見出し画像

12年


3/11、notte stellataを観てきました。

自分が3/11という日に宮城に仙台にいるということがなんとなく不思議で、ちょっとこんな大切な日にお邪魔して良いのかな、、というような気分でした。



実は2021の3/11に仙台に行こうと計画していたのですが最終的に踏ん切りがつかずに行けなかったので、今回notteのチケットが手に入って足を運ぶことができてこれもまた羽生さんがくれた縁だなあと、、。感謝です。

自分にとって、東日本大震災について知ろうとする気持ちをちゃんと肯定できたのはつい最近のことです。
2021年にこのnoteを書いた時くらいから少しずつ。


このnote書いた後でも暫くは拭えなかったし今でも完全に拭えているわけではないかもしれないのですが…。
うーんなんて言えば良いんだろう、前にも書いたけど、いわゆる「推し活」の一部になってしまってるんじゃないかという罪悪感とか、テレビでやっているワイドショーを見ているような感覚で消費してしまっている自分がいないか、とか。

例えば2021にお台場でやっていた「震災と未来展」。
「羽生さんの衣装が展示されている」という理由で足を運んだわけですが、羽生さんの衣装に辿り着くまでに壮絶な記録がいっぱい展示してあって、、。
そりゃ震災について知りたい/知るべきという気持ちも少なからずあるから足を運んでいるわけですが、羽生さんの衣装がなかったら行かなかったような自分がこれを見て良いのか、、。みたいな。

羽生さんはいわゆる私の「推し」で、「推し活」はハッピーなこと。震災に関することもその延長になっちゃってるんじゃないかって。
絶対にハッピーな気持ちで行って良い場所じゃないし触れて良いものじゃない、そのギャップが結構しんどくもあり悩みでした。

中学生のとき、黙祷で周りは割と飄々と過ごしているのに涙が流れてしまうこと、テレビ震災についてのことが流れると目が釘付けになってしまうこと、24時間テレビの羽生さんのコーナーが、他のアイスショーや試合の録画と同じように録画リストに並んでいること…。なかなか堂々と言えることじゃないよな、と思っていました。


それでも羽生さんが懸命に伝え続けてくれるから、私が知ることも無駄じゃないのかもなと段々思うようになりました。


やっぱり本編に入る前にこんなにつらつらと言い訳のようなものを書きたくなっちゃうくらいの距離感です。

2022の8月、ちょっと勇気を出して初めて石巻に1人で訪問してみました。

日和山公園

羽生さんが2014年の24時間テレビで訪れていて、いつか大人になったらいこうと密かに思っていた場所。
なんていうか、私がこの気持ちを8年間抱えていたのもすごいしそうさせたのは羽生さんがずっとずっと真っ直ぐに震災について伝え続けてくれたからであって、言葉が合っているのかわかりませんがすごく感慨深かったです。

この場所で津波の被害にあった地元の方とお話しされて、「つらい、つらい…」と言ってた羽生さんがすごく印象的でした。

見晴らしの良い気持ちの良い丘で、穏やかな海が広がっていて、テレビで散々見たり読んだりした悲しい出来事がたくさんここで起こったなんて到底信じられませんでした。

なんとなく丘を下っていくと、生々しい建物が急に現れました。

震災機構の門脇小学校。
周りは新しい建物があって、丘を下る途中にあった学校からは生徒の元気な声が響いてて、日常生活が繰り広げられているなかでここだけ時間が止まっているみたいでした。

当時の小学生はちょうど私と同じ年くらいの方たち。

私が東京の小学校の図工室で地震に怯えてた同じ瞬間に、こんなことが起こってたんだと初めて現実として実感したような気がしました。
同い年の人たちがこんな壮絶な体験をしたということも、もしかしたら震災がなければ大学で出会ってた人たちがいたかもしれないとか、街ですれ違う人の中にはこんな経験をしてきた人たちもいるのかもな、とか急に自分の人生と交わる感じがしてなかなかしんどかったです。やっぱり生で見ること、足を運ぶことの重みをすごく感じました。


自分から見に行っといてなんやねん、という感じではあるのですが結構辛くて、そしてまだ辛くなることへの罪悪感も消えずにいました。


その罪悪感をだいぶ拭ってくれたのもやっぱり羽生さんで、プロローグ八戸の言葉でした。

本当にどんな立場の人間にも思いを巡らせてくれて優しいなあ。どんな立場の人も拾い上げてくれるよね。



そして今回のnotte stellata。

羽生さんの演技や言葉から、私が想像していたよりもずっとずっと深い傷が羽生さんには残っているんだなと思いました。わかっていたつもりだけど全然わかってなかった。

あんなに辛い春よ来いは初めて見ました。何回も何回も見てきたプログラムなのに…。
思わず、12年前のこのアリーナの光景、ここを訪れることになってしまった人たちに思いを巡らせてしまいました。悲しくて悲しくて、どうしようもなかったです。
それって、全然昔話じゃないんですよね。「悲しいことがあった」という過去形じゃなくて、その悲しみが現在進行形で続いている人がきっとたくさんいる。羽生さんの演技の生々しさからそんなことを思いました。


そこからの「希望のうた」、多幸感溢れる群舞で、このショーで羽生さんが仲間と一緒でよかったなあと思いました。

「希望」って使いやすいワードだと思うんだけど、羽生さんはそんなに軽々しく口にしてこなかったと思うので、今回のショーで繰り返し「希望」と言っていたのがすごく刺さりました。

あんな悲しいことがあった場所にもこうやって美しい花が咲けるということは私にとってもなんだかすごく励みになりました。



「今日ある生命は明日もあるとは限りません。
今日の今の幸せは明日もあるとは限りません。
そうやって地震は起きました。
だからみんな真剣に今ある命を、今の時間を幸せに生きてください」

そうやって生きてきた羽生さんの口から聞くと、ものすごい説得力を持って自分の中に入ってきました。

一瞬にして人生が日常が大きく変わってしまうような感覚、体験していない私がいくら知ろうとしてもわかりきれることではないと思うけど、そういうことがあるんだ、と知れるだけでだいぶ自分の価値観が変わるような気がしました。


傷を敢えて見せてくれて、言葉にしてくれて、私たちに伝えようとしてくれていることが本当にありがたかったです。


16歳で被災して、いちスケーターなのに東北の代表とか被災地の希望とかそんな目で見られることへの葛藤はたくさんあったと思います。
でもずっとずっと向き合い続けて、このnotte stellataが開かれました。

本当に重い役割だと思います。でもその重さが、羽生さんの傷を癒すことにも繋がっていればいいなあと、願っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?