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リクルートを退職してアフリカに移住しました。

この度、長年勤めていたリクルートホールディングスを退職することになりました。在職中にお世話になったみなさん本当にありがとうございました。
退職後の今はアフリカに住んでいます。

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お世話になったみなさま、特にリクルートのみなさんにはちゃんと連絡ができずに申し訳ございません。経緯と今後についてこの場をお借りしてご報告させてください。
また、このブログが今後のキャリアを考えている人、転職や新卒採用を検討している人のためになれば幸いです。
※以下の発言は個人的なもので、リクルートとは関係ありません。何か問題があるとすればぼくの文章力です。


▼リクルートとの出会い
面白法人カヤックで人事として楽しく過ごしていた時に知らないイケメンのお兄さんから知人を通じていきなりfbメッセがありました。
「かわいい女の人好き?おいしいごはん好き?」
はい大好きです

即答でのっかり、
即日ごはんに行きました。
出会った印象では、
そのお兄さんはUIよりもUXが素晴らしい人でした。
そこでお兄さんと話していると、リクルートがとても魅力的であること、営業の会社だったけど、これからITに力をいれていくこと、IT企業に生まれ変わること、そのために人事を強化したいことなどを聞きました。
なによりその時のお兄さんがとてもとても優秀で魅力的だったので「こんな優秀な人が働いている会社はすごいなぁ」と感じました。

ごはんを食べている途中にお兄さんはいきなり人事に電話して「ちょっと会わせたい子がいるから。あとよろしく」と言ってつないでくれました。
これは今でも覚えているのですが、お兄さんと出会った日は金曜日で、3日後の月曜日には1人の人事とお会いして、同じ週にもう1人、なんと翌週には内定していました。

3万人以上いる規模の会社でこのスピード感の会社はやばい

この時にお世話になった、
リクルート最年少社長候補の石山さん、石山さんの奥さん、きみちゃん、面接をしてくださった田村さん、
マネージャーの田中さん、室長の今村さんには本当に感謝しています。
ぼくをリクルートに採用してくださって本当にありがとうございました。おかげで最高に楽しい時を過ごすことができました。

▼配属について

ぼくが配属されたのはリクルートホールディングスの人事部でした。
今まで営業の会社だったリクルートが、今までの自分たちのやり方を大きく変えて、テクノロジーに力を入れようとしているタイミングでした。
元々、採用広告を江副さんがつくったことからはじまった会社なので「テクノロジーのためには採用が命だ!最強の人事をつくれ!」となるのは当然の流れで、そこで発足した最強の人事が、ぼくが所属する部署でした。
「リクルートは優秀な人を人事におく」とウソかマコトか噂されていたので、これはちゃんとやらねばヤバイと思ったことを今でも覚えています。
そう、ぼくは人事でした。

▼入社してから
リクルートはすごい会社です
入社してすぐに、レッツノートとガラケーを渡されて、マイクロソフトのOutlookがデフォルトで、「これらの設定を1週間かけてするべし。」みたいな感じでした。
なのでこれらを全部無視して、入社1日目から自分のMacをポケットwifiにつないで仕事していました。(上場前の牧歌的な時代でした。いまは違います。) 

ぼくが配属された組織は立ち上げたばかりだったので、入社した最初の日に「組織図こんな感じで、狙いはこれ。あとは何も決まっていない」といった状況でした。 
入社した、その日のうちに課題と解決策を考えて数十万でちょっとの提案書つくって上司に提出したらなんと即OK
んで言われたのが
「OKだけど、これ桁を2つ増やしたら、成果も2桁変わる?」
やべー会社に入ってしまったと思いました。
意志を持つと任せてもらえる範囲が大きすぎる会社だと入社早々に学びました。


▼リクルートでやったこと
 ぼくがリクルートで出すべき価値は「リクルートってITっぽいよね」って思われること。
 そのためには何をやってもOKな最高な環境でした。
振り返ってみるといろいろなことをやりました。ぼくはそもそも全然仕事ができなくて細かいミスをしまくるのでリクルートでもたくさん怒られました。 
 
