「いつか」にいまを潰されたくない。

 以前、「小説家になろう」のエッセイジャンルで「死で生を潰されたくない。(なろう内URL:https://ncode.syosetu.com/n5407em/ )」というエッセイを書いた。人間はいつかかならず死ぬし、その可能性はつねにいつも消えないが、たとえば「明日死ぬかもしれないんだよ?」という「正しい」お声がけはお気持ちだけ受け取ってあとはすべてシャットアウトする、という意を書いた、エッセイである。

 そちらのエッセイにもさまざまなご意見をいただいた。多かったのが「なにもシャットアウトしなくても、そういうものだと思っておけばいいのでは?」「死を意識しておくのは必要だと思う」というお声がけである。正直なところうらやましいなと思った。きっとそういった感じに覚えて死という可能性を抱えつつ、かつ生活をしてゆける、つよいかたがたなのだろう。
 そちらのエッセイの本文中にも書いたが、私は思春期の高熱といっしょくたとはいえ死があまりにあまりに怖すぎて「いっそ死くらいは自分のタイミングで」という動機での自殺未遂からの救急車搬送からの強制入院もやらかしているので、「いつか死ぬよね」っていう事実に蓋をするでも覆い隠すでもなんでも、とにかく「取り組んでゆかねば」気が済まないのだ。
(自殺未遂の動機は死への根源的な恐怖ばかりではなく、というか弱っていたから死が過剰に怖くなってしまったのであって、私のそれらの闇の根本原因はほかにあったのでしょうけど。ただ死はやっぱりいまも受け入れがたくはあるよね。なぜそれでもいまの私がどうにかなってるかというと、小説もそうだし、宗教学でそのあたりも取り組みはじめたからです。生きているうちの気休めといえば気休めだけれど人間がこの世でやるべきしごとなんてそれくらいしか、ない)

 さて、当たり前のことを言うが人間はみな違う。怖いものも、キャパシティも、ゆずれないところも、みな違う。
 私の場合はたとえば、どうしても死に対して過敏だし、だから死を意識しろという言葉に対してのキャパシティは、狭い。

 そしてなにもこれは死にかぎったことではなく、私たちは日常的に「先を見通せ」といった意のことをついつい言いがちである。とくに、年少者や若者、あるいは自分から見てちょっとなにかが危うそうなひとに対して。

 勉強をしない子どもに対して「勉強しなさい! 将来なんにもなれなくなるよ!」。
 クリエイターを目指す若者に対して「ちゃんと未来のことをちゃんと考えたうえでそう言ってる?」。
 現在無職のひとに対して「いつひとりになるかわからないんだよ。将来のこと考えようよ」。

 などなど。まあほんとうに、挙げていったらキリがないが。

 私は憤りを覚えるのである。これら、「いつか」の声かけに。
 私自身がさんざん言われてきたという事情もあるが、
「いつか」の声かけは言った相手を殺しうるし、
 いや。言ってしまおう。それよりもなにより、

「見通さねば」という旧(ふる)い価値観でいまやっていけば、かならずいつか自身がキツくなる。
 そうしていけば、もっと世界は窮屈になる。

 人生はわりかし長い。長すぎはしないかもしれないが、でもほんとうにまあまあ長い。
 そのなかでたとえば病気になったり、心の調子を崩したり、というかそうじゃなくとも自身のテーマみたいなものを突き詰めたくなってにっちもさっちもいかない時期も、あろう。働けないのも、学校に行けないのも、ほんとうにさまざまな事情があって、それはこちらにははかり知れないところがある。

 それでもいちどもいわゆる「挫折がなかった」ひとも多く、だから話は厄介なのだが。
 挫折がなかったというひとはほぼ例外なくみな努力をしてきているのはそうだなと思うのだが、難しいのが、挫折をしたひとにかんしては努力してなかった場合もあるけどしている場合もあるし、一概にこれと言えないところなのだ。
 うまくいっているのは、環境や生まれつきも含め、まあまあ運だったりもする。
 成功なんて、そんなもんだ。

 だからこちらから見て「たとえいま」、相手のいまというものを見て「うーんだいじょうぶか?」と思っても、そこで「いつかこうなるかもしれないから」「いつかこうなるよきっと」「いつか」「いつか」「いつか」、それは呪いだ。

「いつか」というのは思うにベスト論なのである。そりゃさまざまな見通しをすべて検討してそのうえで行動するのはそりゃ理想だろうよ。最高だ。私もできるならそうしたい。でもできない。そのときにどうするか?
 ひとはベターを選びとるべきなのである、むしろ。

 そりゃ勉強をするのは子どもとしてベストだろうけど、勉強いやだからあんまり思い悩むことなくとりあえずスマホゲーの続きやるとか。
 そりゃ就職先を見つけてからクリエイター活動をしたほうがベストだろうけど、いまんとこやってるバイトのままとりあえず作品をつくってみるとか。
 そりゃ経済的自立をすればベストだろうけど、とりあえず朝起きてごはん食べて生きることをだいじにしようとか。

 ベターです。とてもよい。もっともよろしい、ベターです。

「そんなこと言って、いつかは……」
 ほら、また、やめましょ、それ。――いつかは死ぬのだしだったらいま生きてることがとりあえずはすべて、じゃない?
 未来のことまで死ぬことのことまで考えられていたらいつだってベストだよね。でも、そんなの、人間にできます? ――ほんとうにそれらつねにじっと考えているならとっくに哲学者になってるはずなのよね。


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