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フランス人は信号を守らない。

家族からはよく短気だと小さいころから言われてきた。

大人になり少しは怒りの導線も長くはなっただろうけれど、せっかちな性分は治らない。

カップラーメンも3分待って食べた記憶はないし、食べるのもしゃべるのも早いし、待ち合わせも予定よりだいぶ早く到着しないと落ち着かない。


そんなせっかちな私でも、フランスの歩行者信号には到底敵わないと思った。

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日本の歩行者信号は、赤になる直前に青が点滅する仕組みになっている。

一方、フランスの信号機は、突然パンっと赤に変わる。

渡っている途中だと少し焦ったりもするが、そこは小走りで渡るのが普通かなと思ったのは私だけで、フランス人は信号が赤に切り変わろうが堂々と歩いて渡る。

しかしそれにはわけがある。


青信号の時間が異様に短いのだ。

例えば赤から青に切り替わった瞬間に横断歩道に足を踏み入れたにも関わらず、真ん中を過ぎるころには既に赤に切り替わっている。

なんたるせっかち具合。


信号待ちをしている車に頭を下げるような姿勢でトコトコトコと小走りする小心者の私の後ろには、

「この信号機が短いんだ。私が渡り終えるまでここは青なのだ。」

というオーラを醸し出して、何人もの人が気にせず横断歩道を渡りきる光景がそこにはある。

しまいには、赤信号に切り変わろうと車がまだ動いていないから大丈夫という表情で渡り始める人もいる。

そして車もそれに対して決してクラクションを鳴らすことなく、人が渡りきる最後まで待っていてくれるのだ。


信号が短いことが関係しているのかは疑問だが、信号を「目安」として利用している人が多い印象を受ける。

車が通ってなければ赤でも渡る。

信号待ちしているときに、結構な人数が道路の往来を始めたため、流れにのって渡ろうとしたら信号は赤ということは決して珍しいことではない。

ときには車が目の前まで来ているのに、渡って行くツワモノもいるのだが、その人に向けてすらもあまりクラクションを鳴らさないのは、歩行者の権利が強い国ということなのだろうか。

フランスでは歩行者の40%が信号無視をするというデータもあり、日本の2%という結果と比較すると、その数字には目を見張るものがある。


「赤信号、みんなで渡れば怖くない。」

なーんて標語が私は頭に浮かんだのだが、この発想はいかにも日本人的だという。


別にフランス人はみんなが渡るから私も…というスタイルとはまた違うというのだ。

どうやらそこには

・車が来てないのになぜ待たなければならないのか

・右見て左みて、安全だと判断が出来たから渡っている

という、いわば「合理性」と「自己責任」がそこには存在しているのではないかと長くパリを見てきた方は言う。


なるほど、と思った。


守らなくてもいいものという扱いではなく、守るべきときには守るけれど、合理性に欠いていると判断した場合には自己責任のもとで彼らは行動を選択しているに過ぎないのだ。


たしかにそれは、みんなが渡るから私も渡ろうというものとはだいぶかけ離れた考え方である。

集団の中での判断ではなく、あくまで個としての自分の意思に基づいたものなのだ。


横断歩道の渡り方1つとっても、日本とフランスの国民性の違いがあらわれるのだから興味深い。


小さな頃から赤信号は止まるものだと教え込まれた人間にとって、はじめは驚くような光景として目に映っていたはずが、慣れとは恐ろしいもので、最近では私も赤信号で渡っている一人になってしまった。


人は合理的な行動に対して、割とすぐに順応出来てしまうものなのだなと、己を通してしみじみと実感しているところである。


余談だが、青信号の切り替わりは早い一方で、赤信号は意外と長い。(日本と同じくらいかな。)



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