見出し画像

【ブログvol4】幸せを「感じる」ということ~夕焼けがバラ色に見えますように~

さて、タイトルにも書きましたが

「あなたの目に夕焼けは何色に映っていますか?」


みなさんが浮かべた一つ一つどれもが答えですが、

私には「ばら色」に見えます。


なぜか。


私の好きな合唱曲「夕焼け」の歌詞を紹介させてください。


「夕焼けは 
 ばら色
世界が平和なら
どこの国から見ても
どこの町から見ても
 夕焼けは
 ばら色


 夕焼けが
 火の色
 血の色に
見えることなど
ありませんように。

『夢の手』(花神社)より


画像1



どうか、あなたの目には夕焼けが「ばら色」に映っていますように。


本当は美しい夕焼けだから、誰もがその美しさを味わえる世界でありますように。


夕焼けの指揮者の先生はこんな言葉を残しました。


「合唱するという行為は、その祈念を共有することができる喜びそのものであると同時に、

今もなお祈念し続けなければならない現実への絶望を超えてゆく意志の表明でもある。」


不条理な現実、

叶わない夢、

冷たい運命、、、


「なんで私がこんな目に合わなければいけないんだろう」、

「なんて世界は冷たいんだろう」と悲しくなることもあると思います。


でも、それでも、

「世界には、あなたの手をとる温もりがあるよ」と伝えたい。


大きな失敗をしたとしても、人生に失敗したわけじゃない。

夢に敗れても、希望を失ったわけではない。

たとえ、運命が冷たくても、摂理は温かい。


過去の失敗のせいで、身近にある色んな幸せ、「夕焼け」を楽しめなかったり、

過去の悲しかった時に我慢しなきゃいけなくて、悲しいとか言ってる場合じゃなくて、だから、悲しいと感じることを忘れるようにしてきたり、

悲しいと感じなくはなったけど、気づいたら夕焼けの美しさを感じることもなくなったり…


世界の冷たさを感じることはあるけれど、それでも誰かが誰かの手をとる「手の温もりで溢れた世界」でありますように。


----------------------------------------------------------------------------

上記は、一年前、他の媒体で書いたブログより。


語弊を恐れずに申し上げれば、今の日本で、血の夕焼けを見ることはないでしょう。

でも、別に、戦争がなくても、

例え、空に美しい夕焼けが広がっていても

夕焼けが美しいと思えない時が、また美しさを感じることを忘れてしまうことがあると思うんです。


夕焼けとは、私たちの社会だけじゃなくて、心を映しだすもの。


夕焼けが血の色に見える時代は、実は過去の話なんかじゃない。


夕焼けは人の心の中で、その色を変えるから、


今、私たちに必要なのは、もっと「幸せになること」ではなくて、「ある幸せを感じること」なのではないでしょうか。


それは、今日もきっと姿を見せてくれる夕焼けを見ること、夕焼けの美しさを噛みしめること、そんなことから始まる。


私は気づけば一年、ダイバーシティ・インクルージョンを推進したいだなんて言ってきたけど、小難しいカタカナに意味はなくて、こういうことから始まる。


今日ある幸せを感じる、

例え人と違っても自分にあるものを大事に思えるようになる、

目の前の人の「ない」ものより「ある」ものに目を向ける


そんなことから。


ほら、今日も夕焼けが空にあるはず。

ばら色に見えないかもしれないけど、夕焼けがいてくれる。


夕焼けがバラ色に見える

私は明日もなんとかやっていけると思える

手をあげて発言してもいいんだと思える

それが私の思う「ふつうとちがっても私は私でいいんだ」と思える社会。



この記事が参加している募集

もしサポートいただけたら、人と違っても、その人がその人でいられるように活動につかわせて頂きます✨ note登録されてない方も、右下ある♡をぽちっとして頂けたら嬉しいです!