ある女装者が読んだ感じない男

ある女装者が読んだ『感じない男』

「少女になりたい」願望

私が『感じない男』を読んでみようと思ったのは、現代思想『<男性学>の現在』のある論考の引用がきっかけだった。黒木萬代「少女になること」には、『感じない男』の次の一節が引用されている。

「すなわち、私の心の中にあったのは、少女の姿をした<もう一人の私>と性交することによって、私自身をもう一度、誰の手も介さずに産み直したいという欲望だったのである」*p.158

女装する私にとっては、ほとんど自明であるような「少女になりたい」という欲望のなかで、「もう一人の私と性交する」ことは、日常的に馴染み深い想像である。おそらく私以外でも、オートガイネフィリア(AG:自己女性化偏愛性倒錯症)の自覚がある女装者にとっては、身に覚えがあることなのではないだろうか。ただ、その先の「私自身を産み直したい」という欲望については、私は全く想像したことがなくて、驚いたのだった。

私にとっての「もう一人の私」は、客体としてのどこかの少女のイメージではなく、女装した私の姿である。単為生殖というより分裂であり、「子ども」というより「幽霊」や「分身」である。そもそも生殖のイメージからは遠い。この違いは、いったいどこからくるのだろうか。

また、「少女」と聞いて思い浮かべる年齢もそもそも違っている。著者の森岡正博さんが扱うロリコンの「少女」とは、一般的に9歳から14歳くらいまでの幅があるという。私は ちょうどその後の、14歳から18歳くらいまでをイメージしている。ただ私の場合は、実年齢はさして重要ではなく、モラトリアムとしての「少女性」のイメージがより重要である、という違いもある。

しかしそうした違いがあるにしても、私は自分以外の男性が「少女になりたい」という、表に出して語ることが難しい願望をどう語るのか、とても興味があった。

『感じない男』の出版は、2005年。制服フェチとロリコンについて、著者の森岡さん自身がなぜそうであるのかを語った本で、当時とても話題になったらしい。

当事者の立場から「制服フェチ」や「ロリコン」を語ることで、男の「不感症」や自らの辛さを認めることができない男性性(=「感じない男」)について掘り下げ、自身の「男性性」に向き合っていく。それはまた、大学教授であり哲学者である森岡さんが、自身のセクシュアリティについて、本という形で公に語り、告白することでもあった。私はまず、「自分をけっして棚上げにしない」態度そのものに感化されたのである。

私はこんなふうにして『感じない男』を読みはじめた。


第一章  表層の少女

・「肉体」と「身体」

実は『感じない男』には、女装についての言及はわずかしかない。森岡さんは女装しない理由として、自分の「ごつごつした汚い肉体」に少女の服を着せても決して愛せないこと、また自分と同じ年齢の女性になりたいわけではないことの2点を簡潔に述べていた。

ただ逆に、女装への言及がわずかだからこそ、私にとっては、女装をする/しないの違いを分ける点が明確だった。森岡さんは「肉体」にこだわりをもっている。それは男性としての自分の肉体を肯定できない「自己否定」と強く結びつき、自身が「感じない男」であることの根幹になっている強い感覚である。
いっぽうの私は「身体」にこだわりを持っている。身体というスクリーンに投影される「イメージ」へのこだわりはまた、「表面」へのこだわりでもある。

女装しない森岡さんと、女装する私には、「肉体」と「身体」という対比がある。そして森岡さん自身も『攻殻機動隊』の「義体」を例にあげながら、明確にこう述べている。「異性装は服を着るのであるが、ロリコンは体を着るのである」と。
この違いはそのまま、「少女になりたい」という願望の先に「自分自身を産み落としたい」と願う森岡さんと、少女としての自分自身がすでに分裂して「幽霊」のように張り付いている私の違いへと繋がっているはずである。

「肉体」か「身体」か。なぜこのような違いが生じているのか、この先は『感じない男』での論点を織り交ぜつつ、私の「女装論」として語ることが多くなることに、留意していただければと思う。
森岡さんが『感じない男』で注意深くそうしたように、私も女装の一般論ではなく、あくまで私自身に固有の「女装」についての物語を考えてみたい。女装やオートガイネフィリアやトランスジェンダーと一口にいっても、個々の在り方はおそらく思っている以上に違っているのであり、語ってみなければ、どれほど固有の話なのかそうでないのかもわからない。そして私もまた、別の誰かの女装についての固有の物語を聞いてみたいのである。

