見出し画像

GIFTやっぱすごすぎ


おかえりなさい、GIFT!!!

ディズニープラスで世界配信がスタートしましたね!

三ヶ月ほどGIFTのない毎日をすごし、アフターパンフやら文字起こししたものとかで乗り切ってたわけですが、やっぱりGIFTをこの目で見られる毎日は最高!


私本当に飽き性なので好きなものもそんな何回も何回も見ないタイプなんですが、GIFTだけは本当にありえないくらい見てます。


4ヶ月前くらいにこんな考察記事を書きました。



この時から大筋の私の解釈は変わってないのですが(特に前半)、後半はなんか見るたびに印象が違ったりするなあと思います。

羽生さんのセルフ解説、半年後ってすごい良いタイミングですよね。
半年間思う存分泳がせてもらって、ここでヒントくれるのめっちゃ良いです。

前半がどちらかというとファンタジックな感じ、後半はリアルに掘り下げたと言ってましたね。
私はわりと逆な印象でどちらかというと後半のが抽象的な印象を受けてたのですが、よくよく考えればなんか納得してきました。
羽生さんにとってのリアルは後半の自分の内面と向き合ってる部分なのかなと思ったり。


こんな感じで悶々とGIFTについて考えていく中で、やっぱGIFTってすごいなあと思ったので備忘録として書きます。


★スーパーエグゼクティブプロデューサー
日本のアイスショーって基本的にはFaoiのようなエキシビョン形式が主流じゃないですか。
それでそこから脱却して新しいショーを作ろう、ってなったときにストーリー形式になるのは自然な流れだと思うんですが、そのストーリー形式をやるってなった時に羽生結弦さんに相応しい物語ってあるのか?!て私は兼ねてより思っていました。(まじで誰)

だってもしたとえばロミジュリやるってなってロミオを羽生さんがやるってなったらジュリエットめちゃくちゃ肩身狭くない?!色々な意味で、、。

そもそもロミジュリとか恋愛ものだからとかそういう次元ですらなく、この人は既存の物語に収まる存在なのか…?、ともおもってた。
なんていうんだろう、羽生さんは憑依型の表現者だと思うんだけど、羽生さん自身の放つオーラがあまりにも強烈すぎて、ストーリーもののショーをやるとしてその数時間そのキャラは羽生さん自身に打ち勝てるのか?!みたいな…。


そんな中でみたこのGIFTのストーリー構成、凡人には思い付かないわ……と平伏す一方で、いやこれしかなかったわ…!!!!となるような不思議な感覚でした。

GIFTの中でそれぞれのプログラムが果たす役割って、さまざまじゃないですか。
例えばバラ1とかロンカプは半生を振り返る中の「場面」的なものを表す役割として使われていて、阿修羅ちゃんとかいつ夢はどちらかというと「心情」を表す場面で使われてる。
こんな柔軟にプログラムをこのストーリーに当てはめたのがヤバすぎる才能…(語彙)と思いました。

しかもどのプログラムもまったく違う雰囲気。

シンプルに、こんなエンタメみたことないなあと思った。
例えばオペラなんかでも全体を貫くストーリーが歌や音楽で進行していって、基本的にはアリアなんかでも場面を表現している(心情に傾倒することもあるけど)。バレエもそう。
それで演者は全体を通して同じ人物と分かる格好をしてる。
ロミオが急に阿修羅ちゃんになったりレミエンになったしない。。。

幅広いプログラムたちを一片にまとめるには、主人公と思われるものが真っ白で懐の深いもので何にでもなれるものである必要が絶対にあって、それでいて無機質ではないもの、それが「僕」であり羽生結弦さん自身だったんだな、、という感じです。上手く言えないけど、、。



だから、GIFTのストーリー構成は、色々なタイプのスケートを見せるという面においても、過去のプログラムを入れ込むという条件においても、多分本当にこれしかなかったというようなものをスーパーエグゼクティブプロデューサーが掘り当てたって感じなのかなと思います。うーん!すご!


それで、主人公が羽生結弦さん、プログラム滑るのも羽生結弦さん、ナレーションも羽生結弦さん、ある意味では羽生結弦さんという1人の人間の中だけで完結できる世界が、東京ドームというクソデカ箱に拡張されてしまうところがGIFTのエグさだと思うんです。

オーケストラがあって、バンドがあって、プロジェクションマッピングがあって、でっかいリンクがあって、そんな大規模なセットをもって表現しているのがひとりの人間のなかで起こっていることというギャップがなんかすごく不思議な感じ。

でもきっとそのひとりの中で起こっていることってすごく宇宙で果てしなくて、普遍的なものだからこんなにも響いてくるんだろうなと思いました。

7/4殴り書き備忘録おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?