見出し画像

ユダヤ人女性に学んだこと、我が娘の自己肯定感を育てる話

色々書いてたら長くなってしまいました。読みづらいったらありゃしない。すみません。


自己肯定感をつける教育方針

6歳になった娘ポヨ子。

「世界中どこへ行っても、たくさんの人から愛される人生をおくれますように」というのがわたしの一番重きを置いている教育方針というか、子育て方針です。これ以外にも、地球上どこへ行っても生き抜いてるいける能力(体力、精神力、などなど)を身につけさせたい、とか、胆力やグリッド力を身につけさせたい、、とか色々ありますが、それよりも何よりも、冒頭のが一番だなーと思ってます。

じゃあこんな愛に満たされている感じの人生をおくれる大人になるには親は何を用意してあげればいいのか? と、いろんな教育本を読み漁り、教育系の人たちの話や講演を聞いて熟考した結果、まずは親やジジババや近しい大人との無償の愛の交換120%と、それに紐付いてくる「自己肯定感」を育成することが大事なのだろうなあと思っています。

では自己肯定感はどうしたら育成することができるのか? 無償の愛の交換は日々沢山できている気がするので、それ以外に。


日本って、自己肯定感を醸成しづらい?

私がイギリスなどでの海外生活から日本に戻ってきてはじめに気づいたのは、特に若い人たちの自己肯定感の低さ。他人と比較して落ち込む、やる気をなくす、他人を気遣って自分は前に出ないようにする、目立たないようにするなど。そういう自己肯定感の低い人が目立って多いことに気づきました。みなさんのまわりにも、なんか多くないですか?感じてるの私だけですかね。

(↓この記事内でも指摘されているので、そう感じるのは私だけではないはず・・・)


先日、イスラエルへ行った時にあることに気づきました。政府関係のプロジェクトだったので政府関係者をはじめとして、起業家や、ファッションデザイナーやカフェの店員さん、ショップの店員さん、学生さんなども、皆日本人の様子と明らかに違う。

もちろん見た目の違いは多くありますが、そのへんにいる人もみんな、自信に満ち溢れている感じがする。自己肯定感が高い感じがどの人からも出ている。特に女性のあり方、佇まいが日本人女性のそれと全然違う。とにかくみんな、自信に満ち溢れて、自分が自分であることを肯定している感じがする。「私はわたしらしく生きていて、楽しんでる!」っていう感じが自然体で出てるというか。

イスラエルだけじゃなくて、シンガポールや香港、イギリスやフランスの特に女性はこんな自信に満ち溢れた姿が普通にあるので、なんで日本では少ないのかな?と不思議なのですが・・・


ユダヤ人女性が自信に溢れている理由

気になったので、イスラエルでいろんな女性たちに「なぜあなたはそんなに自信に満ち溢れていて、それでいて謙虚なのですか?」と聞いてまわった。

いくつかかえってきた答えで印象的だった2つを紹介すると。

1. 失敗を糧に成功する

「自分もたくさん失敗していて自信をなくすこともあるが、イスラエルでは失敗は成功に近づく一要因にすぎない。大事なのは、その失敗から何を学んで次に生かすかで、失敗すること自体はネガティブなことではない」というとある人の言葉が印象に残りました。失敗は成功の糧。まさにユダヤ人の教えという感じ。

2. 自分について知る、議論する

「家族や友人たちと自らのアイデンティティについて沢山議論をしていて、それによって自分自身が何者であるのかや大切にしたいこと、好きなことが明確になっているから」

という言葉も印象的でした。数千年という長きにわたって流浪の民であったユダヤ人たちが集まるイスラエルでは、両親や上の世代のひとたちがロシアやトルコ、ヨーロッパやアメリカなど様々な国から集まってひとつの家族をつくっているため、自分はどこから来たのか、何者であるのかという議論を小さなうちからずっと家庭内や学校で繰り返すのだそうです。

議論と思考を重ねることによって、自分のアイデンティティや自分自身の人生、本当に好きなことややりたいことが見えてくるのだと。


ここから育児に生かしたこと

娘ポヨ子は目指す理想の姿がとても高いところにあり、それを完璧にできないと落ち込んでしまう・・・という完璧主義的なところがありました(どうでもいいけど私と全然違うわ)。

ちょっと前に保育園で和太鼓と盆踊りのお披露目があり、私も見に行ってスマホで動画もスタンバイ、さあ、我が子の勇姿をこのスマホにおさめるぜよ!!と張り切っていました。