まずは、私が「肉体」ではなく「身体」に興味をもつようになったいくつかの個人史を追いながら、身体からイメージへの変身に至る嗜好のスペクトラムを追っていく。

第一節 イメージへの変身

スパッツ、マジック、匿名への変身

私が幼少期から思春期にかけて「フェチ」的な性的興奮を覚えたことのうち、特に印象的だったものは2つある。それは、バスケのユニフォームのショートパンツの下に履く「スパッツ」と、セクシーな衣装で拘束され、箱に閉じ込められるマジックショーの「助手」の女性だった。

月並みな解釈をすれば、スパッツは肉体の一部が性別を離れてモノになる変身のアイテムであったし、マジックショーで拘束される助手は、人間が「助手」という交換可能な匿名な存在になることであり、またショーという舞台の上で逃れられない視線をいっせいに浴びる被虐的な存在だった。

もちろん、当時は単に「エッチだなあ」と感じていただけである。下着をつけないまま直にスパッツを履くと、圧迫されるペニスの感触や、手で直に触れるのとは違ったつるつるした肌触りに興奮し、均一なスパッツの肌理に浮かび上がる勃起したペニスの造形と、それを包む生地の光沢の反射がなんともエロティックだった。家に家族がいないときは、私はそのまま押入れに入って引き戸を閉め、漏れてくる薄明かりのなかで、手足を縛られ張り付けられている姿を想像していた。

おそらく、私は人間がモノになり、匿名になり、不特定多数の視線を浴びていることに興奮していたのだろう。私という個別の「肉体」が「表面」や「視線」を媒介することによって、「この肉体」から別の匿名な「身体」に変身する。幼い私はそうとは知らず、つるつるのコスチュームを着た戦隊ヒーローや、マジックショーで消える助手の女性のように、匿名の「身体」へ変身していた。

天体望遠鏡という装置

次に挙げる「望遠鏡」は、必ずしも性的な興奮という意味合いではないけれど、幼少期に特別に好きになった初めてのもので、後々の影響がとても大きかった装置である。それは、高校の終わりに「カメラ」に持ち替えながら、いま現在まで、私の欲望を構造化し続けている。

小学校低学年の頃に、家族で初めてプラネタリウムを見にいって星の世界にハマり、貯めたお年玉で天体望遠鏡を買った。たしかそれぞれ、五島プラネタリウムとカメラのドイだった思う。小学校高学年になって引っ越した先でも、私は市のプラネタリウムや子ども天文教室のイベントに通いつづけていた。

最初に出会ったのが実際の星空ではなく、プラネタリウムだったことは思いのほか大きかったのだと思う。プラネタリウムには、ドーム状の壁=スクリーンがある。私はそれと同じように、「地球の空には壁がある」というポエティックなイメージをなんとなく持つようになった。たとえば、ショッピングモールの天井に描かれた真っ青な空と雲、あるいは感動的な夕焼けの壁と同じように。

しかしすぐ後に、私が現に見ている星の光は、遠い過去の光であることを知ることになる。星を見ることは、映画のスクリーンのように、私の背後からきた光を見るのでもなく、テレビのように「嘘」の映像を見ることとも違っていた。「本物」の光であるのに、どこか「本物」っぽくない星の光は、地球の空という「半透明の膜」を通して、私に届くものだった。

「望遠鏡」は、「半透明の膜」を超える装置として目論見られている。しかしながら、またしても「本物」には辿り着けない。「望遠鏡」を覗き込んでも、望遠鏡の中の「像」というまた別の半透膜に阻まれるのである。星はあまりに遠く、その距離が逆向きのベクトルをもって自分に向かってくるとき、「望遠鏡」を覗き込む私自身はあまりにも遠く、微かな光をなんとか受けとめる小さな受容体だった。

何かが違えば「視線=権力」の主体として振る舞うことができたかもしれない「望遠鏡」の体験は、私が手にしたものが「天体望遠鏡」だったことによって、ついに「獲物を狙う」ハンターとして私を主体化させることはなかった。むしろ「天体望遠鏡」とは、狩りの失敗が、つまりどうやっても獲物に到達できないという断念と憧憬が、予め組み込まれた装置なのではないだろうか。

