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真剣に向き合う

文章を書くことにここまで真剣に向き合ったのは人生で初めてでした。

トライ&エラーで書く。

いったん書いてみて、何度も修正する。いろんな人に見てもらって、たくさんフィードバックをもらう。大学受験を思い出しました。私が志望していた大学は、ほとんど論述問題しか出ません。世界史は400字の論述に、100字程度の小論述。日本史も100~200字の論述が4題。作文大嫌い、国語も苦手な高校2年生の私には難しすぎる問題でしたが、受かるには練習するしかない。拙い文章を何度も書いては学校の先生に毎日見せに行き、何度も書き直しました。一年もたてばだんだん書けるようになり、論述への苦手意識は薄まりました。こんなトライ&エラーの経験と、完成していないものを人に見せる経験のおかげなのか、学期を終えるごとに制作するフリーペーパーのF&Nもたくさんのゼミ生に見せて、たくさんのフィードバックをもらいながら進められました。だけど出来上がったF&Nは、読み返すと落ち込むほどの仕上がり。ま、世界史の論述も数回書いただけでは何も変わらなかったし。焦らずがんばるぞ。

言語化されていないことを書く。

F&N含めゼミに入ってから書くようになった文章も、私の受験勉強で書いていた文章も、書くプロセス、練習するプロセスは一緒でした。トライ&エラーを繰り返す。スケルトンを書く。受験勉強と違うのは、言語化されていないことと、答えのないことを書くこと。400字の論述問題は自分の言葉で書かなければいけないとはいえ、こういう歴史の流れをかけていればOK、この言葉を使えていればOK、という具合にある程度の模範解答がありました。でもゼミを通して書く文章には答えがない。言語化されていないことを書くことを求められます。難しすぎました。普段何も考えずに生活してるんかな…と珍しく悲観的になるほど書きたいことがすぐに出てこなかった。でも何度か書くうちにそうではないことに気づきました。すぐに出てこないだけで、時間をかけてじっくりと自分の気持ちに向き合うと、書きたいことは意外とたくさん出てくる。それだけでなく、言語化されていないことを書こうと自分に向き合う中で初めて見える自分の考えや感情もあるんだと気づきました。まだまだ納得できる文章は書けないけれど、自分の感情を言語化するのは難しいけれど、気づけていなかった感情や思考に気づけた瞬間ってとても楽しいし、言語化すること、伝えようと書くことの大切さはそこにあるんだろうと思いました。

真剣に向き合う。

文章を書くことに真剣に向き合うことは、スキル的なことももちろんあるけど、自分の気持ちに真剣に向き合うことだと思います。全然上手に書けません。もうやだ~!と投げ出したくもなっちゃうけど、焦らずに自分に向き合い続ける。妥協せずに書く。
2年春学期が終わりました。まだあと2年半あって、文章を書くこと以外にうまくいかないことも嫌になることもきっとあるだろうけど、焦らず一つ一つに真剣に向き合いながら楽しみたいです。


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