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<超短編:ポートレイト>瑠璃子

私は、西日が苦手なのだ。そう感づいた。

夕方のあの、日の入りの時間のことだ。それがもし、夕焼けというものを伴っていればいい。夕焼けの、紫やピンクやあの美しい色があれば、私の心はそこに集中できるからだ。綺麗だな、美しいな、自然て素晴らしいなとそこで思えれば、私は西日のことを、日の入りのことを、あえて考えないだろう。

一旦、日が沈んでしまえば、なんと世界は表情を変えてしまうことだろう。せわしく、楽しかった日中の仕事を背負ったまま、ただ足早に帰っていた人々の気配は、一転して、冷たいだけの空気を今度は背負い込み、家に帰らねばならないというような焦燥感と共に、町中を走り回っている。

これが、私には怖いのだ。そう気づいた。

何度、どこかの窓から、私はこの日の入りの時間を覗いただろうか。部屋の内から外へ。もう家に戻ってしまった人間として、私は恐怖心とともに、まだ家へ戻っていない人々の姿を見るのだ。怖いもの見たさみたいなものだ。落ち着かないあの時間帯に、通りを行き交う小学生を、自転車に乗った男性を、スーパーの袋を持った女性を、私は覗いては、ぞっとして、カーテンを閉める。カレーを煮込む作業へと戻る。そして、またしばらくすると、恐る恐るカーテンを少し開けると、さっき見たような同じような人々を確認しては、またカーテンを閉める。

中から覗くという、安全地帯にいるからこそできる行為というのは、もともと、母親の子宮から外界を覗いていた胎児のころからの癖なのかもしれない。そこまで考えて、私はそれはいささかオーヴァーだろうと思いなおした。そんなことが、あることはない。私たちはそこまで、そんな昔のことを引きずっている、わけがないのだ。

「朝が好きだ。全てがブランニューだからね。色んな可能性があるじゃないか」

そうやってライアンは言った。当時、なんておめでたい人だと思ったけれど、私は口に出したことはなかった。ライアンは決まって、休みの日の朝には、ちょっとだけ早起きをして、コーヒーを口につけながら、こう言ったのだった。

テーブルの向かい側で、私はそれを聞きながら、大体は眠そうな目で、「そうかなあ」というような表情で聞いていたはずだ。私は、夜の方が好き。ミステリアスだし、色んなアイディアが湧いてくるし、夜に恐怖を抱えたことはない。私は夜のほうが、何かと色んな物が、万物が、艶めかしく光る感じもしていたし、自分自身もメイクをして、ドレスを着て、ヒールを履いて、美しい感じがしていた。

夜にいくら美しくても、みてよこの朝の表情のありさまを。私はいつもそう言っては、ライアンを茶化した。

ライアンは、センスオブヒューマーがある人だったので、そう言う私を笑って、無精ひげをそのままに、私に口づけた。私に君はいつも美しいよと、そう言って、コーヒーと私に口づけた。

私には、そんな朝があった。私の人生の中のある一点では。

おそらく4回目だろうか。私はカーテンを開けた。もう真っ暗になっている世の中を覗くために、私は開けた。胎児は、子宮から外界を覗くときにも、おっかなびっくりでこういう気持ちだろうか。彼らは、生まれてくることが、果たして楽しみであるのだろうか。私にとっては、この記憶が遠すぎて、答えが分からない。

カーテンを開けると、粗末な窓から、ひんやりとした空気が伝って来る。季節は間違いなく進んで、私が全く知らない間に、秋が深まっている。そう感じると、腹の中のどこかが、ひくついた気がした。

がちゃりとドアが開く。タダイマとライアンが言うと、私はお帰り。と言った。無精ひげの口が、まずは私の方へやってくると、彼は私に口づけた。続いて、私の腹へ口づけた。

そうだ、私は妊娠してからというもの、西日が怖いのだ。なぜだろう。妊娠と何か関係があるのだろうか。ライアンは、手を洗って部屋着に着替えると、ゴメンネと言いながら、ビール瓶を冷蔵庫から取って、開けた。謝る位なら、私の前で飲まなければいいのに。謝る位なら、こんなことにならなければ良かったのに。私の気持ちに気づいていないくらいなら、私たちはもっと前から、違った形になっていればよかったのに。

ライアンが帰ってきたのに、私にはまだ、どこかで外を覗かねばならないようなインパルスがあった。カーテンを開けると、まるで私はどこかで誰か違う人の帰りを待っているかの様に、待ちわびた。誰かを。誰だろう。

腹の中の何かが、またひくついた気がした。私の中の胎児は、誰か違う人を待ちわびているだろうか。誰か違う、誰かを。この真っ暗な世界で。

日がもうない世界は、かつて私の喜びだった。私が一番美しいと感じられる時間帯だった。全てが、万物が煌めく時間だった。なのに今は、日がない世界というのは、西日の時間という恐怖を越えて、ここまで絶望的に、どうやったらなる事ができるだろうか。

私は、もう誰もいないのではないかと予想したすぐ下の通りでは、いつも通り、家路を急ぐ人々が歩き回っていた。闇を渡り歩くアリのように。私が誰もいないと予想した通りでは、人々がまだ、歩き回っていたのだ。私の気持ちなんかも知らないで。

ライアンは、「夜は萎えるなあ。早く眠って、朝が来ればいいのに」と呟くと、自分でカレーをついだ。私の腹の中のひくつきは、きっと胎動なのだと思った。

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