高校の終わりに、私は天体望遠鏡をカメラに持ち替えた。写真として獲物を捕獲することができたかもしれないそれはまた、レンズから視線を投げかけると同時に、というかそれ以上に、レンズを通じて意図しない光をも受容する装置だった。主体とも客体とも言えないカメラを持った私は、ここでもまたスクリーンになった。

・辿り着かなかった「肉体」

ここで「肉体」について少し振り返ってみる。『感じない男』では、森岡さんは男性としての自分の肉体への嫌悪感と射精の不快感を結びつけていた。夢精で何度も汚れることによって、「汚い」男性の肉体が浮き彫りになってくるみたいだった。

私自身を振り返ると、森岡さんの言う射精の快感の大したことなさや、たまってくる感じ、射精したあとの虚無感はよくわかる。ただ、たまたま私は夢精したことが数回しかなかった。もちろん不快だったしそれなりに罪悪感もあったけれど、それだけでは自己嫌悪にはいたらなかった。というのも、私はスポーツが好きでかつ得意だったこともあり、どちらかと言えば、自分の体には肯定感があったからだ。

スポーツが好きだった私は、誰も読まないような体育実技の教科書を熱心に読んで実地で試してみるのが好きだったし、身体の動かし方や内部の感じ方を探ることが好きだった。それは、「肉体」への肯定感というより、つねに運動し動いている身体の「イメージ」の操作に関わることだったからだと思う。

つまり、私は森岡さんとは逆に、自らの男性としての生々しい「肉体」にいつも出会い損ねていたのかもしれない。しかも思春期の私は、「男らしくなりたい」とか「少女になりたい」というよりむしろ「かわいい男子」になりたがっていたのである。

第二節 「少女の世界」になりたい

ファンシーとの出会い

「かわいい男子になりたい」と思ったきっかけは、ファンシーとの出会いだったように思う。そう、あの酒井法子の「のりピー」のグッズである。ご本人が特別好きだったという記憶はないけれど、なぜか筆箱や定規などの文房具だけは好んで持っていた。筆箱のなかの匂い玉や練り消しゴムにまみれた、あの80年代終わりのファンシーが、たぶん私にとっての最初の「かわいい」との出会いだった。

もう一つ鮮明に覚えているのは、クラスにいたファンシー好きの男の子のことである。彼は付箋とかメモ張とか消しゴムとか、女子が好きそうなかわいいグッズをたくさん持っていて、女の子と仲良く話していた。彼は太っていて、見た目がカッコイイわけではなかったし、顔がキュートなわけでもなかった。ただ、ポチャっとしていて、なんとなく全体的に丸くてかわいかった。

「彼は女の子にモテるために女子のグッズを持っているのではないか」。つまりルックス的にイケてない彼のモテ戦略として、モノで釣るという下心があるのではないか。そういう疑いは当時もちろんあったし、私がそのことを少しも羨ましいと思わなかったと言ったら嘘になる。

でもそれが実際どうであれ、私は「かわいい」モノを媒介にして、女子の世界に接続することができることを知ったのである。イレギュラーではあるけれど、男子も「かわいい」モノを持っていてもよい。ただやっぱり、「かわいい」モノを身の回りに好きなだけおいて素直に楽しんでよい女子の世界が羨ましかった。当時はまだ、男子が「かわいい」モノを持つことは、恥ずかしさとキモチ悪さを伴う時代だった。

ぬいぐるみと母親

少なくとも小学生くらいまでは、きっと誰もが色々なおもちゃで遊ぶだろう。たとえば、男の子はロボットが好きで、女の子はお人形やごっこ遊びでというふうに、時代ごとにステレオタイプな男女別の遊びがある。私は何の変哲もなく男の子が好きなおもちゃで遊んでいたのだけど、唯一の例外だったのは、母親が趣味の手芸でつくった「ぬいぐるみ」だった。

タオル地のやわらかい素材でできた人型の2頭身のぬいぐるみで、私はそれに名前をつけ、中学1年生くらいまで大事にもっていた。それ以前に、幼いときの私は枕の端っこの少し硬くなった先端が好きで、それを指先でいじったり目の端に擦り付けたりしていて、「なんだか気持ちいい」「落ち着く」という安心を得ていたことがあった。母親がつくったぬいぐるみは、その「枕の端っこ」の代わりになり、私の匂いがしみつき、母親に洗おうかと何度聞かれても拒否していた。

