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ときめきの理由

美術館が苦手だった。

なんかすごい、有名な画家の展示があるぞ!日本で初公開だぞ!と話題になって、はりきって上野や六本木の美術館に行くんだけれど、私は肝心の絵の右下にある小さな説明書きにまず目をやってしまう。

ほうほう、なるほど、作者が23歳の時にね、母の死をきっかけに描いた…と、

お〜〜、そう言われればなんかすごい悲しみを、感じる気が、する…うん。

こんな調子だった。
感性ではなく理性で絵画鑑賞をしてしまっていて、私ってアートがわからない人間なんだな…と落ち込んだこともあった。


そんな私が、説明もなく否応なしに心を動かされたアートがある。
それはもう、否応なしにアートだった。だってワケはわからないけれど、めちゃくちゃに心がときめいてしまったから。

3年ほど前、とあるギャラリーで出会ったその絵画作品たちは、ピカソやダリのような有名人が描いたものではなかったけれど、ピカソやダリを観た時よりよっぽど心が踊った。
なんて魅力的なんだろう…夢中になって関連グッズを買い漁り、ギャラリーの店員さんに話を聞いた。

後から気づいた。そこは、福祉施設だった。

ギャラリーの店員さんと思った人は福祉施設の職員さんで、私がときめいた作品達を描いたのは知的しょう害のある利用者さん達だった。


その後、私はこの利用者さんたちと交流する機会を得て、段々とそのときめきの正体に気づいていった。

彼らは圧倒的に「自由」だ。

ただ感じるがままに線を描き、思いついた色を塗る。

デッサンが狂っていようと、お猿の毛が緑色で塗られていようと、そんなものは気にしない。

この絵が誰にどう思われるか、そんなことは考えていないのだ。


私はその「自由さ」に憧れる。羨ましいと思う。

いつも、他人にどう思われるかを気にしてしまうから。



昔の有名な画家や作家が、実はクスリをやっていたとかひどいアルコール中毒だったとかいう話をよく聞く。現代だって、スランプに陥ったミュージシャンが何か自分を飛ばせるものに手を出してしまったというニュースがよくある。

それくらい何かを表現するというのは、何かを創るというのは、いつも自我、エゴとの戦いなのではないだろうか。創作者は、どうにかしてエゴを消したいと思うんじゃないだろうか。


それを彼らは軽々飛び越える。

どこまでも自由。かっこいい。


私がときめくのは、彼らの圧倒的な「自由さ」で、「誰にも縛られていない愉快さ」なのだ。



この文章は、数人の仲間たちでやっている『週刊お題note』という企画で「ときめくもの」をテーマに書いたものです。他のメンバーの作品もぜひ読んでみてくださいね!仲間も募集中です☆

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