新卒の面接に来た学生が「私の両親が元リクルートで働いていた環境を見てみたい」と言い出したので、面接を中断して、一緒にその事業部のオフィスに忍び込み、勝手にオフィス見学をやって、面接時間を大幅に超えて、面接管理の人にめちゃくちゃ怒られたり。
今思えばそりゃそうだ。
いきなり学生と一緒に面接官が面接途中に消えてるからね。

大量に持っていた請求書の原本を間違えて全部シュレッダーにかけて、ちょうど期末決算の時だったからP/Lがズレて、とてもとても怒られて反省したり、
請求書を送ってもらう住所を適当に千代田区1-1にしてもらおうとしたら、危うく皇居に請求書が届きそうになったり、
Pepperをデスクにおいて仕事をやってもらって自分は出社しなかったりいろいろなことをやりました。

中でも成果物として一番自分の中で好きなものはこれです。
30歳以下は誰でも新卒です」 リクルートが始めた新しい新卒採用の仕組みとは? 人事担当・夏目和樹氏が狙いを語る

最近の新卒採用は少しおかしいことになっていると思います。すべてがダメだとは思わないけど、もう少し変えられることがあると思っています。

57年間の日本の採用の歴史をつくってきたリクルート、しかもそこの花型である人事部にいることはぼくは誇りに思っていましたし、ぼくたちで新卒採用を面白くしていく責任があると自覚していました。
そんな思いでこの施策をつくることができたことは、正直うれしかったです。


ちなみに上にリンクを貼ったログミーさんの記事ですが、実は記者発表とかせずに1人でやってるんですよね。たくさんの人がいるっぽいけど。 
勝手に会見やって勝手に公開したらある日広報のみなさんに呼ばれまして
「会社としてウソはいけない。記者発表を本当にやったのか?」と聞かれたので

「やりました。記者は1人でしたけど」
と伝えてこの写真を見せました。

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広いホールを借りて


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友達1人だけ呼んだ



そしたら

「あーこれはやってるねウソじゃない」

ってことで一件落着でした。

怒られるかと思った―あぶねー。
 会社で一番大きなホールを借りて、ひとりで準備してひとりで話しましたからね。会場にログミーさんしかいない中で。記事内で”司会者”ってなってるのもぼく自身です。
とはいえ6000近いシェアで、記事の評判も上々だったのでまぁ結果オーライむしろ主体的に進めて広報価値を高めたということで評価してもらえました。
リクルートは結果的に正しいことをやれば多少プロセスふっ飛ばしても評価してもらえる最高の会社でした。


ちなみにリクルートの社内イントラネットの社員検索のところに「峰岸真澄」(社長の名前)
もしくは「セブ島最高」って 入力するとぼくの名前が出てきます。社内SEO完璧です。

たぶん今でも残ってるんじゃないかなぁ。イントラのサーバー適当に触ってたらSEOができるようになりました。 

▼一番心に残っていること
ある日、ぼくがいつものように業務中にTwitterを見ていたら後輩がぼくのデスクに来ていきなり言いました。
「自分は賞をとりたいです!一緒に仕事やらせてください!ぼくに賞をとらせてください!」
それはぼくが半期の賞をとった直後で、後輩は入社してからなかなか評価されておらず、そろそろ何か成果を出したそうなタイミングでした。
何が彼の琴線に触れたのかはわかりませんが、わざわざ声をかけてくれました。
今まで基本的にひとり、もしくは上司や社長と仕事をしていて、後輩的な人と仕事をしたことはありませんでした。
ぼくはマネジメントとか言いながら、何も仕事をしていない成果をだしていない人たちが大嫌いなので、そうなりたくないこともあり、後輩と仕事をすることを極力避けてきていました。
しかしわざわざこんな風に声をかけてもらえることはとても嬉しかったので、いろいろと一緒にミスをしながらプランニングから実行までいろいろと進めていくことにしました。
「どうしたらこの人が賞をとれるのか」