いま思えば、そのぬいぐるみは、まさに「愛着」や「ライナスの毛布」と呼ばれるものだったのだと思う。純粋に「かわいい」ものではなかったけれど、それは同時に、母親の手芸の趣味世界を色濃く反映した、ファンシーの世界に属すものだった。レースをふんだんにあしらった人形の洋服や、カントリー調のパッチワークをつくる少女趣味の母親。言い換えれば、そのぬいぐるみは、母親のなかにある「少女」の世界を継承した象徴的なぬいぐるみだったのである。

少女漫画と聖域

私には3つ下の妹がいる。ネットがない時代においては、思春期に女子の世界の情報源にアクセスすることは容易ではなく、妹がときどき買ってくる少女漫画やファッション誌、インテリア誌は、数少ない「女子の世界」との接点だった。

地方都市であり、妹も熱心に買い揃えるタイプではなかったので、私が接する女子の世界はメジャーなものがほとんどだった。当時でも昔の漫画という認識だった紡木たくの『ホットロード』『瞬きもせず』は、大好きで何度も読み返した。愛媛に住んでいた私にとって、瀬戸内海を挟んだ向こう側にある海や山の土地の風景は、同じ海風の影響圏にある風土であり、身近に感じるスケール感だったことも気に入っていた。

小学生の頃からずっとバスケをしていた私は、紺野くんみたいな男の子になりたいと思っていた。当時は全く意識していなかったけれど、きっと少女漫画を読む女性の読者の多くがそうであるように、私はかよ子という少女の目を通して紺野くんに憧れていたのである。

そしてまた、大塚英志が紡木たくの描くホワイトアウトする世界に「無縁」の聖域を見たように、「山口という土地に抱かれた学校」という二重の箱庭的な聖域そのものに、私は憧れていた。私は「少女の世界」そのものに憧れ、ほとんど「少女の世界」そのものになりたかった

ファッション誌とモデル、「少年」の身体

思春期の私は、その他の一般的な男子と同じようにAVを見たり、こそこそエロ本を買ったり、同級生とよくある下品な話をしていた。一方で、少女漫画や女性ファッション誌が好きなことは、同級生の男子には誰にも話すことはなく、小さな箱庭のように秘密にしていた。

妹がときどき買ってくるファッション誌は、ノンノやSEVENTEENなど年齢に沿う一般的なもので、残念ながらその中にオリーブはなかったし、存在すら知らなかった。私が好きだったのはmcシスターだったのだけど、理由は単純で、mcシスターのモデルさんの雰囲気が好みだったのである。特に高山理衣さんが好きで、クォーターの顔立ちと色白さと、絶対に地方都市にはいないような非現実感に憧れていた。そして後に「ウリナリ」に出演したとき、秘密をバラされたようで心底驚いたりしたのだった。

物心ついた男の子はいつ頃から好きな芸能人の話をし、理想の女性の「表象」を掲げはじめるのだろうか。思春期の私にとって、理想の女性の初めての「表象」がファッション誌のモデルだったことは、少しだけ他の男子と違っていたのかもしれない。背が高くて、細くて、スラっとした笑顔がさわやかな女性。胸もお尻も大きくなく「性」を喚起させないファッションモデルの身体は、実はそのまま少女漫画の「少女」の身体でもある。
「背が高くて」「細くてスラっとしていて」「胸もお尻も大きくない」身体。モデルや少女漫画の「少女」の身体の特質はまた、「少年」の身体へ接続し、変身していく可能性を孕んでいた。

当時はちょうど「フェミニンな男性」がテレビドラマなどメジャーな場において、新しい男性像として登場していた頃である。武田真治やいしだ壱成が、細いからだにぴったりしたTシャツを着て、眉毛ともみあげを尖らせるいっぽうで、ショートカットのボーイッシュな内田有紀も、ドラマ「その時、ハートは盗まれた」「17才」をはじめ鮮烈な印象で登場していた。

学校教育においても、男子が家庭科を、女子が技術科を履修しはじめる初期の時代にいた私は、共学の進学校に通い、文系クラスに入り、男女比1:3の環境で過ごすことが当たり前になっていた。心理学専攻の大学時代になっても、男女比はそのままであり、女子の勢力圏に間借りしている感覚だった。

高校時代に恋人はいなかったけれど、仲良くしていた女性の友だちとは実は両思いだったということが2度あった(のちに伝えられた)。友だちとしてか、男女の恋愛として関係を築いていくべきなのか、とても葛藤していた高校の3年間であり、また早すぎた草食男子でもあった。

