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「お金を送るだけでいいのかな」という皆さんへ

これまで、国内外で真摯に活動するNGOなどの取り組みを拝見し、その姿勢や果たす役割に敬意を抱いてきました。

私たちフォトジャーナリストが持ち得る写真という手段は、とても間接的なものです。私たちが何枚シャッターを切っても、災害に見舞われた地の瓦礫を退かすことはできません。どれだけ写真を残したとしても、それによって難民キャンプの方々のお腹を満たすことはできません。だからこそ少しでも、現場で日々奔走する方々の声も一緒に広く届けられればと、伝える仕事を続けてきました。


例えば今、取材を続けているシリアは、紛争が起きてかく8年という月日がすでに経っています。周辺国ではいまだに、戦争によって家を追われた方々が終わりの見えない避難生活を続けています。すぐに帰れるとばかり思っていた方々の、心身の疲れと、底知れない悲しみを現場でひしひしと感じてきました。

8年といえばその年に生まれた子どもたちが小学校に入学し、その当時小学生だった子どもたちが中学生になるほどの年数です。衣食住に関わる生活支援はもちろんのこと、この間、子どもたちが教育の機会を逸しないための受け皿も不可欠となっていきます。

ところがニュースは文字通り、「NEW」なこと、つまり新たに起きたことを追いがちです。「人々が国境を超えて逃げてきた」「難民キャンプが開設された」、ということは報道されても、「まだ帰れない人たちがいる」「まだ難民キャンプがそこにある」という長期化してしまった問題には光が当たりにくくなります。本来はこうしたすぐに解決が望めないものほど、ますます問題としての根は深くなってしまうはずです。

時折、「まだ支援が必要なの?」という声を耳にしますが、「まだ続いているの?」と思う問題ほど、その当事者の方々や現場の人たちは一緒に疲弊しています。では私たちは日本から、どんな役割を持ち寄ることができるのでしょうか。

そして、寄付の呼びかけに対して「お金を送るだけでいいのかな」というもどかしい思いを聞いたり、だからこそ「何か形になるものを送ろう」と努めたりする方もいます。ただ、遠くに暮らしている私たちが独自に「これが必要なはずだ」と判断するよりも、現場のスタッフさんたちがその都度必要なものを考え、それを購入できる資金がそこにある方がきっと、届きやすい支援になるはずです。

また日本ではいまだに、「寄付したものは皆、支援を受ける方々のために使ってほしい。スタッフさんたちへの給与などには使わないでほしい」という声が根強いように思います。

私がこれまで拝見した、紛争や災害に関わる緊急人道支援の現場は、一刻を争う事態と隣り合わせです。そして貧困や格差といった長期化してしまっている問題に取り組むスタッフさんたちも、どうすれば長く関心を持ってもらえるのか、日々知恵を出し合いながら奔走しています。

どれも片手間でできる仕事ではなく、むしろそれぞれがこの仕事に専念する環境を整えてこそ、安定的な支援ができるはずです。

つまり、現場で寄り添う人たちが身を削りながら働き続けては、支援自体が持続しません。

大切なのは、支える人たちをも一緒に支える、という視点ではないでしょうか。

もちろん自身が寄付したお金が適切に使われているのかに関心を持ち続けるのはとても大切なことです。それもまた、「参加」することの一つとなるのでしょう。

一人一人では無力だ、と諦めるのではなく、今必要なのは一人一人の力を信じることができる社会を築きくためのアクションのはずです。

※この文章は京都市市民活動総合センターの
「寄付ラボ」(2019年1月配信)への寄稿に加筆したものです。
https://shimisen-kyoto.org/kifu-labs

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