正直本質ではないですが、それがモチベーションになるのであれば問題いいんじゃないかと思い、それだけを考えて邁進しました。
半年間一緒に仕事を進めて、その後輩は結果的に社内で賞をとることができ、査定でも最高の評価を得ることができました。
自分が動いて、自分以外の人が評価される。自分が動くと、自分の範囲内でしか仕事ができないけど誰かと動くと、できることが何倍にもやれることが広がる。

チームで仕事をすることは楽しい。
当たり前だけど、大事なことをぼくは学ぶことができました。
この後輩が賞をとって、みんなの前で表彰されている時が、ぼくのリクルート人生の中で、一番最高の瞬間でした。
自分が評価される以上に嬉しかったです。 こんな経験を与えてくれた、亮太さん、倉増さんには本当に感謝しています。
本当にありがとうございました。

▼リクルートについて
リクルートに関して何のネガティブ感情もありません。
むしろ最高な環境でした。
給料もたくさんもらえて、ボーナスも、自分ががんばりさえすれば半年に1度「年収かな?」って勘違いするぐらいもらえました。

有給はむしろとらないと怒られる、年末はクリスマスぐらいから冬休みをとることもできる。しかもリモートワークで出社義務もない。

これだけ優遇されていると、むしろ社員としてはプレッシャーで「これだけ整ってるんだから文句言わずに成果だせよ」という経営陣からの無言の圧力をひしひしと感じておりました。
やりたいと意志を示せばお金はでるし、
なにより成長し続けること、そしてがんばることを応援してくれる人たちがいる。
これが最高でした。
本当に本当にリクルートは最高の環境です。

この環境でたまに文句言ってる社員がいますが死ねばいいと思います。少し言い方が雑でした、訂正します。お亡くなりになればいいと思います。
こんな環境日本でそうそうあるもんじゃないからね、まじで。本当に本当にリクルートは最高の環境です。

いま22歳の新卒でどこかの会社を選べるとしたら、間違いなくリクルートを選びます。



▼なぜやめたのか
なんとなくタイミングです。深い理由はありません。
いままで人事や広報などの企画とはいえバックオフィス側が多くなっており、業務で変化が少なく、変わり続けたい気持ちは前からありました。
また、ぼく自身が別にほしいものもそんなにないし、家も小さいシェアハウスでいい、ごはんも贅沢言わない。そうなるとお金は必要なだけでいい。
であれば、自分は人生の時間をつかって何をやりたいのか。
お金じゃなくって自分が生きていることがどんな価値を生みたいのか。
世の中に何を残したいのか。
楽しいことをやり続けたい。
そんなことを思うようになりました。 
そのためには意味のないパワポ作ったり会議をしている時間はぼくには残されていません。

もっとやれることをやり、失敗と挑戦の回数を増やしたい。
矛盾するようですが、細かい事務作業は置いといて、本質的な起案で、失敗をすることが少なくなってきました。
それは仕事の勘所が分かったというより、会社員としての怒られない方法、楽できる方法が身についたからです。


でもそんなものはどうでもいい。 

つくりたいものがあればつくる。
やりたいことがあればやる。
自分のつくりたいものをつくる。

シンプルですが、実際はなかなか難しいことです。

仕事をしていると、いろんな「しょうがない」がたくさんでてきます。上司がダメって言うからしょうがない、クライアントが言うからしょうがない、会社的にダメ、まだ年次が浅いから、新卒だから、いろいろあります。