界面としての「服」

もしかしたら、友情と恋愛を巡る私の葛藤は、性欲の舞台でも形を変えて繰り広げられていた、と言えるのかもしれない。たとえばマスターベーションをするときの、エロ本と女性ファッション誌の ”微妙な” 接続である。

私は女性ファッション誌を眺めていると、ほんの少し勃起する。肌の露出の多少に関わらず、好みのスタイルのモデルの女の子が可愛かったりカッコ良い服を着ているだけで、ドキドキしてくる。私はモデルに憑依し、モデルの身体に触れるさらさらした服の感触を想像し、憑依したモデルの視点から見える服の風景を眺める。でも、ただ少し勃起するだけで決して射精にはいたらない。

そういうとき私は、ファッション誌からエロ本に、あるいはAVに ”オカズ” を変えて、最後まで射精する。そして矛先を変えた向こうにあるエロ本やAVにおいて好んで見ていたのは、ストッキングをまとったフェティッシュな脚や、女性が「着衣」のまま性行為をするCFNM(クローズド・フィーメイル・ネイキッド・メイル)だった。

私にとっては女性が「着衣」のままであることが重要であり、男性側が裸であるかどうかはどうでもよかった。というより、そもそも男性の存在自体がどうでもよかったのである。そこにいる男性の肉体なぞ「どうでもよい」と無視してまえる権力を女性の側として持つことで、女性の「着衣」の表象に何もかもを渾然一体と溶かし込んでいた。

ひょっとすると、私はマスターベーションのたびに、男性の「肉体」を消去し、遭遇しそびれていたのではないだろうか。「着衣」の女性は客体にも主体にもなって、私は何度も憑依と幽体離脱を繰り返しながら、私は私と、合わせ鏡の宮殿のなかでセックスをする。「鏡の世界」で欲望する。

私の場合は、「服」を界面にして、「少女の世界」と「鏡の世界」が裏表になっている。しかし「服」の被膜がどれだけ薄く、その裏表に貼りついた世界がどれだけ接近していようとも、「少女の世界」と「鏡の世界」は決して ”直接的に” 交わることがなかった。

第三節 「少女」としての母

少女と教会とプラネタリウム

『感じない男』において森岡さんは、少女となった自分自身の肉体から私自身を産みなおしたいという願望について、母親の影響圏から自由になりたいという欲望なのではないか、と述べていた。「母なるもの」といかに決別するかというテーマが、森岡さんにとってのロリコンにはあると。

私にとっての母も、たとえば聖母子像のマリアのような、私を包み込む慈悲深い母性というイメージではないのだけれど、戦いによって決別しなければならない「悪い母」というような激しいイメージもない。私にとっての「母」は、まずもって「少女」を継承した「母」なのである。

「少女の世界」に住み、大人になっても家庭という箱庭のなかで、外界から守られる存在としての母。いっぽうの寡黙な父は、外界とのキワにひっそりと立ち、歩哨として世界を守っている。何も起きなければ何かをすることはない、待つ存在としての父がいた。

カトリックの中高一貫の私立女子校に通った母は、カトリックの幼稚園に私を通わせた。引っ越しがあったので通った期間は1年くらいだったのだけど、教会で何度も見上げたステンドグラスと六角形の天井は、もの珍しくてよく覚えていた。

いま思い起こしてみれば、あのカトリックの幼稚園の教会にあった六角形の不思議な天井と、私が好きになったプラネタリウムや星の世界は、「母」を通じてつながっていたのではないだろうか。私は確かに、かつて「少女」ではなかった。しかし男の子として、かつて「少女の世界」の中にいたのではなかったか。

男性としての役割を女性に求められたときの私は、ほとんど父と同じように、歩哨として立とうとする。能動的に何かを為す男性ではなく、待つ男性であり、聖域のキワから離れることができない。いっぽう、男性の役割から離れた私の欲望は「少女の世界」に帰還しようとする。

「少女の世界」は、半透明の膜となった「幽霊」としての私が仮構し、かろうじて維持している世界である。そこには少女としての母がいて、それを守ろうとする少年=息子としての私がいる。「少女の世界」は、寡黙で真面目な父がそうしていたように、歩哨としての父の役割を、そうとは知らずに内面化し、同一化していた私が守りたい世界だった。

