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【サボタ日記 30鉢目】空も飛べるはず

文章を書くことが好きだ。もちろん、実力やら好きだという熱量やらこれまで文字にしてきた量は、書くことを生業にしている方たちの足元にも及ばないけれど、でも、書くことが好きだ。だって、文章の中は自由だから。とてもとても自由だから。そして、書き手と読み手、双方の創造力や共感力が重なったところに像が結ばれる面白さがあるから。

例えば。
「クリリンのことかぁぁあああ」(サンシャイン池崎風)
って書いてみる。
これ、ドラゴンボールの主人公である孫悟空が、戦闘の途中で死んでしまった仲間を、敵の大ボスであるフリーザにバカにされてブチ切れて、伝説のスーパーサイヤ人(超強いやつ)に初めてなるときに叫ぶセリフなんですけど。これを知ってる人は、「クリリンのことかぁぁあああ」を読んだときに、僕が思い浮かべている悟空のあのドォォォンって感じの画と全く同じものを思い浮かべられるんですよね、僕はただ文字を書いただけなのに。おまけにそのセリフを、サンシャイン池崎が叫んでいるっぽい若干軽いというか笑えちゃうトーンにもできてしまうという。

…自由。…圧倒的に自由…!(ラオウのヘルメットを被りながら)

会ったことがある方はわかると思うんですけど、僕はサンシャイン池崎のモノマネをするようなタイプでもないし、普段から白目を剥いているわけでもないです(多分)でも、文章ならばそれができる。それってすごいことだなって思って。小説を書いて架空の世界を表現することもできるし、自分が体験したことを疑似体験してもらうこともできる。どこにでも行けるし、どこにでも連れていってもらえる。

おまけに、僕が頭の中で思い浮かべた像が、読み手の頭の中でまた再構成されて再生される。そのズレと重なりもとてもおもしろい。

古池や 蛙飛び込む水の音

を読んで、鳴り響く水の音は、たぶん人によって違うはずなんですよね。古池の苔むした雰囲気や大きさも、人によって違うはず。でも、おおよそ重なっているところもあって、それが嬉しかったりもする。
(ちなみに僕が思い浮かべる、この、蛙が飛び込む水の音は、こぶし大くらいの大きさの石を、夏の暑さで若干湯だってトロリとした水に真っ直ぐ落としたときに出る「ドゥぷん」みたいな音です)(そもそも、蛙が飛び込む音って無音説もあるとかないとか)

文章の中だったらきっとどこへでも行けるし、なんだってできる。おまけに、そう、空だって飛べる。空を飛んでいるところをリアルに思い浮かべて表現して、読み手に補ってもらいながら画にしてもらえたら、きっと本当に飛んだことになる。そしてその飛び方は、読み手の数だけあるんだと思う。だから、伝わっていると嬉しいし、共感してもらえると自分の存在を肯定してもらえたような気がする。そういう文章のもつ力みたいなものに、僕はこれまでとても救われてきたし、これからも救われていくんだと思う(白目)

今週のサボタニはグラプトさんをピック。若干徒長しつつ、茎を下に伸ばしつつ、元気にモフモフしてくれてます。表面を触ると、ちょっとヒンヤリして気持ちいいです。ここから枝分かれしたりするかなー。

来週は、月末に出展するインターペットのブース準備が佳境なので、できることを笑顔でガッツンガッツンやってきます!楽しみなアポもあり。そのままの自分で、がんばります!

それではまた来週(ジュワッチ)

からの追記。
今日はSansan Innovation Project 2019にチラリと参加して、宇田川元一先生とリクルート 荒金さんのセッションを拝聴してきました。
コミュニティと個の関係、コミュニティにおける文脈の重要性など、心が震える話題がてんこ盛りで、素晴らしい場に居合わせることができた幸せを噛み締めました。
何よりも響いたのは、「よりよいものをつくろうとする自由が、我々にはある。この自由からぜひ逃げないで欲しい」という言葉。そう、僕たちは自由なんですよね。自由から逃げない、素敵な表現だと思います。
僕も自由から逃げずに、できることをコツコツやっていこうと思います。

感謝を込めて。

会場を出たら、木漏れ日に凛と立つ東京タワーが映えていました。

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