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2歳の息子が入院し、メンタル崩壊した母は覚悟した

書きなぐるようにこの文章を書いている。何をどんなふうに書くのか着地が見えないまま、noteアプリを開いて一気に書きこんでいる。

子どもが入院した。初めてのことだ。

2歳3ヶ月、あと少しで4ヶ月。言葉をどんどん覚えて、だけど赤ちゃん言葉だから「お茶のむ」は「おちゃ もぬ」だし、「抱っこ!」は「だっと!」だし、わかりやすくかわいい時期。そして、まだまだママが必要で、ママと一緒にいたくて、ママがいないと不安な時期。それなのに、入院した。順調にいって、1週間。長い。長すぎる。

別に命に別条はないし、治療法は確立しているし、病院に心配な点があるわけでもない。15時〜20時は面会可能で、駅徒歩1分の好立地だから通いやすい。考えようによっては、子どもと会えない時間帯にできることだってあるはずだし、最近は夫も私も繁忙期で仕事がたまってたわけだし、どうみてもやる余裕がなかった確定申告だってやれる時間ができた。

けれど、そんなことなんか全部どうでもよくて、私はずっと泣いている。

代わってあげたい。その痛みも寂しさも怖さも全部。
もしそれを全部引き受けても、ママは大丈夫。あなたの笑顔が見られるなら、全部隠してあなたの前では笑っていられるから。ぜんぶぜんぶ預けてほしい。あなたが産まれたときから泣き顔もたくさん見てきたけど、今回の涙はいつもと全然違ってた。だから、無理やりでも笑顔を作ろうと決意してたのにママもつられて泣いて、コンビニ行く途中から泣いて、面会時間を過ぎた帰り道で泣いて、家について泣いて、あなたが一口しか食べられなかった朝食のパンの残りを見て声を出して泣いた。

とめどなく流れる涙に、おさまらない動悸に、ちっとも眠れる気配がないまま夜がふけていく。明日は15時に笑顔のママで会えるかな。だめだ、自信ない。だって、悲しい、寂しい、会いたいよ。抱きしめてあげたいよ。胸が張り裂けそうだよ。

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人生というものはつくづくうまくできていて、いいことも嫌なことも、幸せを感じるときもそうでないときも、おおむね半々だと私もいつからか実感できるようになった。それは私だけの感覚ではないし、人生ってそういうものだと語る人は古今東西たくさんいるから、まあそんなものなんだろう。
塞翁が馬。良いことと悪いことは表裏一体かもしれない。
逆境は尊く、順境もまた尊い。大切なのは素直に生きることだという。

そうはいっても、子どもが産まれてからの日々は、とびきり幸せなのだ。40歳、これまで上がったり下がったりいろんな時代があったけれど、今が一番幸せだ。今のこの幸せがずっと続けばいいと思う。ずっと家族で幸せでいられるために、私は何ができるだろう?と考える。

この幸せが子どものおかげであることなんて、私が一番よく知っている。自分の命より大切な存在が、私と私の人生を唯一無二のものにしてくれた。自分に自信が持てなかった10代、何者かになりたいと焦った20代、隣の芝が青々しかった30代。そして、何者でもない平凡な私の、ありふれているけれど私にしか送れない40代がスタートしている。不惑の40代なんてよく言ったもんだ。私はこの幸せのために生きている。だから、もう惑わない。

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今回の入院は逆境だ。
これが幸せの象徴エピソードに昇華することなんて、未来永劫きっとない。

なんでこんなことに。私の過去の行いのせいだろうか。前世で悪行を働いてきたのだろうか。最近仕事を入れすぎて子どもにしわ寄せがいっていたのを見て見ぬふりした報いだろうか。ああ、思い当たる節が多すぎて自分が嫌になる。でも、それなら私だけに降り注いでほしかった。子どもには手を触れないで。子どもは一生幸せだけでいられるようにしてください。神様。どうかお願いします。

そんなことを考えて、また泣いている。
時間ばかりが過ぎていって、もうすぐ朝になる。このまま一睡もできなくても、明日また15時ちょうどから会いに行くんだ。そんなことを考えながらまた泣いて、泣き疲れて結局それからしばらく眠った。

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翌日15時になった。
面会の受付用紙を記入してカードをもらい、いそいそと病室へむかう。初めて一晩中離れて寝て、慣れない環境で心細くなってるに違いない。ママを見たら泣いちゃうかな。そしたらまたママも泣いちゃうかもしれないから、ぐっと堪えて笑顔でいられるように心の準備をしておこう。

息子は、平然とした顔でアンパンマンの動画を見ながらベッドに座っていた。私の顔を見るなり、「ママ、すわってー」とイスをすすめてくれて、また動画に視線を移した。

お、おう。めちゃくちゃ順応してるじゃないの。看護師さんたちとも早速仲良くなったらしい。「ずっとしゃべってます」と笑いながら、日中の様子を教えてもらった。病状も劇的に回復していた。

よかった。本当によかった。

きっと私は、心のどこかで息子にもしものことがあったらと怯えていたんだと思う。そばにいて当たり前の愛する存在がいなくなってしまったら。自分の命を差し出してでも守りたい存在がいなくなってしまったら。自分の生きる意味なんてどうやって見い出せばいいんだろう。お願い、いなくならないで。そんな恐怖でずっと泣いていたんだろうと思う。

致死率0.3%の病気は裏を返せば99.7%死ぬことはないし、治療法が確立してたくさんの症例がある中で大多数の子どもが今は回復して再発もせず元気に暮らしている。冷静に考えると、そんな程度のリスクって生きてると日々直面しているのかもしれない。だけど、そのわずかな可能性が怖かった。自分の身に起こるよりも、比較にならないくらい怖かった。

世の中には愛する子どもを失ってしまった経験を持つ人もいるし、今も深い悲しみの中にいる人もいる。子どもを失うかもしれない恐怖に日々直面している人もいる。その思いたるや、いかほどのものだろう。想像を絶する。
「つらいですね」「かわいそうですね」独りよがりの思いやりの言葉は逆にいらないと思った。私たちはそんな次元で向き合ってない。
「お子さん優先してください!」「ミーティングはリスケしましょう」「仕事してて大丈夫なんですか?」「代わりに◯◯やっておくよ」「実は自分も経験しました…」私の心境を慮ったあたたかい言葉の数々に救われた。

人生って、いろんなことが起こる。
妊娠期間を含めたら、親になって3年くらい。これは親としての洗礼なのかもしれない。こんなことを時折経験して、親は親としてたくましく成長していくものなんだろうか。

もがきながらひとつずつ乗り越えて、なんとか生きていく。子どもの未来を守りながら、一緒に今を生きていく。

「だっと!(抱っこ)」
そう言って私の目を見つめる息子を抱きあげて、ぎゅーっと抱きしめた。

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