しかし私の欲望は、いつも地面に墜落することができず、プラネタリウムの壁に、聖域の境界に、あるいは半透明の膜に吸収され、「表面」の一部になる。

そして、私は「表面」の膜の一部に一体化する限りにおいて、「少女の世界」の内部と交流をもつのである。たとえばコイルを通る電磁力がその内外に磁場を作り出すようなやり方で。「少女の世界」という聖域の遥か上空でのみ行われる、間接的でわずかな交流。私はそうすることで最も聖域に近づき、聖域の一部になったと錯覚する。しかし「少女の世界」のすべてにはなれないし、その表面をまるごと覆いつくすこともできない。

墜落する射精、「幽霊」と「分身」

『感じない男』では、射精における精液は「私」を少女の体へ運び、乗り移るための「乗り物」「媒体」であると述べられていた。「制服少女へと放出された一筋の精液の架け橋を伝って、私は少女の 中へと入り込み、その少女の体を内側から生きようとするのだ」と。

そして、その放出先は、少女としての自分自身であり、母を介さずに自分自身を産み落とすことによって、母の影響圏から脱して真に自由になることができる、という考えに繋がっていく。
私は、「精液は媒体であり架け橋である」という部分に共感したのだけれど、私自身については、内的な物語における射精の過程をもう少し違うふうに考えている。

私の場合は、精液は媒体であるというとき、それはもう精液というより、同一化を欲望するエネルギーそのもの、透明な原形質みたいなものである。だからこそ、たった1回の最後の射精の前に、私は無限のイマージナルな射精をする。

母なるものと結びついた「少女の世界」と、自己の身体像が形成される舞台の「鏡の世界」は分離している。両方とも同じ「表面」で展開されるけれど、ちょうど偏光フィルターが光の出入りを調節するように、いっぽうは「半透明の膜」に吸収され、もう一方は光を通さず「鏡面」になり反射する。

「少女の世界」へ向けて落ちていく透明の精液は、ちょうど「もののけ姫」に出てきた崩れ落ちるダイダラボッチの体液のようなイメージである。大きく落下する体液は、半透明の膜に吸収されて拡散し、半透明の膜そのものとしての「幽霊」になる。「幽霊」としての私は、「少女の世界」で起こる出来事を、幽体離脱した上空から淡く見つめるだけであり、幽体離脱した私自身の姿は誰も見ることはできない。

もういっぽうで、射精によって飛びだした精液は、「表面」に張り付いた瞬間に鏡面になり、視線を反射し、初めて姿形の像を結んで私になる。「表面」に張り付いたその時々の形によって、ようやく私は合わせ鏡の中に「分身」として生まれる。きっと、私にとっての射精の物語は、私が自己の身体をいかにして獲得するかの物語なのだ。そしてそれはまた、私の主体化の物語である。

マスターベーションによる射精が文字通りそうであるように、妊娠を予め断念した射精は、母の「少女の世界」の内部には決して墜落することができない。また逆に、上空の理想の母と一体化すべく、地上からの飛翔=放出を試みてつねに失敗し、地面に落下する物語とは程遠かった。私にとって女装することは、あらかじめある形に向けられた理想の追求なのではない。私の意志によってそうなのではなく、重力に向かって落ち、また同時に重力によって繋ぎとめられるような、自動性を帯びた物語である。

私にとって、射精とは墜落の失敗である。母なる大地には到達できず、一体化することはできない。しかし同時に、私自身を「表面」に生みだす射精である。私は、鏡面の上で、あるいは卵子の外側で受精する。

それでは、無限のイマージナルな射精に対する、最後のたった1回の射精とは何なのだろうか。私に向かってかけられる、最後のたった1回のあの精液は、ストッキングをまとった脚やお尻やペニスに付着し、私を合わせ鏡の世界からほんの一瞬、分離させる。私は、精液のわずかな容積を肉体とした「分身」となって、合わせ鏡の向こう側へ、ひとりで歩いて消えていくのかもしれない。その都度生み出され消えていく複数の「分身」たち。

私はこれまで「少女になりたい」と言葉にしてきたし、そう思ってきた。しかし、ここまで考えてきて思うのは、その内実はどうも違うのではないかということである。「少女になりたい」のではなく、「少女になりたかった」という予めの断念だけがあり、その断念を繰り返すたびに「幽霊」と「分身」になっていく。意志によってなろうとしなくてもそうなっていく。私には、ほとんど「表面」そのものだけがあった。

