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強気MEと弱気ME

くよくよ考えてはため息。何を目標に生きていいのやら。人との距離感にも悩む。

一体いつから私は、こんなに弱気になってしまったんだろう。ふと思った。

(先に言っておくけれど、この記事に結論はありません)

少なくともアメリカでいた頃は、私は強気だった。

何をもってか知らないけれど、とにかくどういう事柄や言動に関しても、確信とういうものがあったような気がする。例えば、大学でどのクラスを取るだとか、大学を卒業してどの町に行ってどういう仕事をするだとか、プロポーズをされたから、これから仕事やビザやどうやっていくだとか。人生のあらゆるポイントで、確信を持って私は動いていた。よし、こうこうだから、私はこうこうしよう。と思っていた。

言葉を言いかえれば、自信があったのかもしれない。

なぜ、異国の地で一人で生きていてそんなにも自信があったのか?

若さゆえの、無知からくる怖いタイプの自信だったのだろうか。私は自分の人生で起こる色んなことに理由を持って、それなりの決断を下していると思って生きていた。自分の人生を自分で拓いている手ごたえと、快感。そんな感じ。

考えれば、周りの人たちも私と同じような感じで生きていたような気がする。アメリカ人というものは、一般的に言って、自分で人生を選んで切り拓いていると思っている節がある。反対に、日本人というものは、比較して、何かの流れや誰かのおかげで、ここまで来たと思っている節がある。

アメリカの社会的な風潮が、若い私にも及んで、「自分の人生を自信を持って拓いていっている」と思っていたのだろうか。

さて、今日本に帰ってきて9年目。ついにアメリカで暮らした分だけ、帰国後の時間がたってしまった。すると今、私の毎日の中でかつてのような強気が全くなくて、常に受け身である自分に気づく。

「私なんか」「いやいやだめだめ」「どうすればいいのか分からない」こんな風に、気づけば頭の中で考えている。これがドツボにはまってくると、「もう嫌だ」「しんどい」「やめたい」というような思想にまで変わってくるから不思議だ。

これは、年齢的な変化なのか、妊娠出産という大仕事を終えての、正解のない迷いの森のような子育てに対しての自信のなさからくるものなのか。

私は薄々と、これは日本的な社会的風潮が私個人の心に及んできての結果なのかもしれないと思い始めている。というのも、日本でいると、私の周りを見ると、私のような思想を持った人が多いからだ。何か分からないけど悲観的で、受け身で物を見る人が多い。それにまさに影響されて私も、そうなっている感じ。

もしくは、私と親の関係性という説。親との距離が近くなりすぎると、私はどうも自由にどうこうできない癖がある。彼らを満足させるために、ついつい自分を押し殺してしまうような癖が、育つ過程の中で培われた。これはぜひ打破したいところなのだけれど、思えば太平洋を挟んだアメリカ大陸でいる時は、親の目なんかなーんにも気にしないで色んなことをやっていた気がする。物理的距離というのはやっぱり影響が大きい。遠距離恋愛が難しいはずだ。

考えてみれば、アメリカでの私と日本での私は、まるで全く別人であるかのように違う所が多い。日本での私は、あまり好きではない。色んなことについて、しんどすぎるところが多すぎる。

でもだからといって、アメリカでの私の人格が、日本で"I" "I" "I"とは言語的に言わないとしても、そうやってしゃしゃり出てこようとすれば、周りの日本人に誤解を生んだり嫌われたりしそうな気がして、私はできなかったりする。はっきりと物を喋るのが好きだし、何を言われようが、他人のことなどお構いなしだったアメリカでの自分のほうが、よっぽどさっぱりして楽だ。

強気でいることは、色んな事を押しのける。何も悪いことをしているわけじゃないのだから、私があまり好きでない日本的な要素をここらで置いて、アメリカ的な強気を日本でも、もうちょっと強めていってもいいのではないかと、思っている。

全く根拠というものがないのだけれど、アメリカでのほうがよっぽど羽が生えたように自由に思考できていたことを考えると、私はいつまでたってもやはり、海外向きの思考の持ち主なのではないかと思う。それか、単に日本では親に縛られがちだけれど、時差も何も大きいアメリカ大陸でやっと自分の人格を見つけたっていうだけの話かもしれない。

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