でもぼくは仕事で「しょうがない」で企画をつくったことは一度もありません。

でもそれは大変で、いろんな人に怒られます。

いろんな人に嫌われて、悲しくて寂しい時もたくさんあります。

でもここまで数年間仕事をしてきて、このやり方でいいんじゃないかと思えるようになってきました。

妥協した「しょうがない」を続けていると、それが癖になって、それが実力になってしまいます。

アホなことばかりで、失敗ばかりでも自分の中での「しょうがない」に反対し続ける。

そんな仕事をし続けていきたいです。


よくわかんなくなってきたので、もう少しやめる理由をちゃんと説明すると むかしむかし、あるところに自分がいきたい「島」がありました。海へ出てそこに向かって小さな船をつかって自らの力で漕いでいこうと考えました。 その船は前方に足を投げ出す形のアリューシャン諸島のエスキモーが海で使用していた小型の船で、荒波にもまれても沈まない作りになっています。
名前を「カヤック」と言います。カヌーではありません。違いはわかりません。
その船で島を目指していたのですが、ふと鳥瞰してみると近くの港から陸続きになっていたことがわかりました。

このまま船にのって進んでいくのも楽しい。

しかしより早く到着するためには海のルートでは時間がかかりそう。陸続きになっている。
「そうだ。海ルートではなく陸ルートでいこう。」
だから僕はリクルートに転職しました。
大地をしっかり踏みしめて歩いていたら、どこまで自分の足で歩いていけるのか試してみたくなりました。それは歩き方を知って、足の使い方を学べたからに他なりません。
学んだ知識や経験、足あとをもっともっと増やすために歩いて行くと、アジアを超えてユーラシア大陸を超え、気付いたらアフリカ大陸まで来ていました。
陸ルートはすべてアフリカに続いていました。
これをアフリカ単一起源説と言います。

そんな感じです。

日本の人口が減るとか、海外が市場規模が大きいとか難しいことはよくわかりません。
 わかったふりしてドヤ顔で話すこともできませんが、なんとなく海外は面白そうでした。実際なんとなくやめたのでよくわかっていません。

来てみると想像以上に世界は近いです。


国境線をつくっているのは自分自身かもしれません。



英語ができなくてもまぁどうにかなります。アフリカ人もみんな話せませんし。

アメリカなどの先進国やいろいろな企業が進出している東南アジアは、ぼくにとって相当難しいです。 きっとそういう地域は、ちゃんと仕事や勉強ができる人が、ルール通りに計画して、戦略をつくり確実に成果を出すところだと思います。
そこでぼくのスキルでは無理です。同期が社長になってる中で、請求書シュレッダーにかけて
怒られてるレベルで無理です。

でも
アフリカはめちゃくちゃ。
 滞在して2日目で乗っていたタクシーが事故りました。3日目には近所の信号機が黒焦げになって、ぶっ壊れていました。
ジャンプ力が高いとモテます。ライオンがいます。家の前で生きている牛を解体していました。知ってました?血って泡みたいにゴポゴポでるんですね。もっと吹き出すかと思ってた。なにそれ怖い。
ルールなんてないから、面白いことやったもん勝ちです。
頭良い人はまだいないからアホでも勝ち目があります。ある気がします。「しょうがない」とか言ってたら何もできません。アフリカは日常が「しょうがない」だらけです。そんなこと言っていたら生きていけません。
常に全力少女です。


▼退職後について

DMM.comという会社の変な人に誘われてアフリカに来ました。アフリカなうです。DMM.comは艦これとか英会話とかAVとかMVNOとかいろいろやっている会社です。
そのDMM.comがアフリカに進出します。
進出するって言ってもやることは何も決まっていません。
 なんだそれって感じですが、これからどんなことをやれば面白い未来をつくることができて、儲けることができるいいのか、
それ自体を考えるポジションにいます。
詳細はこの辺りに書いてあります。
「死んでも文句言わないやつをアフリカにいかせた」

経緯としては、面白いおじさんが「アフリカいいよ〜きなよ〜」って言ってたので「じゃあいきます〜」と、とあるBARで話して決まりました。

その翌月には退職してアフリカ住んでました。

死んでも文句言わないやつって書いてありますけど、面白いおじさんに会った時にガチの誓約書つくってもっていきましたからね。「死んでも御社に迷惑かけません」的なやつ。

そしたら亀山さんは「あーいいねこれ」って言って秘書の人に渡してました。でも死にたくないです。文句は言わないけど。 
アフリカってあまり詳しく知らなかったんですが、 アフリカって大陸の名前だったんですね。国だと思ってた。