母と少女とモラトリアムに接続する「幽霊」としての私。身体像が獲得される鏡の舞台で何度も生まれ離れていく「分身」としての私。その二つが「服」という皮膜を境界にして貼り合わさり、分裂しつつ駆動している。それが私の女装のトポロジーであり、また症候である同時に治癒であるような女装なのではないか。

語れなかったこと

まだ語っていないこと、語れなかったことはたくさんある。しかし、有名でも研究者でも若くもない野良の女装者の自分語りは、1万字を超えたところでひとまず区切ることにしたい(いったい誰が全部読むというのだろうか)。

今回は、主体化についての内的な女装の物語をできるだけ自分がしっくりくる言葉で語りたかったので、参考文献や他の議論には触れなかった。また、それを駆使して語る知識も力量も足りないことも明白である。ここで私が書いた「幽霊」と「分身」は、ナルシシズムの作用の違いでもあるし、何のことはない「聖女」と「娼婦」という女性をめぐる近代の男性の欲望にそれぞれ接続する話でもあるだろう。もちろん、「どのように」接続するかが大事だと思っている。

上野千鶴子『スカートの下の劇場』の文庫版のあとがきには、こう書かれている。もし同書にシリアスなタイトルをつけるなら「女性の自己身体意識の構成について」であると。そして「鏡の国のナルシシズム」の章で、女性のナルシシズムについて扱っているのだけど、私はこの章を、ほとんど女装論として読んだ。そしてまた、ニンフォマニア(色情狂)のあり方や、『女ぎらい』で語られた東電OLの話を、共感をもって読んだことも影響している。

上野千鶴子『スカートの下の劇場』が出版されたのは、1989年。またオートガイネフィリアが提唱されたのも同年であり、大塚英志が『少女民俗学』で、少女性に無縁(アジール)を見出し、無垢なるものに同一化するわれわれは誰もが「少女」であると語ったのも同年である。
後期消費社会へ突入し、爛熟を迎えた頃に世に出た言説が私の女装のベースにあるなら、「鏡」から「スマホ」へと「表面」の様相がメディア環境によって変わったことは、私にどんな影響を及ぼしているのだろうか。また、自閉的であることはしばしばネガティブに捉えられるけれど、自閉的=自体愛的であるような女装のポジティブな意味づけについては、たとえば自閉症論を通じてこれから考えてみたいことである。
加えて、ちょうど今週末に出版される『身体を引き受ける: トランスジェンダーと物質性のレトリック』(ゲイル・サラモン , 藤高和輝 訳)は、トランスジェンダーについての考えをアップデートする機会になるのではないかと楽しみにしている。

そして、ここまで書いておきながら、ごっそり抜け落ちているものがある。言うまでもなく、男性としての「肉体」である。私はもっぱら「身体」について語ってきたけれど、自らの男性の肉体についてはほとんど語れていない。

実は、女装して外出するようになった後に、私は男性としての自分の肉体に遭遇することになった。それは女装というよりも、身も蓋もなく言ってしまえば、男性との性行為であり、とりわけアナルセックスにおけるヴァージニティの喪失は、自分で思う以上に大きな ”変身" だったように思う。

父性との関係の変化であり、転倒した去勢でもあったと思うのだけど、それが何であるのか、正直まだ自分の言葉にできていないし、公に公開するかたちで書くかどうかも決めていない。次に書く機会があれば、その経験について語ってみたい。

最後に、ここに書いた女装論は、あくまで私の固有の物語であって一般的に女装はこうであるという話ではないことは、繰り返し書き留めておきたい。また、これはいま現在の私が考えていることの反映でもあるから、これから変わっていくだろうし、その変化を楽しみたいとも思っている。
そして、色んな批判や、私が気づかずにしてしまっている差別や抑圧によって不快に思う人もいるかもしれない。それでも、私は女装する人が語る誰かの固有の物語を聞きたくて、もっと語って欲しくて、まずは自分で語ってみた。

ここまで長文を読んでいただき、ありがとうございました。喫茶店で何十杯もコーヒーを飲み、本を読み、MacBookをタイプした時間をひとまず終えます。またの機会を。




もし気に入っていただけましたら、応援よろしくお願いいたします。本を買い喫茶店でコーヒーを飲みながら、つづきの文章を書けるようにがんばります。