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「ここにいるよ」という安心感

明日は早起きだからさっさと寝なければならない、という時に限って眠れない。
そしてそういう時に限って書きたいことが出てくる。
というわけで短めの記事を。


私のnote担当編集者(らしい)AYAさんが以前こんな記事を書いていた。

もう半年も前の記事なのだが、私の心に強く残っている。
最後にとても大切なことが書かれているからだ。

周りから、そこに私は必ずいる、と思われていることが理想だ。
そこにはAYAがいるから大丈夫、安心、と思われていることが理想。
だから私は、noteからも絶対にいなくならない。
私は死ぬまでここで書き続けるつもりだ。
私はずっとここにいる。

記事より引用

この文章を読んだ時、私は泣いた。
ここnoteに居続けるぞと宣言してくれる人がいる、ということが心底嬉しかったのだ。


「SNS疲れ」という言葉がある。
始めたばかりの頃は勢いよく投稿していても、徐々にフォロワーへの巡回や「投稿しなきゃ」というプレッシャーが重荷になってきたり、人間関係のゴタゴタに巻き込まれてしまう場合も。

そうして疲れてしまうのだ。

ログイン頻度が極端に減ったり、アカウントを閉じてしまう人もいる。
こうした現象はmixiやブログ全盛期の頃から散々目にして来たのでもう慣れっこだ。

所詮はネット上の繋がりなので「最近あの人見掛けないな」と思ってもそっとしておく。
リアルで繋がりのある人なら別だが、それぞれ事情があって選択したのだろうから無闇に介入するのも良くないと考えてのことだ。

けれど、やはり急に居なくなると寂しくなると同時に不安感に襲われる。
ひとり、またひとりと辞めていく中で、私はここnoteで何を書き続ければ良いのだろうか、と。

だからAYAさんの「ここにいる」という言葉は私を強く揺さぶった。
彼女がいてくれるなら、私も書き続けよう。


人生は何が起こるか分からない。
突然事件や事故に巻き込まれて死ぬ可能性だってある。
本意では無くとも、やむを得ない事情でアカウントを削除することもあるかもしれない。

けれどそうした不慮の事態が無い限り、私もここnoteにいることを宣言する

私がAYAさんの言葉に安心したように、自分もまた誰かの安心になれたらいいなと思うのだ。

更新頻度もバラバラだし、真面目な記事の後にドン引きするようなアダルト記事を書いたりもするけれど。
私はnoteを辞めない。
ここにいるよ。

だからゆっくり眠ろう。
おやすみなさい。


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