘルメットを被り釣具屋さんの裏通りを通っているときだった。真正面から真っ黒い物体が飛んできていた。飛行機?でも、音が聞こえない?ヘルメット被ってるから?スクーターのエンジン音がうるさいから?僕は、スクーターを止め、エンジンを

          怖くない恐怖体験④

          怖くない恐怖体験③

          幽霊の話をしていませんでした。幽霊っぽいものは何度か見たり感じたりしたことはあるんですけど、その中でも、ほぼはっきりと見えたもののお話を。それは午後の仕事中でした。スタジオでその日は仕事をしていて、トイレに行きたくなり、立ち上がって振り返ったんです。すると、白いシャツを着た華奢な男性が立っていました。透き通る姿で、すごく白いシャツが似合っていました。似合っていたって言うのは、幽霊には使わないかな?w  まわりにスタッフが数名いたのですが、気が付いているのは僕だけのようで。でも

          怖くない恐怖体験③

          怖くない恐怖体験②

          2つ目の非恐怖体験です。 小学5年生か6年生の頃だったでしょうか。 自分の部屋は2階にありました。 夜の出来事です。小学生なのに宵っ張りだったので深夜0時は過ぎていたかもしれません。 北側の窓(膝上から頭の上ぐらいの大きな窓)を開けて外を眺めていると、頭上の屋根側からぼくの家が10個ぐらい入る大きさのUFOがゆっくりと無音で通過しているんです。下から眺めているのでUFOの下しか見えませんが、シャンデリアのような、いわゆる映画「未知との遭遇」のUFOそっくりでした。ぼくの家は郊

          怖くない恐怖体験②

          怖くない恐怖体験①

          怖くない恐怖体験が4回あります。 1回目は、小学生のころ、両親と川の字になって寝ているときに、狭い部屋だったので足元がすぐ廊下だったんですね。左に父親、右に母親が寝ていたんですが、ぼくは目が覚めてました。その時、廊下の天井からスタッとなにか黒い塊が落ちてきたんです。よーく見ると、それは右ひざを着いて着地した忍者だったんです(僕に右側面を見せていた感じですね)。それから瞬時に僕の方をキッと見るとまた顔を戻し、すぐに玄関の方に向き直りスタタタタ・・・・・・。朝になって母親にその

          怖くない恐怖体験①

          交換日記

          交換日記をしたことはありますか。 1980年。そう、佐野元春がアンジェリーナでデビューした年。まだ夏が夏らしく、冬が冬らしい年。僕らよそ者が暮らす新興住宅地、ニュータウンに越してきた彼女と僕は交換日記をすることになった。 僕らは昔からそこで暮らす子どもたちとは違う子どもだった。いや、違って見せると思っていた。だから交換日記は誰にも見せないよう鍵付きのものにした。お互いに一つずつ鍵を持って、書いたら友人を通して彼女に渡し、翌日、彼女の友人から交換日記はぼくに帰ってきた。それ

          交換日記

          そうだね。最近のボウイは、知らないね。三日前に新譜が出ていたとは…。

          昔の事は、ほとんど省みないけど、明日の事なんか気にもしないで、みんなでボウイだ、クリムゾンだ何だかんだと騒いでた頃が、一番楽しかったかも。 その時その時の流れに乗って、此処まで生きてきたけど、ずっと自分は変わってないと思ってたけど、この瞬間に、振り返って観ると全然違う自分に為っていたんだなぁと思うよ。その時に求められている自分に成るために、自分をねじ曲げ、まがった自分に、折り合いをつけて、納得し、今いる世界に迎合して生きて来たんだなぁ。これが大人に成るってことですかね?そうじ

          そうだね。最近のボウイは、知らないね。三日前に新譜が出ていたとは…。