事業の考え方、動かし方はリクルートでたくさん学びました。
とはいえ先のことは何もわからないので、数カ月後にしれっと帰ってきていることは可能性としては十分にあります。

そしてリクルートが大好きなので出戻りしている可能性も十分にあります。
こうやって海外にでていく人たちって、だいたいしれっと戻ってきます。ぼくもその可能性が十分にあります。むしろたぶんそうなります。
でも、いまは事実アフリカにいるので、少しでもDMMが儲かるものをつくって、面白い未来をつくっていければいいと思います。

アフリカ行きが決まったタイミングで、ぼくが考える新規事業の天才たちにいろいろ聞きまくりました。

この時、ぼくの突然の訪問やメッセにも関わらず真摯に対応してくださった
nanapiけんすうさん、フリークアウトゆーすけさん、ニューピースのしんぺー、Indeedの細川、元ボスコンの服部さん、青山ラグビークラブのキャプテン草野さん、リクルートのマネージャーのしゅんすけさん、リクルート役員で海外事業統括の岡本さん、エムスリーの野中さん、リクルートの内藤さんTryfundsの丹野さん、MTLの苅谷、pixivの片桐さん、
などなどなどなど、ここには書けないぐらい多くの方の助けがありアフリカに来ることができました。
この場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございます。
そしてなによりアフリカで仕事することを理解してくれた家族には本当に感謝してもしきれません。ありがとうございます。

そういえばフライトの当日に友人からいきなり誕生日会に呼ばれたのでサレンダー橋本の本をプレゼントして飛行機に乗りました。日本での最後の思い出はサレンダー橋本です。

▼そしていま
これを書いている今はナイジェリアのラゴスという地域に住んでいます。危ないだの、テロだのといろいろと書かれていましたが、実際はとてもいい人たちばかりの面白い地域です。 道に迷うと丁寧に教えてくれて、すれ違うときはみんな挨拶してくれます。残念ながら象はいない地域っぽいです。だれもお金をせびろうとしません。落し物は拾って届けてくれます。 
いっぱい笑って、いっぱい話して、日本より楽しいかもしれません。
みんな楽しく生きています。 

近所の人達と仲良くなって朝ごはんにお呼ばれしたり、一緒に卓球やったりして遊んでいます。

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卓球台がそもそも傾いてる


 家の周りをウロウロしても外国人は一人もいません。特に日本人なんてどこにもいません。
周囲は「日本ってどこだ?中国とは違う?」ぐらいな知識です。

そんな環境でぼくはひとり生きています。
とはいっても観光に来たわけではないので早く何かできるようにがんばります。
DMMアフリカはまだまだ始まったばかりなので、面白い組織、面白い事業をつくることができるようにがんばります。
もし興味のある方がいれば、ググればどこかにDMMアフリカに関する問い合わせがあるので聞いてみてください。うそです。ないかもしれません。その辺りよくわかりません。
ぼくが入社する前は「DMM アフリカ」 で検索すると、

すごい種類のAVがいっぱい検索結果にでてきました。
 最近は検索結果も変わってきているようなので、DMMアフリカに興味がある人は検索して、
「なつめぐのブログ見た」と言えば割引になります(何が)


▼最後に

「覚悟」とは犠牲の心ではなく
「覚悟」とは暗闇の荒野に、進むべき道を切り開く事だ

ジョルノ・ジョバーナ

こんなことをどこかの誰かが言っていました。深いね。ジョルノ。

アフリカにいると本当に今後どうなるのか本当にわかりませんが、いい感じに未来が眩しくて見えません。

これからもよろしくおねがいします。

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※Tシャツはキラークイーンです。

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いつでもジョルノジョバーナと一緒です。
いろいろな「しょうがない」と戦いながら。


アフリカなう。 


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