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Nice Camera!

わたしが使っているカメラは、Lieca M10というカメラ。
それまではD-LUX7というコンデジを使っていたが、M10を持ち歩くようになってから街中で声をかけられる機会が格段に増えた。特に外国人の方は、道ですれ違ったり、カフェで隣の席だったりするときに、気さくにひと声かけてくれる。決まってこのセリフ。

"Nice Camera!"

そしてわたしは笑顔で答える。"Thank you."と、ただひと言。カメラの機種名とかそんな話はもちろんせず、相手もそれ以上のことは聞きもしない。この広い世界で見知らぬ2人が、きっともう会うこともない2人が、偶然に居合わせ、カメラを仲介してひと言ずつ声をかけ、ほほえみ合って別れる。なんだか不思議だなと思う。

LeicaのM型はだいたい似たようなかたちをしていて、M型が好きな人以外はパッと見て違いがわからないと思う。ちょっと古い機種だと前面に機種名が書いているものもあれば、最近のものは上部に小さく書いているものもあるが、よく見ないとわからない。というか、普通の人はそもそも「M型」なんて言葉を知らない。

"Nice Camera!"と言う多くの人は、単純にLeicaの赤バッジを見て言っているのだと思う。何の機種というよりも「Leicaのカメラ=いいカメラ」と言っているのだろう。

日本には世界に誇る素晴らしいカメラメーカーがいくつもある。家電量販店に行けば、多機能で高性能な最新のカメラは選び放題である。

それなのに「Leica」というマニアックな選択をする人たちが一定数存在する。特にこのM型は、レンジファインダー(オートフォーカスがない)という、決して便利とはいえない、むしろ不便を買っているようなものだ。しかも値段だって国産カメラの数倍はする。なにかあったときの修理代だって・・・もごもご。

素晴らしい国産カメラが溢れる日本で、わざわざ高くて不便な外国産のカメラ持つ日本人を見て、外国人の方はどう思うんだろう。たとえばドイツの人なんかだと、ちょっとうれしくなるのかな?なんてことを想像する。

なぜこのカメラを選んだのか。わたしの場合、これまで何人かのお友だちにM型をお借りする機会があったことが大きい。一度も触っていなければ、欲しくなることはなかった。これははっきりと言える。

レンジファインダーで像がぴたっと重なり合い、シャッターを切ったときの「撮れた!」という感激を、わたしは忘れられなかった。それは、撮る楽しさを教えてくれた。解像度がなんちゃらとか、センサーがどうこうとか、そういうのは正直どうでもよかった。レンジファインダーに惚れてしまった。最初は、ただそれだけ。

手に取って触れることで、その存在感や質感にドキドキと感動を覚える。その小さな体験はずっと記憶の端っこに居座り、また触れたい、と意識に呼びかけてくる。気がついたら、そのことばかり考えている。手に持っている自分を想像して、ぽわ〜っと高揚する。そう、それはまるで、恋。

理屈じゃなく、五感で感じる言葉にならない感動こそ、やはり人は求めてしまうのだと思う。なんの説明もいらない。
心から漏れ出る「うわぁぁぁ〜……」というセリフだけで充分。

わたしぐらいの年頃の女性だったら、このカメラとレンズにかけるお金で、エルメスのバッグでも買うのが普通かもしれない。でもわたしはこのカメラを買ったことを1ミリも後悔していないし、本当に買ってよかったと、カメラを手にするたびに思う。カメラ自体はモノかもしれないけど、カメラを通して得られる体験、出会えた人たちは、他には代えがたい宝物であり、確実に人生を豊かにしてくれている。

思いのほか長くなってしまったので、「写真」というものに対する想いは、また別の機会に書きたいと思う。

追記
思いのほかたくさんの方が読んでくださいました。
カメラの話、写真の話、好きな人に見つけてもらえてうれしいです。
撮った写真はInstagramに投稿していますので、写真が好きな方とぜひつながりたいです。
https://www.instagram.com/natsuko.me/


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