事件が起きたのは我が子の出番。緊張した面持ちで颯爽と登場したポヨ子、何人かで息を合わせて叩きながらも太鼓のリズムが途中からちょっと狂ってしまい、理想通りに叩けなかった様子のポヨ子。決して彼女だけのせいではなく、全体の流れが少し滞ってしまっただけの話なのですが・・・。

ちゃんとできなかったことに撃沈した様子のポヨ子は、その後一気に暗い顔に・・・その後の盆踊りを踊ってたら元気になるかな?と見ていたら、その後もずっと泣きそうな顔でうなだれながら踊っている。それを動画で撮りつつ、私はハラハラ。近づいて行って「大丈夫だよ!!素敵だったよ!!」と言ってあげたいが、踊っている場所は遠く、私は泣きそうな顔でうつむいて踊る姿を撮りつづけるのみ・・・

折角沢山練習をして、ママにいいところを見せる!と張り切っていたのに。前夜も家で太鼓を叩く練習をしたり、盆踊りを見せてくれていたのに。どれだけ落胆したか、その気持ちを想像して私まで涙が出てきてしまいました。

その夜、家で何があったか、どうして泣きそうになってたのかを聞いてみた私。

ポヨ子曰く、

「失敗しちゃって、思うように叩けなかったからいやだったの」と。

ここは失敗は成功の糧だと教えるのにいい機会だと思って、私が伝えたのは、

「そっかあ、いっぱい練習してたから、それは残念だったね。でも、ママはとっても上手に太鼓叩いてたと思って見ていたよ〜。それに、一番大事なのはね、完璧に失敗せずにやることじゃなくて、失敗しちゃっても、ポヨ子ちゃんが太鼓や盆踊りを沢山楽しむことなんだよ」

と、伝えた。「そうなの?」とポヨ子が言うので、

「ママも毎日失敗するよ。お財布置いて家出ちゃうし、ご飯も焦がすし、毎日失敗ばっかだけど、楽しくお仕事するし、ごはんが焦げていてもポヨ子ちゃんとおいしいねって食べれると美味しいし、楽しいからいいの。大事なのは、失敗しても、最後まで楽しくやり通すことなんだよ」と伝えた。

この伝え方がいいのか悪いのかは別として、こんなやり取りがこの件だけではなく、ピアノだったり、ほかの色んなところで何度か繰り返しました。


そして、少しずつ育ってきている感じがする自己肯定感

6歳の誕生日に欲しいものは、ローラースケートだというので、ローラースケートを買ってあげた。

すぐにローラースケートやりたい!と履き外へ。とりあえず家の外で少し練習をするも、当たり前だが上手にできなくて生まれたての子鹿みたいな感じでガクガクフラフラ・・・少し進みそうになるとすっ転んでお尻を打って「エーン痛い〜泣」となったり。

きっとポヨ子の頭の中では光GENJIのように(例えが古くてソーリー)華麗に滑っている姿があるので、ちょっと前だとそれをイメージして「できない〜もう無理〜!!やめる〜!!」とジタバタ泣き始めるのが想像できました。

なので、今回もそうなるかな??と思いつつ見ていると、

「練習すればっ・・・きっと・・・できる!!」

と転んでも起き上がって、ひとりでブツブツ言いながら方向転換したり、前へ進めるようにがんばっているではないか・・・

30分ぐらいがんばって練習して、「ちょっと休憩する」と言って家の中でお茶を飲んだりして休み、その30分後また

「今度はもっとうまくできる気がする! きっと・・・ポヨ子はなんでもできる気がする!!」

と、なんだかプリキュア戦士たちみたいな(何でも出来る!何でもなれる!はプリキュアのメッセージ)頼もしいことを言って、自ら率先して練習をはじめるではないですか・・・(感涙)。

少し前まで見ることのできなかった、「失敗しても、練習すれば上手にできる」「失敗しても、その過程を楽しむ」的なことが心の中に育ってきているのを目の当たりにして、感動したのであります。

自分を信じる力、自己肯定感が育ってきているのかも、、と思って、この数ヶ月の成長を感じました。

ほんとに小さなことですけど。


イスラエルの女性たちから学んだ「失敗は成功の糧である」ということ、そして「自分自身が何者であるかを知る」こと。後者はまだこれから自分で考えていくことだとは思いますが、ちょっとずつ、できてくるといいなあ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?